テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
桃赤♀️
学パロ
第1話「始まりの予告」
その日、空はいつもよりも、やけに高く見えた。
ないこは、いつも通りの教室にいた。窓際の席で、開け放たれた窓から吹き込む風に髪を揺らされながら、ぼんやりと空を見上げていた。だが、その空の向こう側に、世界の終わりが刻一刻と近づいているなどと、誰が思うだろう。
「なあ、りうら。地球、あと一週間で終わるんだってよ」
斜め前の席に座る少女。りうらは、ノートに落書きのような線を引いていたペンを止め、ゆっくりと顔を上げた。赤い髪が陽に透けて、光を帯びる。
「うん、知ってる」
彼女は淡々と答える。
「先生がさっき言ってた。政府発表もあったって」
「マジで? 俺、朝のニュース見てなかった」
ないこは軽く笑って見せたが、その声には不自然な軽さが混じっていた。
『地球衝突まで、あと七日』
原因は、突如現れた謎の天体だった。それが地球に接近していて、計算によれば衝突は一週間後。回避不能。
「死ぬって、どういう感じなんだろうな」
ないこの呟きに、りうらは肩をすくめた。
「さあ。でもさ、終わるなら一緒に終わりたいよね」
その言葉はあまりに自然で、静かで、胸の奥にじんわり染み込んだ。
りうらは「俺」と名乗る。けれど、どう見ても女の子だ。勝気で、口が悪くて、それでいて優しい。
ないこは、彼女のそんなところが好きだった。けれど、それを伝えたことはない。
どうしてかって? そりゃあ、まだ終わりが来るなんて、知らなかったから。
放課後、ないこはりうらを誘って、学校の裏の土手に足を向けた。二人だけの秘密基地。もう誰も来ないような古びた倉庫の屋根に登って、夕日を見下ろす。
「なんかさ、やり残したことない?」
ないこが聞くと、りうらは煙草の真似をしながら、息を吐いた。
「うーん……あるけど、言っても仕方ないだろ。どうせ、もう時間ねえんだし」
「でも、やれるかもしれないじゃん。最後なんだから、何やってもいいと思わね?」
ないこの言葉に、りうらが笑った。その笑顔は、泣きそうなくらい綺麗だった。
「じゃあ、お前は?」
「俺?」
ないこは、少し考えて、それから照れくさそうに頭をかいた。
「まだ……言ってないことがある」
りうらは目を細めた。「告白?」
「……かもな」
静寂が流れた。倉庫の上を、ゆっくり風が通る。
「明日、どっか行こうぜ」
りうらの声が、空に溶けた。
「何もかも忘れて、遊び尽くそう。ゲームの最終日みたいに」
「いいね、それ。じゃあ、明日9時。駅前集合な」
二人の約束が、地球最後の冒険を決めた。
その夜、ないこは眠れなかった。携帯を握りしめて、画面を開いたまま、りうらとの過去の写真を何度も見返す。
笑ってるりうら。 怒ってるりうら。 眠そうなりうら。
どのりうらも、全部「今」だと思っていた。でも、その「今」がもうすぐ終わる。
「……明日、言おう」
ないこは小さく呟いた。
言わなきゃ、きっと、後悔する。
空の向こうで、神がダイスを振った。
この物語は、そうして動き出したのだった。
第2話「遊びに行こう、世界の終わりに」
翌朝、ないこは予定よりもずっと早く目が覚めた。夢の中で何度もりうらの姿を見て、何度も目を覚ました。結局、眠ったのか眠っていないのかもよく分からなかったが、カーテンの隙間から射す朝日が、現実を照らし出していた。
「あと六日か……」
制服を着る必要もない。でも、ないこは制服を選んだ。日常を壊すにはまだ早い気がした。いつも通りの格好で、いつもと違う一日を過ごしたかった。
9時。駅前。
