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隼斗篇
僕に狠民の気持ちなんてわかりっこない。
僕は連中を人間だと思っていない。
やつらは恐ろしい龍の血を受け継ぐドラゴン族なのだから(義務教育でそう教わった)。
抑抑、種が違う。兎が自分を喰らう狼の気持ちなど想像したくもない。
狠民は民族を擬人化して弄ぶ。先ず建国の父は龍であるとした。
そして番号も最初の1だから、彼らの干支も龍から始まり順位は上から龍蛇馬羊猿鶏犬猪鼠牛豹兎辰巳午羊申酉戌亥子牛寅卯である。僕ら暦音は干支に因んで最下位の卯だから兎と呼ばれている。
弱肉強食で言えば食われる方の弱い肉だ。小さな鼠より下なのが悔しい。兎より耳が短いくせに、と下目に見ても虚しくなるだけだ。鼠の方が賢いから長い耳は必要ない、兎は音でしか敵を察知できない薄野呂だから耳が長くなったと揶揄され、この島は暦音と付けられたのである。「我ら狼が来ることも察知できなかった兎にせめて音を」と皮肉を込めた改称だった。
大日本帝国とも呼ばれる強国の日本人はもっと上の順位だが彼らは擬人化して呼ばれるのを嫌うので僕らは殊更口にしない。僕は正直、番号で分類された時「上等だ、おまえらと同じであってたまるか」と強がっていた。しかし中央政府の管轄する大学では徐々に狠国人講師が教鞭に立つようになり敵国の異教徒は悪だと刷り込みが繰り返され、ヘイトクライムを引き起こし兼ねない偏向した学生も増えつつある。
連合国となった狠国政府は一応各国の文化を尊重し共存する姿勢を示し、教育現場は戦後直ぐに激変する訳ではなかったが、しかし彼らは強かに連合政府を狠国当局のみで支配する仕組みに変え、数十年かけて徐々に独裁体制を敷いて行った。連合国とは名ばかりの擬制政府でしかなかったのである。
僕が幼い頃には殆ど居なかった狠国人教師が現在では義務教育の現場に従事して子どもたちに狠革命思想を植え付けている。
これに反発した保護者が教壇の横に掲げられた狠国の国旗を引き摺り下ろしたら逮捕されその後行方不明になったままだ。
店長が振り返って徐に口を開いた。
「元気ですよ」
笑顔が心から笑って見えた。
「えっ」
意味が呑み込めない僕は狼狽える他ない。
「あの時の猫くん、雄でした」
「ああ、あの猫。それはよかった」
やっと把握できた。
「お風呂に入れたら吃驚するぐらい可愛くてねえ。実は真っ白で」
店長の瞳がきらきらと見えて、僕も心持ち嬉しくなった。
「へえ、黒い猫かと思っていました。店長、本当に猫好きなんですね」
この店の前にはよく大小様様な猫が集う。小動物に心優しい店長は彼らを追い払う事はしない。
店の前に座って弁当を喰う粗野な土木作業員たちが猫に餌を投げ与え地面を汚しても店長はいつも文句ひとつ言わずに掃除をしている。
時に野良猫に話しかける店長を見かけたこともあった。彼らは土木作業員のくれる餌を求めて来るのか店長に懐いて来るのかと僕はここへ来る度に猫を観察するようになった。
先週は店の前の側溝でか細い鳴声がして穴の隙間から覗いたら小さな子猫が落ちているのに気づいた。
僕が店長に告げたら一緒に重い側溝の蓋を持ち上げ子猫を救出した出来事があったのだ。
僕は間借りで猫を飼えない事情を伝えると店長も同じ事情の借家だったが「黙ってればバレないから」と快くその子猫を引き受けてくれた。異臭を放つ真っ黒な汚泥で染まった子猫を愛おしそうに抱きしめた彼が格好よくも見えた。
「ちょっと待って」
僕は再び陳列棚に駆け寄って猫餌の缶詰をひとつ取り計算に加えた。
そして清算を済ませそれをレジ袋からまた出して店長に差し出した。
「これ、あの子猫に」
僕が先に見つけたのに保護できなかった最小限の罪滅ぼしだ。
「そんなこといいのに」
「いえ、僕からだと伝えて貰えれば・・・」
猫に謝罪の賄賂だろうか。
自分で言っておきながら少し恥ずかしくなったが店長は、
「わかりました。ちゃんと伝えておきますね」素直に受け取ってくれた。
「子猫によろしく」
伝言を頼んで僕は直ぐに出口へ向かった。
「了解」
店長が笑顔を連れて首をおおきく縦にふったのを横目に僕は小首を傾げて合図を返した。
僕は笑ってない。
僕は笑顔を何処かへ忘れている。
そう云や猫は干支になかったな。
自由なのか、君たち。