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「そんな必死に否定しなくても……ふふ、やっぱり会社では秘密にしてる感じかな?」
「……っ……」
あまりに見透かされていて、返す言葉も見つからない。
完全にバレてる……。
そんな言葉が頭の中をぐるぐる回る。
俺の羞恥心は頂点に達し、全身が熱くなる。
しかしもう誤魔化すことも出来ず、恐る恐る顔を上げる。
するとそこには楽しげに笑う彼の姿があり、俺は呆然としてしまった。
「そ、そうです。」
消え入りそうな声で答える。
「そっか〜烏羽も隅に置けないねぇ」
「……え?」
思わず聞き返してしまうと、彼はニッコリ笑って言った。
「だってアイツ、昔から本命にはとことん甘いヤツだったからさ。…ま、本気になればなるほど壊れるタイプでもあるし」
ぽろっとそんなことを言われて俺の心臓がドクンと跳ねた。
その言葉が、俺の胸に深く突き刺さる。
「……え……?」
思わずペンを持ったまま手を止めて見上げると
狩野さんは悪戯っぽく笑って言葉を続ける。
「烏羽って恋人にだけ見せる顔があってさ。すげー優しい顔するんだよ。あれ、俺にも見せたことないくらいで」
「し、主任が……?」
俺は信じられない思いで呟いた。
尊さんが、俺にだけ見せる顔……?
「うん。だから今日ここに君が来るって聞いたときはあいつが惚れるってどんな美人なのかなーっと思ったら、キミだったからびっくりしてね」
「……っ……!」
俺の頬がどんどん熱くなっていくのが分かる。
尊さんが、俺にだけ……優しい顔をする……?
信じられないような、それでいて
いつもの優しい対応や、隣にいる時に感じる温かさを思い出してしまう。
その言葉が、俺の心を甘く、そして複雑な感情で満たしていく。
「毎日舐められてたりして」
「なっ…!?」
俺が驚いて顔を上げると、彼はニッコリと笑って言った。
「だってキミらケーキとフォークでしょ?」
「そ、そうですけど、そういう雰囲気なったときにちょっと耳舐められるだけですよ……!」
俺は、思わず口走ってしまった。
その瞬間、顔がさらに真っ赤になるのを感じる。
「へえ?烏羽ってばだいぶ草食になったね。それともキミに遠慮してるのか」
「えっ?」
俺は、狩野さんの言葉の意図が掴めずに首を傾げる。
「フォークとケーキなんてその名の通り捕食者と非捕食者だからね」
狩野さんは、楽しそうに言葉を続けた。
「いくら恋人関係でも一歩間違えたらフォークなんて即逮捕されることもある」
「そんな……主任は、そんなことしません……!」
俺がムキになって反論すると、彼は面白そうに笑った。
「ふふ、少し悪戯が過ぎたかな。悪いね」
「お、俺こそ急に声を上げてしまってすみません…」
俺が頭を下げると、狩野さんは
「律儀な子だね」と言って、言葉を続け
「ま、俺も雪白くんみたいな可愛い子、嫌いじゃないけどね」
と俺の頭をポンポンと撫でながら言う。
その仕草がなんだか尊さんに似ていてドキッとする。
しかしすぐにハッとして、慌てて頭を振って振り払うと
「ふふっ、もう烏羽に躾られてるのかな」
そう言って、狩野さんは立ち上がった。
「とにかく、契約は成立ってことで。これから、よろしく頼むよ、雪白くん」
「……は、はいっ!こちらこそ……よろしくお願いします…っ」
すると狩野さんが俺の耳元に顔を近づけて囁くように言った。
「そーだ、キミがもし烏羽と別れたら……俺のところにおいでよ」
その声は、俺の鼓膜を震わせる。
「……え?」
思わず聞き返そうとすると、彼はニッコリと笑って言った。
「なんてね。それじゃあ、また。烏羽にもよろしく頼むよ」
「は、はい、ありがとうございました。失礼します」
最後に狩野さんが笑ってそう言ったとき
俺は笑顔を作ったまま、どこか遠くにいるような気分だった。
社長室を出て、エレベーターに乗る。
その間も、狩野さんの言葉が俺の頭の中をぐるぐると巡っていた。
──本気になればなるほど、壊れるタイプでもあるし。
先ほどの会話が耳に残っていた。
軽口のようでいて、なぜか妙に心に刺さる言葉だった。
社屋を出て、駅に向かう途中
真っ白な夏の陽射しが照りつけているのに、肌の奥がひやりとしている。
アスファルトの照り返しが眩しい。
電車に乗っても、手帳を開いて見直しても
狩野さんの声が反響するみたいに離れなかった。
(……壊れる、って……何が……?)