りうらは、すでにそこにいた。いつもの赤い髪をポニーテールにまとめ、スニーカーを履き、ラフな格好で立っていた。制服じゃない。それが少し新鮮で、ないこは思わず見とれてしまった。
「……見すぎ」
りうらは口を尖らせる。
「いや、似合ってる」
ないこは正直に言った。彼女の目が少しだけ泳ぐ。
「そ、そっか。ありがと」
ぎこちない空気が流れた。けれど、それもまた今しか味わえないと思うと、ないこは胸が少しだけ熱くなった。
「どこ行く?」
「映画館、遊園地、水族館……」
「選べないな」
「なら、全部行こうぜ」
地球最後の遊び尽くしが、始まった。
まずは映画館。入場者はほとんどいない。エンドロールの後、二人は拍手を送った。「何に対しての拍手だよ」と笑い合う。
次は遊園地。ジェットコースターに三回も乗った。観覧車では、会話が止まった。天辺で、ないこは少しだけ、りうらの手に触れた。
「ごめん。ちょっと怖かった」
嘘だった。
最後に水族館。クラゲの前で立ち止まるりうら。
「光ってるのに、なんか寂しそう」
「地球も、こんな風に見えるのかな」
帰り道、コンビニでアイスを買って、並んで歩いた。
「楽しかったな」
「うん。すげー楽しかった」
「まだ明日もある」
そう言って、りうらは笑った。その笑顔を、ないこは焼きつけるように見ていた。
そして、別れ際。
「なあ、りうら」
「ん?」
「明日も会ってくれる?」
りうらは少しだけ黙ってから、頷いた。
「もちろん」
そして去っていく背中に、ないこは小さく呟いた。
「言えなかったな……」
伝えたい気持ちは、まだ胸の中。
空のどこかで、また一つ、神のダイスが転がった。
第3話「言えなかった言葉、伝えたい想い」
次の日。空は青く澄んでいたけれど、その青さがどこか痛々しい。まるで、その透明な色の奥に、確かに“終わり”が待っていることを思い出させるようだった。
ないこは、りうらとの待ち合わせ場所に向かう途中、ポケットの中で小さく拳を握った。
──今日こそ言う。今日じゃなきゃ、もう言えないかもしれない。
だけど。
「よっ」
軽やかな声と共に、りうらが現れると、ないこの決意はあっさり吹き飛んだ。
「お、おう」
昨日と同じポニーテールに、今日は少し派手なTシャツ。お気に入りなのかもしれない。ないこは、その胸元のロゴがやたら鮮やかに目に入ってきて、目線をどこに置けばいいか分からなくなった。
「今日はどこ行く?」
りうらはそう言って、くるりと踵を返す。振り返ったその横顔が、まぶしかった。
「今日は……あのさ、行きたいとこあるんだけど」
「ん? どこ?」
ないこは、ちょっと息を整えてから答えた。
「昔、二人で行った場所。海、覚えてる?」
りうらの目が、少しだけ見開かれた。
「あー、あそこか。……うん、覚えてるよ」
それは、二人がまだ中学生だった頃。自転車で迷いながらたどり着いた小さな入り江。ほとんど誰も来ない静かな海で、二人でサンダルを脱いで波に足をつけて遊んだ。夕日が沈むまで、ずっと笑っていた。
「行こう」
りうらは短くそう言った。
電車とバスを乗り継いで、懐かしい入り江に着いたのは午後のことだった。
誰もいない海。波の音と、鳥の声だけが響く。
「なあ、覚えてる?」
ないこはズボンの裾を捲り、砂の上を歩きながら話しかける。
「ここで俺、カニに挟まれたんだよ」
「覚えてるし。めちゃくちゃ泣いてたよな、お前」
「泣いてねーし!」
二人は笑い合いながら、海辺を歩いた。笑いながらも、ないこの胸の奥には、別の想いが渦巻いていた。
──今言え。言えないと、きっと一生言えない。
砂浜の岩場に腰を下ろして、二人で夕日を待った。
「なあ、りうら」
「ん?」
「……俺、お前のこと、ずっと好きだった」
沈黙。
風の音が遠くで揺れ、波の音が打ち寄せて、そしてまた引いた。
