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ふと、夕飯を作っている時に気が付いた。喉をやられた。
勘づいた時点で、もう気のせいだとかを疑うことは諦めてる。
昔から体が弱いせいで、風邪のひき始めなんかはわかるようになってしまった。このクソ忙しい時にやってくれたなぁバイ菌!
とはいえ、どうすれば自分が回復するのか、やるべきことをやるだけだ。
「あー……だる」
火を止めて、買い出しの準備に取り掛かる。
戸棚の薬箱に常備している薬はまだ十分にありそうだ。蜂蜜は……買い足しておこう。喉をやられた時に何かと使える万能アイテムなので。
食べ物に関しては、栄養のあるものを食った方がいいとか、逆に食べない方がいいとかいろんな言説があるけど、俺の場合は自分の体が食いたいって感じたものを食いたいだけ食べて治すって決めている。
せっかく今日の気分は青椒肉絲だったけど、これから悪化する体調を考えてうどんとゼリーを買っておこう。
あーあ!明日の朝は冷蔵庫の残り物を片付けちゃおうと思ってたのに!
予定が狂って物が増えるのは癪に障るけど、明日の朝何が食えるかなんて、分かったもんじゃないし、体が動かなくなる前に食いたいものを買い溜めておかないと。
丸一日は引きこもれる計画の買い出しメモを片手に、近所のコンビニとドラッグストアへ飛び込んだ。
さて、家に帰って来たので手洗いうがいで、多分もう手遅れだけどウイルスを可能な限り減らして、部屋着に着替える。
作りかけの青椒肉絲に再度火を通して、最低限の味付けをしたら炊き上がった米と一緒に頂き、とにかく早めに薬を飲む。俺は結構単純で、薬を飲んだっていうプラシーボが効くタイプなはずだから、そこまで悪化はしないはず。してくれるな。
さっさと歯を磨いて氷枕と冷えピタもセットし、準備は万端。布団をしっかりかけてベッドに潜り込む。それからマネージャーに連絡。
「少し体調を崩しています。熱はまだ出てません。把握お願いします。」
完璧だ。スマホを手放した途端、やっと、深く深呼吸が出来た。喉の奥にピリッと空気が触れて、軽い咳が出る。
「はー……しんど」
しばらく寝て、起きた時に熱が高くなってたら今週の予定を見直そう。一旦は体調の回復に努めるべき。今が踏ん張り時なんだから、無理はしてられない。本当は心の奥底で感じている不安を、グルグルと正論で言い訳がましく押し殺しているうちに、俺は意識を手放した。
ピンポーン
「…ぅん?」
ピンポンピンポーン
「う…るさ…誰ぇ…?」
ベッドからドテっと落ちるように体を転がして、えっちらおっちらインターホンまで体を引きずっていく。その間にも「ピンポーン♪」という間抜けな音は断続的に続いて頭に響く。なんかもう、単純にウゼェ。
こっちは風邪っぴきの重い体を動かして向かってやってんのに、扉の前で「待つ」という簡単な苦労もしないで何回も鳴らしやがって。
「…はい。」
怒りと喉の掠れからか、自分から生まれた声は思いの外重低音で、その瞬間にパッと「もし宅配の方だったら」という思考が浮かんで焦る。せっかく俺のために夜まで仕事をして重い荷物運んでくれたのに、お客さんから超低い声がしたら絶対不快だし怖いでしょ。うわー、やらかしたぁ。結構心に来る。ほんの些細なことのはずなのに、体調が弱ってるからメンタルまで柔らかくなっている。あー、しんどいな。
ごめんの気持ちをたっぷり込めて画面に目をやったその時だった。
「もしもーし。佐野でーす」
「……あ?」
まず耳を疑った。幻聴かと思った。だって、勇斗は絶対に来られないはずだから。今日は朝からバラエティの収録と雑誌のインタビューと撮影が立て続けに3本入ってるって。
でも、インターホンのカメラ越しにマスクをずらしてニヤッと笑う姿は確かに勇斗で。
「え?なんで…?」