尊さんが壊れるなんて、想像もつかない。
いつだって冷静で、どこまでも的確で
俺の前では圧倒的に強い人だ。
けれど、あの人のことを昔から知っている狩野さんが言うなら──。
ふと、尊さんがたまに見せる深く思い詰めたような沈黙を思い出した。
心臓がまた、ドクンと脈打つ。
早まる呼吸を抑えるように、スマホを握りしめた。
契約書にサインを済ませ、名刺交換と形式的な挨拶も滞りなく終えた。
商談は終始和やかで、成果としては上出来だ。
きっと尊さんも褒めてくれる。
……それなのに、なぜか足取りが妙に重かった。
きっと俺は今、とんでもなく動揺した顔をしてる。
くだらないことに翻弄されてると思われたくないのに。
なのに、それでも──
会社が近づくにつれ、胸のざわつきは寧ろ強くなっていく。
何かを見透かされるようで、怖い。
でも、もしも、もしも本当に──
尊さんが“壊れる”ことがあるなら
そのとき俺は支えられる側じゃなく
支える側でいたいと思った。
その決意が、俺の心に静かに、しかし確かに芽生えていた。
◇◆◇◆
数十分後…
企画開発部のフロアに戻ると、いつもの空気に包まれて少しだけ呼吸が整った。
キーボードを叩く音
電話の応対
同僚たちの話し声。
日常の喧騒が、俺の心を落ち着かせる。
けれど、尊さんの席が目に入った瞬間
胸がドクンと鳴った。
狩野さんの言葉がまだ頭の奥で反響していた。
しかし、契約は取ったのだ。
報告はちゃんとしないと。
そう自分に言い聞かせながら、俺は尊さんのデスクに向かう。
一歩一歩、足を進めるごとに、心臓の鼓動が早まる。
「……ただいま戻りました」
声が思ったよりも小さくなってしまった。
尊さんは手を止めて、こちらを見上げる。
その視線が、俺の心を射抜くようだった。
「おつかれ。商談の結果は?」
「……はい。契約、無事に取れました」
できるだけいつも通りの口調を心がけて言うと
尊さんはほんの一瞬、口元を緩めた。
そのわずかな変化に、俺の胸に安堵の波が広がる。
けれどすぐに視線が鋭くなる。
「狩野のとこだろ。何か言われたのか?」
図星すぎて、俺は思わず息を呑む。
顔から血の気が引いていくのを感じる。
俺はごまかすように視線を逸らしながら首を横に振った。
「……いえ。ただ、主任と知り合いだったって聞いて、ちょっと驚いただけで……」
「そうか」
短く応じる声が、いつもより静かだった。
その静けさが、かえって俺の不安を煽る。
そして──わずかに間があってから
尊さんは立ち上がった。
その動作一つ一つが、俺の心を緊張させる。
「……給湯室、空いてるか。少し話そう」
「……えっ」
なぜか逃げ出したいような気持ちが湧き上がる。
尊さんの表情は読み取れない。
でも、目をそらせなかった。
たぶん、尊さんも感じ取ってる。俺の心の揺れを。
◆◇◆◇
給湯室にて──…
中に入ると誰もいなく、壁の電気をつけると尊さんは
「適当に座ってろ、今コーヒー出してやる」
と言って背中を向けている。
「あっ、ありがとうございます」
「砂糖5つか?」
「は、はい!」
「わかった」
そして数分後
尊さんがコーヒーを持って俺と横並びに座ると、2人きりの室内に沈黙が流れる。
淹れたてのコーヒーの香りが、張り詰めた空気の中でわずかな安らぎを与えてくれる。
しかし、その香りにすら
俺の胸のざわつきは収まらなかった。
「……で?何があった」
先に口を開いたのは尊さんだった。
その声は、いつも通りの落ち着きを払っているように聞こえるのに
なぜか俺の心臓を直接掴まれたような錯覚に陥った。
彼の視線が、まるで俺の心の奥底を見透かすように、まっすぐに俺を射抜く。
「なにがって…」
俺は咄嗟に言葉を濁そうとした。
狩野さんの行動や言葉が頭の中で反芻していた。
頭を撫でられたこと
ネタなのだろうが、口説き文句を言われたこと
そして不穏な言葉の数々…
それを尊さんに知られるのが怖かった。
知られたら、この穏やかな時間が壊れてしまうのではないか
彼に余計な心配をかけてしまうのではないか、と。
「せっかく一人で契約が取れたってのに、あんまり嬉しそうじゃなかったからな」
彼の言葉は、俺が必死で取り繕おうとしていた平静さを、あっという間に打ち砕いた。
尊さんの声は、静かでありながらも確信に満ちていた。
彼は、俺の些細な変化も見逃さない。
俺の隠しきれない動揺を、彼はきっとずっと感じ取っていたのだろう。
隠し事が得意ではない俺は
その鋭い指摘に、どうすることもできずにただ息を呑む。
「っ……」
尊さんは俺が動揺してるのを見透かすように見つめてくる。
その視線に、俺の感情は激しく揺さぶられた。
喉の奥がひりつき、言葉が詰まる。
どうしてこんなにも、この人の前では全てを見透かされてしまうのだろう。
隠し立てしようとすればするほど、その動揺が尊さんに伝わってしまうのが分かった。
給湯室の白い壁が、まるで俺の心の迷いを映し出しているようだった。
成功したはずの商談
サインした契約書
それらは本来、喜びと達成感をもたらすものだったはずなのに
今はただ、重い鉛のように俺の胸にのしかかっていた。
狩野さんの言葉が、俺の心に深く根を張り
全ての感情を濁らせていたのだ。
尊さんの瞳は、俺の嘘を見抜こうとしているかのようだった。
彼の優しさに触れるたびに、俺はもっと強く
もっとしっかりした人間になりたいと願う。
朝の出来事でも、結局彼に守られてしまった。
今度こそ、彼に心配をかけたくない。
なのに、俺の心の弱さばかりが露呈していく。
「何かあったんだろ」
尊さんの声が、さらに静かに
しかし有無を言わせぬ響きを帯びて俺に迫る。
その問いかけは
俺の心の奥底に閉じ込めていた不安や恐怖を、容赦なく引きずり出そうとしているかのようだった。
「……雪白、教えてくれ」
逃げ場はない。
この人の前では、どんな取り繕いも無意味なのだと、俺は改めて思い知らされた。