りうらは、目を逸らさずに、ないこの顔をまっすぐ見ていた。
「今じゃなきゃ、言えなかったよ」
ないこは、自嘲気味に笑った。
「もうすぐ世界が終わるってのに、何言ってんだって思うかもしれないけどさ。……どうしても言いたかった」
それでも、りうらは言葉を返さない。ただ、静かにその場に佇んでいた。
そして、しばらくして。
「俺もさ」
りうらの声が、低く、震えていた。
「お前のこと、ずっと見てた。誰よりも、お前のこと考えてた。でも、怖かった。壊れるのが怖くて……」
涙が、頬を伝った。
「お前に“俺”って呼ばれてるの、ちょっと嬉しかったんだよ。男っぽく見られるの、嫌じゃなかった。……でも、恋愛対象に入らないかもって、思ってた」
「そんなこと……あるわけないだろ」
ないこは、そっとりうらの手を取った。りうらの指が震えていた。
「お前がどんなふうに“俺”を名乗ってても、どんなふうに生きてても、そんなの関係ない。俺は、お前自身が好きなんだよ」
りうらは、泣き笑いの顔で頷いた。
「じゃあさ」
「ん?」
「明日も、一緒にいてくれる?」
「もちろん」
手を握りしめたまま、二人は沈む夕日を見つめた。
赤く染まる水平線の先で、またひとつ、神のダイスが転がった。
そして、まだ続く“最後の七日間”の中に、新しい何かが確かに芽吹いていた。
b第4話「ふたりの未来を信じて」
次の日も、空は青くて、痛いほどに澄んでいた。
地球が終わるまで、あと四日。
ないこは、朝起きてすぐにりうらにメッセージを送った。
《おはよう。またどっか行こうぜ》
既読がついたのは数秒後。
《いいよ。今度はお前の家に行きたい》
その返信に、ないこは一瞬フリーズした。
──俺んち……?
家に誰もいないことは、りうらも知っている。親はもう避難していた。政府が発表した“地球外避難計画”は実質上、金持ちと一部の人間だけのものだった。
俺たちは、その選ばれなかった側。
地上に取り残された十数億人の中の、ただの高校生。
それでも、俺たちは今日という一日を手放すつもりはなかった。
午後。
ないこの家に、りうらがやってきた。
「なんか……静かだな」
靴を脱ぎながら、りうらが呟く。
「まあな。両親、数日前に出てったし。俺は行かないって言った」
「そっか……」
リビングには、何も変わらない日常がそのまま置いてある。読みかけの雑誌、散らばったゲームコントローラー、冷めた空気。
「ここ、好きだな。落ち着く」
りうらは、ソファに体を投げ出して、天井を見上げた。
「終わりの日が近づいてる感じ、しないよね」
「うん……しない」
二人は並んでテレビをつけた。どのチャンネルも終末の報道で埋まっている。
『……地球衝突まで、残り四日と数時間。世界各国では……』
りうらがリモコンを手に取り、すぐに消す。
「ねえ、ないこ」
「ん?」
「俺たちって、付き合ってるんだよね?」
ないこの心臓が一瞬止まった。
「え、あ、うん……付き合ってる、と思ってるけど……」
「良かった」
りうらは笑った。
「だったら、今日は付き合ってる恋人同士っぽいことしようよ」
「恋人同士っぽいこと?」
「うん、なんか、普通のさ。テレビ観て、ご飯食べて、ゲームして……一緒に寝たりして」
「……寝たりって」
「別に変な意味じゃないからな。布団並べて、朝までしゃべるとか、そういうの」
ないこは頷いた。
「いいな、それ。やろう」
夕方。
二人で冷蔵庫の中を漁って、残っていた食材でチャーハンを作った。味はまあまあ。でも、二人で作ったせいか、やたらと美味しく感じた。
ご飯を食べた後は、テレビゲームで対戦した。どっちも負けず嫌いだから、異常な接戦になった。
「くっそー! また負けた!」
「お前、弱くなったなー」
「前は勝ってたのに……」
笑い声がリビングに響いた。
