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丸めたティッシュをゴミ箱へ放り入れた後、下着をつけてベッドの縁に腰掛けると、タバコを一本とって銜えた。ベッドの真ん中では、うつ伏せになった阿部がはぁはぁと背中を小さく膨らませながら息を整えている。そんな姿を視界の端で捉えながら、身体は急速に熱を下げていた。思考が、どんどん冷静になっていく。まるで、獣のように互いを求めあっていた今までのことなんて、全部夢だったかのように。けれど、阿部の背中にじわりと浮かんだ汗が、先程までの情熱が確かに現実だったことを物語っていた。
低く振動する空調の音に、微かな、本当に微かな熱をはらんだ空気が、徐々に薄れ、消えていく。
この瞬間が、嫌いだ。
だから俺は、行為が終わるとすぐにタバコを銜えることで、気を紛らせるのだ。
この感情を言葉にするのならば、虚しい、とか、そんな感じになるのだろうか。今日は特に、その感が強かった。理由なら、なんとなくわかっていたけれど。
「ひ、かる…水、取って」
やおら起き上がった阿部が、気だるそうに掠れた声で言った。水。視線を動かし、要求されたものをテーブルの上に見つける。俺はタバコを銜えたまま軽く腰を浮かせて、半分ほど中身の残ったミネラルウォーターを取り上げた。
「ほら」
「あ、りがと…」
差し出したボトルを受け取りながら、ちいさく眉を顰める阿部。いたた…と、聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
阿部はそれから疲労の滲んだ息をひとつ吐きだすと、キャップを外したボトルに口をつけ、残っていた水を一気に飲み干した。ゴクリと音を鳴らして白い喉仏が大きく波打つ。飲みきれなかった水が一筋、阿部の口の端から胸元まで滑り落ちていくのを俺は自然と目で追っていた。胸の奥が、チリリと、焦げ付くような感覚。
「………」
タバコをもみ消して、阿部へ向き直る。俺はぽつりと口を開いた。
「良かったな」
「え…?」
空になったボトルのキャップを閉めながら、阿部が顔を上げた。ぼんやりとした、無防備であどけない2つの瞳が、ゆっくりとこちらに向けられる。俺はそんな透明な瞳を前にほんの少しだけ躊躇った後、早口に続けた。
「目黒だよ目黒。あいつ、別れたんだってな。お前も、本命作らず待った甲斐があったじゃん」
言いながら、全くおかしくもないのに口許が笑みで歪むのがわかった。それは、ずいぶんと下手くそな笑顔だったんじゃないだろうか。
途端に、阿部の瞳が光を無くしてゆらりと揺らいだ、ような気がした。すぐに俯いてしまったせいで、俺にはよくわからなかった。目を細めて、さらりと降りた前髪の奥を窺う。
「どうした?」
と、俺が尋ねるのよりも早く、阿部は立ち上がり、ベッドの下に脱ぎ散らかされた洋服をかき集めはじめた。
「阿部?」
再度、呼びかけてみる。阿部は答えないで、乱暴に洋服へと袖を通し、まさしく身につけただけという態で、襟元が内側へ折れ曲がっているのや、裾にかけての形がよれて崩れているのも構わないで部屋を出ようとしていた。と、ドアに手をかけてからこちらを振り返る。俺を一瞥するその眼差しは暗く濁り、微かな怒りが感じられた。
「…さいていだ」
「はぁ?」
最低、確かにそう形どった阿部の唇からこぼれたのは、俺に向かって言っているようにも、ひとり言のようにも聞こえる言葉だった。