「声カッスカスやん、大丈夫そ?欲しいもんとかあったら届けよっかなって思ってたんだけど、連絡つかないから突撃しに来た」
「あー…それはごめん、上がっていいよ」
連絡がつかないと言われては、非は確実にこちら側にある。いくら勇斗が相手だからって、親しき仲にもなんとやら。入れたくないとか不義理なことは出来ない。
ロックを解除して、リビングのソファで勇斗を待つ。体調が良ければ、俺のうちなんだからもてなしたい気持ちはあるけど、今はソファで体を90度にすることが関の山。寝て待ってないだけ褒めて欲しい。
「おじゃましまーす」
「ごめん、ありがと勇斗」
「全然。なんか食いたいとかある?好きそうなものいくつか買って来たけど。」
そう言いながら並べられたのはデパ地下のちょっと良いジュレの入ったゼリーや、大好きなケーキ屋さんのエクレア、喉に良いらしいハーブティーのティーバッグ。
コイツ、マジか。え?ちょっと風邪気味なだけでこんな入院並みの手土産なの?どうせなら体調万全の時のご褒美として食べたいくらいの品々だ。
「今食べれなそうなら冷蔵庫入れちゃっていいし。薬とかでいるものある?」
さも当然ですけど、みたいな顔で続ける勇斗に唖然。ちょっと待ってくれよ、なんかこう、感動を咀嚼する時間がなさすぎる。
「いー…まのとこ大丈夫」
「そっか、俺今日夜はオフだから。明日も午後からだからなんかあれば連絡して。無理させてわりぃ」
やっと捻り出した一言に、やっぱり勇斗はすぐさまカッコ良すぎることを返して帰り支度に取り掛かる。
待って待って。そうじゃないって。そうじゃなくて。
「ねぇ!…コホッ」
勇斗が手を止める。
急に大きな声を出したから少しむせた。近づいてくれようとするところを手で制して、落ち着いてからまっすぐ見据えた。
「……まだ居て?」
急に来て、すごい土産と心遣いを貰って、はいそうですかお帰り下さいってできるわけがないだろ。聞きたいことたくさんある。
俺の視線から逃げるように、勇斗はふいと目を逸らしてしまう。
「仁人、1人の方が休めるでしょ?」
「やだ、帰ってほしくない」
「顔真っ赤じゃん、キツイでしょ」
「だいじょうぶ、いてほしい」
気持ち的には、一進一退の攻防戦。俺が勇斗から目を逸らしたら、負け。
「………。」
「………。」
「……………。」
「……………。」
「はぁ〜〜〜。分かった、いるけどさ、寝て?絶対無理しないで」
とうとう折れた勇斗に心が弾む。瞬きせずに耐えてたから目がカピカピだ。
「あぁ!大丈夫大丈夫!全ッ然寝るから!」
こういう時だけ変に強気なの何?なんてブツブツ聞こえる文句には聞かないフリ。とにかく勇斗がなんで来れたのかとか、色々話したいことがたくさんあるんだから。
ほら、早く!
来る時は果てしなく感じた玄関から寝室までの道のりが、嘘みたいに数歩で着いた。大して広くもない一人暮らしの部屋。そりゃそうなんだけどね。
「やっぱ綺麗にしてんね」
「今は割と物多いけどね。まあ、熱出るって思った瞬間に書類とかは片したよね。絶対汚すし」
「熱出た時に気にすんのそこ?」
勇斗に手近にあった椅子を用意して、自分はベッドに潜り込む。さっき寝ていた時よりも、空気が2℃くらい上がった気がする。やっぱり勇斗って色んな意味でアツい。ほぼ暖房器具みたいなもんだ。松岡修造さんにはまだまだ届かないけど。
「なんで来れたの?今日仕事3タテじゃなかった?」
「あー……。」
「…え、無理させた?」
「うっそー!全然巻いただけ」
「ほんと最悪、だるいわお前」
拗ねたふりをして掛け布団を頭まで被ってやろうとすれば
「ごめんて、暑くなるでしょ」
下げられた布団から目線で抗議を続ければ
「なぁに、可愛い顔してどうしたの」
普段の楽しいじゃれ合いだけど、いつもの数倍甘い勇斗の言葉で溶けるように、だんだんと体の力が抜けていく。
「お見舞いなんてさ、初めてされた」
「俺も初めてだよ、人のお見舞い」