“終末”という言葉は、そこには存在しなかった。
夜。
布団を二つ並べて、灯りを落とす。
カーテンの隙間から月の光が入っていた。
「なあ、りうら」
「ん?」
「今さ。願いが叶うなら、何を願う?」
りうらは少し黙って、それからぽつりと言った。
「ずっとお前と一緒にいたい」
ないこは息を飲んだ。
「俺もだよ」
その後、二人は小さく声を交わしながら、眠りに落ちていった。
翌朝。目覚めると、りうらが隣にいて、安らかに眠っていた。
その寝顔を見つめながら、ないこは心に決めた。
──最後の瞬間まで、りうらと一緒にいる。
──たとえこの星が消えても、この気持ちは消えない。
この恋は、神のダイスすら超えてみせる。
残された日々を、ふたりは手を取り合って生きていくのだった。
第5話「この世界で、君と」
その日、空は少し霞んでいた。昨日の晴天とは違い、雲がうっすらと薄膜のように広がっていて、まるで世界が静かに幕を引こうとしているようだった。
地球が終わるまで、あと三日。
ないこは、りうらと手を繋いで商店街を歩いていた。まだ営業している店もあったけれど、人通りは少ない。シャッターの降りた店が目立つ。
「ねえ、アイス買ってもいい?」
りうらが急に言って、ないこは笑った。
「買えたらな。店、やってるかな」
運よく、開いていたコンビニが一軒だけあった。
ないこはふたり分のアイスを買って、店の前のベンチに腰かける。
「……なんかさ、今が永遠に続きそうって思わない?」
りうらが、アイスの棒をかじりながら言った。
「俺は、思いたい」
ないこはまっすぐ空を見上げた。
「でも、ダイスはもう振られてるんだ」
『神のダイスは、もうとっくに転がってる』──それは、世界中で語られた言葉だった。誰にも止められない運命。だからこそ、残された時間に何を選ぶのかが問われている。
夕方。二人は昔の通学路を歩いていた。学校には行かなくなって久しいが、制服姿の自分たちを思い出しながら、話が尽きなかった。
「なあ、俺さ、前に言った“やり残したこと”って、まだあるんだよ」
ないこがぽつりと言った。
「うん?」
「りうらの家に行ったこと、ないだろ。行ってみたい」
りうらは少し驚いた顔をして、それからうつむいた。
「……いいけど、ちょっと汚いよ」
「いいよ。お前のいるとこなら、どこでも」
りうらの部屋は、淡い色のカーテンに囲まれていた。壁には写真やポスターがいくつも貼られていて、窓際には育てかけの観葉植物がひとつ。
「わりと……女の子っぽい?」
ないこが言うと、りうらは照れくさそうに笑った。
「そりゃ俺、女の子だしな」
「……そうだな」
そして、ないこは真剣な顔をして言った。
「りうら。俺、お前と生きたこの時間が、どんな未来よりも大事なんだ」
りうらが顔を上げた。
「この星が壊れても、宇宙のどこにも逃げられなくても、俺は後悔しない。お前といた、それだけで、十分だから」
りうらは、唇を震わせた。
「……ずるいよ、お前。そんなこと言われたら、泣いちゃうじゃん……」
「泣いていいよ。俺が全部、受け止める」
りうらの目から、静かに涙がこぼれた。
その涙を指でぬぐって、ないこはぎゅっとりうらを抱きしめた。
夜。ベランダに出ると、空は満天の星だった。
「見て。あれが衝突するって言われてる天体」
りうらが指差した。
遠く、空の一点が不自然に光っていた。星にしては大きすぎる。
「怖い?」
「怖いよ。でも、もう怖がる時間は終わった気がする」
ないこは、そっとりうらの手を握る。
「あと三日。……俺たち、何を残せるかな」
「思い出だよ。誰かが見ていなくても、どこかに届かなくても。私たちがここで、生きて、愛し合ったっていう事実。それだけでいい」
星が、静かに流れた。
