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「あ、そだ! あとでサインちょうだいね!?」
「あ? 私の? なんで?」
「だって“御遣”だよ!? 初めて会った!」
「サインなら、むしろそっちのが書き慣れてるんじゃない?」
もう一つの収穫は、当のブロンド娘、もといリース・アダムズの素性が知れたこと。
「ねぇ、クズ!」と、前方から弾(はず)むような声がした。
「その呼び方、どうかと思うよ?」
「見て! お星! お月も出てる!!」
「ん……」
言われて気づいたが、なるほど都会の空にも星と月がよく見える。
ネオンの明かりやスモッグの影響で、もちろん満天の星々とはいかない。
しかしこれはこれで、世界の掌(たなごころ)に抱(いだ)かれる己の矮小ぶりと言うか、胸中に燻るものを改めて認識するには具合が良く、過不足はないように思えた。
「よっ! ヒーロー!」と、どこかの酔っぱらいが二名になけなしの賛辞をくれて、繁華街へ消えていった。
「クズがダメなら何て呼ぼっか? クーちゃん?」
「やめて、背中かゆくなる」
互いに名を明かし合ったのは、つい先頃のこと。
これもまた、考えれば妙な話ではある。
白日(はくじつ)はかの死線をともに潜り抜け、夜は宴(うたげ)をともにした。
こうなると、もはや知らぬ仲ではない。 にも関わらず、自分たちは名乗るのを後回しにした。
これはどこの町でも共通で、当節の時世は一個人の名前に重きを置かず、ほんの触りの部分を重視する。
「じゃあサムライガールは?」
「いいよ、好きに呼んでくれれば」
二人が店を出たのは、だいたい日付が変わる間際のことだった。
すっかり夜も更け、店内の彼方此方(あちこち)から高鼾(たかいびき)が聴こえ始める頃合いに、そっと立ち退(の)いたという寸歩である。
「気持ちいいね、風!」と、前方を気軽い調子で歩むリースが、小気味の良い歓声を上げた。
市長の厚意によるところの、宿所へ向かう道中のことである。
何でも、昼間の一件に対する感謝の由(よし)、代金は不要とのことだが、葛葉としては場都(ばつ)が悪い。
妙なところで気が小さくなるのは、血胤(けついん)による性分か。
一方で、先々をゆく連れ人はと言うと、こちらはさすがに肝が据わっている。
『いいじゃん! せっかくのご厚意なんだから、断ったら逆に失礼だよ!』との事だった。
こういった奔放(ほんぽう)な生き方は、ざっくばらんな当世によく馴染む。
甘え上手な者ほど長生きできるのは、いつの世も変わらない。
「お月に兎がいるってホントかなぁ?」
「ん……、どうだろ?」
羽色の瞳を純真に飾り、満身を使って夜空を仰(あお)ぐ少女。
このリース・アダムズこそ、その道に知れ渡る名うての“猟師”であると、宴席の終盤になって聞かされた。
名(めい)と実(じつ)が混沌と込み合う時世にあっても尚、彼女の名が埋もれることはない。
果たして、どういった道々を歩めばそんな事が適うのか。 見当を得ない葛葉は、どうにもやる瀬のないものをひしひしと感じずには居られなかった。
「けど儲(もう)かっちゃったなぁー!」
足取りも軽やかに、リースが調子づいた声を発した。
件(くだん)の狼から得た代価、主に牙や爪といった即物的なパーツ類は、いまや驚くべき額の現生と化している。
「でも良かったの? あの狼、逃がしちゃって」
「まぁね」
「もっとスッゴいお金になるんだよ? 骨とか、毛皮とか」
「ん。 そういう話は他所(よそ)でしなさい」
葛葉とて、俗気に塗(まみ)れることをべつに忌避している訳ではない。
なにかを苛(さいな)んで得た金で、おもしろ可笑しく暮らす。
こんな御時世だ。 それも良いだろう。
ただ、そういった勘定高い物事に触れるのが、何となく厭(いや)だったのだ。
「腕、だいじょうぶ?」
「あん……?」
煤(すす)けた夜風を浴びながら、ぼんやりと歩を進める葛葉に対し、リースが思い出した様子で問いかけた。
その眼はひどく真っ直ぐで、これが当て推量でないことはすぐに知れた。
「大丈夫って、なにが?」
「うーで! 折れてるよね?」
「ん……」
傷(いた)めた腕に、これといって腫れは出ていない。
無花果のように変わり果てた表皮の色合いは、神威の塗膜で誤魔化している。
「なんで分かった?」
「ビミョーに庇(かば)ってるもん! ずっと」
「いやでも、骨が折れてるかまでは」
「打ち身と骨折はぜんぜん違うよ?傷(や)った人見てると。 あのね、打ち身はクイッていう感じで、骨折はカタカタっていう感じ!」
「なんじゃそら?」
笑いはしたが、さすがに良い眼をしているなと感心した。
ますます以(もっ)て、この娘の道程が気に掛かる。
「クズはさ? なんで旅をしてるの?」
そう考えた傍(そば)から先手を打たれ、葛葉は勢いあまって吹き出した。
「訊(き)いちゃ悪かった?」
「まぁ……、お前さんと同(おんな)いような感じじゃない?」
「む? そっか」
それきりリースはお喋りを控(ひか)え、黙々と歩むことに専念した。
前をゆく小さな背中。 ほそい首筋。
彼女の本性を知るには、仙力に頼むのが一番はやい。
それで万事解決。 当面の疑問も晴れる。
世間に名を売るほどの“猟師”が、なぜ未(いま)だに天の船賃を獲得し得ないのか。
「人間(ヒト)って哀しいね?」
「あ……?」
ふと後ろを返り見た彼女が、か細く笑むような仕草で言った。
その声はまこと可憐(いじら)しく、その表情はまことに儚(はかな)げで、先までの印象とまるで合致(がっち)しない。
「ヒトは、哀しい……?」
「ん……」
ゆえに、葛葉は最善の応じ手をすぐには思い得ず、かの台詞を諳(そらん)じることで精一杯だった。
そうする内、リースはまた同じ表情で笑い、ふと空を仰(あお)いだ。
「だから、ヒトは宴会や乾杯をするの?」
「………………」
思うところはある。
この世界は、すでに終わった後の世界であり、壊れた後の世界なのである。
新たな世が始まるまでの、つなぎに等しい邯鄲(かんたん)の夢。
自分の役目を思い、父から継いだ性(さが)を思う。
止(とど)めの刃(やいば)とは、言い得て妙だ。
過分の祝(ことほぎ)と呪(かしり)を得て、この世に成就した天国作刀の真実を思う。
あぁ……、古桜(いにしえさくら)の下(もと)で自刃を遂げる姫君とは、果たして“じぶん”の事だったか。