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都の南東、大きく張り出した山嶺の麓(ふもと)に、ホテル・グランド央都は大々的な看板を掲(かか)げている。
この辺りは手つかずの自然も多く、気忙(きぜわ)しい都心の景気を忘れるには、打ってつけの好立地だった。
ただ、敷地面積が尋常ではなく、山嶺に植(う)い生(は)える樹木の一株一株が、すなわち当ホテルの毛髪に似つかわしい。
“この土地に入(い)っては、木の葉一枚・石ころの一つでさえ、掛け値なくグランド央都の持ち物である”
そういった金言が、有り体(てい)に罷(まか)りとおる始末だった。
「ここ? 本当、ここで合ってる?」と、最前から葛葉が念を押すのも無理はない。
とてつもない規模の敷地内に、メインとなる全室スウィートの宿所。 各種レジャー施設。 球技場に遊園地まで完備。
さながら一大テーマパークの様相を呈するその場所は、単に宿を目当てで訪れるにはいささか体裁(ていさい)を欠くような。
「ん。 その筈(はず)だけど」
「ホントに? 何かの間違いってことは」
「んー……。 あ!あれ見て! スッゴいよ!?」
こちらは相変わらず、快気を全面に押し出したリースが、まさしく子どものように跳び跳ねている。
その模様はまこと豪胆で、葛葉はいよいよ己の肩身が狭くなる思いだった。
もちろん、これでも一端の姫だ。
国に帰れば瑞(みず)の御殿(みあらか)があって、城を建てよ・町を作れの言い付けが、有り体にまかり通る環境にある。
もっとも、それはあくまで立場上の権能や便宜に等しいものであって、そういった事柄を額面通りに実行する度量とはまた別の話だろう。
あれはいつの事だったか、人に頼らず手ずからメルヘンチックな城をぶち建てたところ、妹にひどく呆れられた覚えがある。
「お待ち申し上げておりました」と、間もなくエントランスから支配人が現れ、二名を品良く歓待してくれた。
一流のホテルマンだけあって、どこから見ても隙がなく、ピカピカに洗練されている。
これではむしろ、客のほうが畏まってしまうのも道理だろうか。
しかし、そこはさすがに世慣れた勤労者。 低頭の案配を程々にして、客に余計な負担が及ばぬよう気を配っているようだった。
「ここ……? ホント、ここです?」
「おー!? すごい!」
「お気に召して頂けますか?」
彼の案内で二名が通された部屋は、最上階のロイヤル。
広々とした室内でまず思うのは、壁が驚くほど遠くにあるということ。
無理なく組み込まれた調度品はどれも一級に足る品々で、最奥の壁にはこれまた高そうな絵画が配(あしら)われている。
天井のシャンデリアに至っては、総ダイヤモンド製という謳い文句に比して、実用面に関しては疑問を抱(いだ)かざるを得ないものだった。
迂闊(うかつ)なことはできない。 なにせ無料だ。
「ホント、いいのかね?」
支配人、それにポーターが下がった後の巨室にて、葛葉は恟恟(きょうきょう)として息をついた。
「だいじょぶだって! リラックス!」
応じるリースに気負ったところは無く、底抜けに明るい顔色は変わらない。
「それよりお風呂行こうよ! 温泉だって温泉!」
「ん……」
斯(か)くして、二名は汗を流すべく大浴場へ。
その風呂というのがまた、贅(ぜい)の限りを尽くした一大物で、片や葛葉は度肝を抜かれ、片やリースは大いに喜んだ。
浴場を後にして、部屋へ戻る道々のこと。
本来、疲れをとる筈(はず)の風呂で、さらなる草臥(くたびれ)を得ることになろうとは、さすがの葛葉も考えが及ばない。
体の芯に容易には冷めそうにない火照りを感じるのは、先の泉質だけが原因という訳ではなかろう。
広々とした廊下に、ごくごく自然な有様で居並ぶ彫像。
クッションのように柔らかで、厚みのある赤絨毯。
真新しい桧材(ひのきざい)が馨(かお)る渡り廊下は、ライトアップされた新緑と四季の花々を擁(よう)する中庭に臨み、ほのぼのとした旅心地を盛り立てるものだった。
枝葉の向こうによくよく目を凝(こ)らすと、爽快な瀧が垣間(かいま)見え、夜半の静寂(しじま)を点々と打っていた。
「クズ、顔色悪くない? もしかしてお風呂嫌い? 日本人なのに?」
「や、そういう事じゃないんだよ……」
場違いという言葉は、もう散々にも反芻(はんすう)して久しい。
貧乏性の自覚はないが、自分の居場所として、このホテルは余りにも相応(ふさわ)しくないような。
「お……?」
救いをもとめる心持ちで視線をそぞろに翻(ひるがえ)したところ、廊下の先に誂(あつら)え向きな人物像があることを知った。
どうやら先方も客のようだが、お世辞にも身形(みなり)が良いとは言えない。もとい、一級のホテルには相応(ふさわ)しくないように見えた。
天辺(てっぺん)を擦りそうな長身に、すっかりと色の褪せたコート。 ヨレヨレの中折れ帽子を目深(まぶか)に被(かぶ)っている。
「………………」
「どした? クズ?」
当初こそ、仲間を見つけたとばかりに逸(はや)ったが、落ち着いて見れば、かの男性の佇(たたず)まいは何とも妙だ。
まるで、世界の懐(ふところ)にまぎれ込んだ異物。
そこに在ることが、何かの手違いであるかのような異質さを、満身から燻(くゆ)らせている。
「………………」
互いに歩を緩(ゆる)めず、互いに触れ合うほど近くを通り、事もなくすれ違う。
祭祀(さいし)に関わる専業か。 合香(あわせごう)を煎じつめたような薫香(くんこう)が、男性の身柄からかすかに馨った。
「ねぇねぇ!」と、程なくエレベーターに到ったところ、肩先に縋(すが)るような仕草をして、リースが遠慮なく言った。
「さっきの人、ばっちぃ格好だった!」
「うん……」
「あんな感じでも大丈夫なんだ? このホテル」
「ね? ホントに」
応じる葛葉は、生返事を絵を描いたような受け答えしか出来ない。
きっと、リースは気付かなかったのだろう。
あの男の眼。 あれはそう、殺生を何とも思わぬ人種のそれだ。
他者を傷つけ、他者を殺めようとも、びくとも動じないであろう瞳の底。
もちろん、当世にはそういった輩(やから)がゴロゴロとしている。
こうまで天下麻のごとく乱れては、それも道理と言わざるを得まいが。
しかし、すれ違いざまに葛葉を睨(ね)めつけた眼(まなこ)の気色は、世間並の殺気とは、大きくかけ離れていた。
あれはまるで、言葉には尽くせぬ私怨を滾(たぎ)らせるような。
「あぁ、くそ……」
「どした? 大丈夫?」
「ん……」
やはり、人前に姿を曝(さら)したのは不味かったか。
面倒事が起きなければ良いがと、葛葉は重ねて息をついた。