その光は、たった一秒の奇跡。
でも、それがすべてだ。
そして二人は、ただ黙って、星が落ちていく空を見つめていた。
願いごとは、もうしない。
この時間が、このぬくもりが、永遠に焼きつくようにと。
神のダイスが、またひとつ転がる音がした。
運命の終わりが、少しだけ近づいた。
第6話「それでも、生きていたい」
地球が終わるまで、あと二日。
りうらの部屋で目を覚ましたないこは、朝焼けに染まる天井を見つめながら深く息を吐いた。
「……今日も、生きてるな」
隣で眠るりうらの寝息が静かに響いている。
どこかで“地球が終わる”という言葉が、現実離れして感じるほどに、今あるこの穏やかな時間は現実だった。
「りうら、起きろ。散歩しようぜ」
ないこがそう声をかけると、りうらはうっすらと目を開け、まだ眠たげな声で答えた。
「……朝から散歩って、ジジイかよ……」
「ジジイでいいよ。生きてるうちに、やりたいこと全部やる」
その言葉に、りうらは微笑みながら頷いた。
朝の街は、静かだった。
信号機は点いていたが、車も人もほとんどいない。かつては賑やかだった交差点も、今は風の音だけが通り過ぎていく。
二人は手を繋いで、誰もいないショッピングモールの前に立ち止まった。
「なあ、ないこ」
「ん?」
「私、昨日親から電話あったんだ」
「……そうなんだ」
りうらの両親は、ぎりぎりで宇宙船の便に乗れることになったと聞いていた。避難先での生活が保証されている、ほんの一握りの人たちだ。
「“一緒に来ないか”って言われた」
ないこは息を呑んだ。
「……行くのか?」
「ううん、行かない」
即答だった。
「お前と過ごすって決めたから」
その言葉に、ないこは目頭が熱くなるのを感じた。
「でも、ほんとにいいのか? 助かる可能性があるなら……」
「助かったって、心が死んだまま生きてるのなんて、ごめんだよ」
りうらはそう言って、ないこの手を強く握り返した。
その日の午後、ないこは久しぶりに家に帰った。
父と母が残していった手紙が、ダイニングテーブルの上に置かれていた。
『ごめん。君を連れて行けなかったことを一生後悔します。愛してる。パパとママより』
ないこは無言でその便箋をたたみ、ポケットにしまった。
りうらに、家族の話をするつもりはなかった。
自分の気持ちは、全部、今ここにいる彼女に向いている。
夕方、ふたりは神社の境内に立っていた。
小さいころ、一緒に遊んだ場所。転んで泣いて、かくれんぼして、初めて手を繋いだ場所。
今では誰もいない。
「ここで、願いごとしようか」
「でも、もう神様に頼んだって――」
「いいの。形式だけでも」
りうらは賽銭箱の前に立ち、深く頭を下げた。
そして、静かに目を閉じて祈った。
ないこも、それに倣った。
(神様。俺、幸せです) (だから、最後まで、彼女の隣にいさせてください)
そのあと、二人は何も言わずに手を取り、神社の階段を下りた。
夜。
りうらが、急にポケットから小さな箱を取り出した。
「ないこ、目つむって」
「……なに?」
「いいから」
目を閉じると、手のひらに小さな重みが乗った。
そっと目を開けると、そこには細いリングがあった。
「手作りの指輪。雑貨屋にあった材料でなんとか作った」
「……これ、俺に?」
「うん。約束の証」
ないこは涙を堪えながら、リングを指にはめた。
「ありがとう……俺、一生離さない」
「一生って、あと二日しかないけどな」
「二日が永遠に感じるくらい、隣にいるから」
りうらは小さく笑って、ないこの肩に頭を預けた。
そのぬくもりは、風の音のなかでも確かだった。
世界が終わろうとしている。
だけど、この二人の“今”は、まだ終わっていなかった。
神のダイスが、またひとつ音を立てて、未来へと転がっていった。