うそつき。人情にアツくて誰に対しても気が良い勇斗なんだから。友達がいない俺とは違うでしょ。
案の定、勇斗は視線を合わせてくれない。それでも、勇斗なりの不器用な優しさに少しむず痒くなる。
「なんで今日は来てくれたの?」
「んー、ほら、風邪引かないように色々対策してたのも知ってたしさ、凹んでないかなって。」
「…そんなんで凹まねーよ」
「うそつけお前、絶対メーワクかけるわーって凹んでたっしょ」
図星。でも、勇斗がカラッと笑い飛ばしてくれるから、押し込めた不安はポンッと弾けて消えた。そんなことより、見透かされたことの方がちょっと悔しくて寝返りを打つ。
柔らかくてたわいのない話が続くたびに、マットレスに熱が落ちて、心地よく瞼が重くなる。
勇斗はそっと、部屋の照明を一段暗くした。
「お前、ほんとーに体弱いんだね」
「…うん、どうやらね」
「でもいつも通りで安心した」
「慣れちゃってるから」
勇斗の大きく骨張った手のひらが、おでこに当てられる。
「頑張ってんだよなー、仁人」
少し冷たい勇斗の手が心地いい。ほっぺたや、首の周りはなおさら。
「なに?褒めてんの?」
「褒めてるよ」
「ああ、そう、ありがとう」
優しい視線を感じながら、少し、勇斗に体温を預ける。移したくないなら本当は距離を取るべきなんだけど、勇斗は体が強いから。片手くらいなら甘えさせてもらおう。
「勇斗。」
「ん?」
ほっぺたに添えられた右手に俺も左手を重ねる。一瞬、ピクッと跳ねた指先をしっかりと捕まえて、まっすぐに伝える。
「来てくれたの、嬉しい」
「…!」
途端に顔がクシャッと縮まって、せっかく捕まえていた右手は逃げられた。
あー、これだから勇斗って愛おしい。力のこもった顔の中心が、薄暗い中でもわかるくらいほの赤くなっている。
「お前さぁ……」
「本心だって」
笑いを堪えようとして声が震えるから、勇斗にいっそう睨まれる。あー、面白い。
もっと勇斗の顔が見たくなって、電気を明るくする。
「あっ!まぶしっ!」
攻撃を喰らったみたいに両手で顔を隠すけど、その手が赤いんだからなんにも隠れてない。
西日はとっくにビルの中に沈んで、もうすっかり夜景に変わっている。
「そろそろ帰る?」
「仁人が良いなら?」
「元気出たよ、ありがと」
「寝てって言ったのにお前ずっと喋ってたからね」
「体勢は寝てたから」
実際、喉の痛みは少し残るけど頭の違和感や体の重さは良くなってる気がする。アドレナリンが出ているだけだとしても、楽になったことは嘘じゃない。ベッドから半身を起こしても、キツくないのがその証拠。
「さっきも言ったけど、夜なんかあったら連絡して良いから」
「おう、サンキュ。」
最後の最後までちょっと過保護で男前だな、この男は。
帰り支度に取り掛かる勇斗に合わせて、俺も勇斗に出した椅子を仕舞おうとベッドから乗り出した時。
「いやー、仁人から直接連絡なんて相当ヤバいのかなってビビったけど、この調子なら安心だわ」
「………え。」
ちょっと待って、俺は、マネージャーにしか連絡してないはずだ。
嫌な予感がして、充電コードに繋がったスマホを手繰り寄せる。パッと点いた画面の光が目にギャンッと入って来て痛い。
目を細めながら緑の吹き出しのアイコンをタップすると、ついさっき送ったメッセージがそのまま現れた。その左には小さな文字。既読4。
グループ名は、M!LK(5)。
「ああーーー!!!!」
「やらかした?やっぱやらかしてるよな?」
ケラケラと顔をクッシャクシャにして笑う勇斗に、俺は頭を抱えることしか出来ない。
「ま、仁人のマネージャーには俺らから連絡したから、大丈夫っしょ。それより…」
ピンポーン♪
「同じこと考えてるでしょ、アイツらも」
インターホンには、ここ7年家族よりも一緒に過ごしたあまりに見慣れた3つの影。
「「「せーの、仁ちゃん!お見舞いきたでー!」」」
俺の冷蔵庫を片す計画は、当分の間お預けになりそうだ。