第7話「最後の日に伝えたいこと」
地球が終わるまで、あと一日。
りうらとないこは、町外れの丘の上に立っていた。
空は、夕焼けに染まっていた。
「きれいだな」
ないこがそう呟くと、りうらは頷いた。
「ねえ、ないこ。……私、怖くないって言ってたけど、本当はずっと怖かった」
「……うん」
「でも、今こうしてお前と一緒にいられて、最後の一日を迎えられることが、……何より嬉しい」
ないこは、静かにその肩を抱いた。
「俺も、そうだよ。……ありがとう、りうら」
風が吹き抜け、二人の髪を揺らす。
丘の下では、町の灯りが一つ、また一つと消えていく。
「最後にさ、手紙を書こうと思うんだ」
りうらが言った。
「誰に?」
「未来の誰かに。もしかしたら、これが残るかもしれないじゃん」
ないこは笑った。
「そういうとこ、ほんと前向きだよな」
帰宅後、二人は並んで便箋に向かった。
『私たちは、最後まで笑っていました。』 『愛する人といられるって、それだけで人生は幸せだって、伝えたい。』
そう綴った文字は、未来に向かって静かに輝いていた。
夜。布団を並べて、手を繋いだまま目を閉じた。
「明日、俺さ。朝起きたら、りうらにもう一回、ちゃんと好きって言うよ」
「うん。私も言う」
「起きれなかったら?」
「夢の中で言う」
「夢、ちゃんと見れるかな」
「一緒に見よう。絶対に、同じ夢を」
涙は出なかった。
不思議と、もう悲しみはなかった。
胸にあったのは、感謝だけだった。
出会えたこと。 惹かれ合えたこと。 伝えられたこと。
全てが、奇跡だった。
朝。
空は、世界の終わりにしては、あまりに眩しかった。
ないこが目を覚ますと、りうらも隣で目を開けた。
「おはよう、ないこ」
「……おはよう、りうら」
「好きだよ」
「俺も、好きだ」
二人は笑い合った。
その手は、最後まで離れなかった。
空が、光で満ちていく。
耳を澄ませば、風の中に神のダイスが転がる音がした。
――神よ、この愛を記録してくれ。
そう願った。
世界の終わりの日に。
二人は、確かに生きていた。
時間は静かに過ぎていく。
昼が過ぎ、太陽が空の高みに昇った頃――遠くの空がわずかに揺れていた。
それは、人類が何年も前から“その日”だと恐れてきた光景。
外気に異常が走り、空の青がほんの少し濁る。
「……来た、な」
ないこがぽつりと呟く。
りうらは、震える指で彼の手を握った。
「ないこ……」
「怖くない。……お前がいるから」
二人は再び、丘の上に立った。
空の向こう、銀色の光の尾を引く巨大な彗星が、確かに見えていた。
人類が長い時間をかけて計算してきた“終末”が、今まさに目に映っている。
それでも――
「りうら」
ないこがゆっくり向き合う。
りうらの目には、涙が浮かんでいた。
「俺、お前に最後のお願いがある」
「なに?」
「……キスしてほしい」
風が止まったような気がした。
空の色も、世界の音も、すべてが静かになる。
りうらは、涙を流しながら笑った。
「バカ……お前から来いよ」
ないこは、ゆっくり一歩踏み出す。
そして、りうらの頬に手を添え、優しく唇を重ねた。
ぬくもり。
鼓動。
全身が、愛しさで満たされた。
それは、永遠を約束するようなキスだった。
涙が止まらなかった。
空から光が降り始めても、二人は離れなかった。
世界が終わる瞬間に、こんなにも優しく、こんなにも切ない愛があったこと。
この地球に生まれてよかった。
そう、心から思った。
「ありがとう、りうら」
「こちらこそ、ありがとう、ないこ」
その瞬間。
空が、音もなく、まばゆい白に包まれた。
神のダイスが、最後の音を立てて、静かに止まった――
そして。
それでも。
彼らの愛は、確かに、そこに存在していた。