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拓真のマンションに着いた。
部屋に入ると、荷物を置かせてもらっているウォークインクローゼットでルームウェアに着替える。リビングに行くと、拓真もすでに着替え終えていて二人分のマグカップを用意していた。
「ひとまずコーヒーでもいい?」
「うん、ありがとう」
コーヒーを淹れながら拓真は私に訊ねる。
「今夜はピザ、頼んでもいい?」
「もちろんいいけど……。私、何か作ろうか?」
「いや、碧は大変な目に遭ったんだから、ゆっくりしていて。それに、今日は色んなことがあったしね。たまには楽をしよう。話しておきたいこともたくさんあるから」
「話……。そうね」
聞きたいことや確かめたいことが色々とある。
「じゃあ、注文しましょ」
私は拓真の隣でスマホを手にし、ピザのデリバリーメニューを開いた。何品か注文する。
「ソファに座ってて。コーヒー持って行くよ」
「ありがとう」
私は素直にソファに向かい腰を下ろす。彼が持って来てくれたマグカップを受け取って、口をつけた。
私の隣に座り、彼もまたコーヒーに口をつけた。マグカップをテーブルの上に置き、ゆっくりと口を開く。
「あの後のことだけど」
私はマグカップをテーブルの上に置き、拓真に向き直った。
「結論から言うと、彼は今日付けで解雇ということになった。彼はもううちの社員ではなくなったよ」
「そう……」
私は脚の上で両手をぐっと組み合わせた。今後は、少なくとも会社においては、太田の存在を恐れながら過ごす必要はなくなるのだと安堵する。
「直接的な解雇理由は君に対する暴力だ」
私の顔色をちらりとうかがい、拓真は話を続ける。
「太田には反省している様子も、君に申し訳ないことをしたと詫びるような様子も見られなかった。自分は乱暴なんかしていない、偶々手が当たったりしただけだ、なんてことを言っていた。しらを切って最後まで逃げ切るつもりでいたんだろうな。だけど今回のこと以外にも、前科とも言えるようなことを彼は過去にも仕出かしていたし、その証拠もあった。だからこういう結果になった。念のために言っておくけど、これは当然の流れであって、彼への処分に対して碧が責任を感じる必要はないからね」
「えぇ……」
彼の解雇に同情するつもりはない。ただ、責任を感じるというのとは違って、そこに少なからず自分が関わっていたと思うと、胸の辺りに重苦しさを感じる。それに、まだ一つの不安があった。太田は私を諦めたのだろうか、ということだ。
拓真は私の心中を見透かしたかのように、力強く言う。
「彼は君を諦めると言っていた。あの様子を見る限り、それは本当だと思う。仮にその言葉が嘘だったとしても、今度こそ万が一にも君に手出しはさせないよ」
「その言葉を信じないわけじゃないけど、どうしてそんな風に言い切れるの?」
「君が本当の意味で、そしてほぼ公に俺の恋人になったから――かな」
拓真の言葉を訝しみ、私は彼の顔をのぞき込む。
「『ほぼ公』ってどういう意味?」
「えぇと、それは……」
なぜか拓真の目が泳ぐ。
「拓真君、話して?」
私はずいっと彼の方に身を乗り出し、その先の言葉を促した。
拓真は諦めたよう口を開く。
「伯父と父に、言ったんだよね。話の流れでさ」
「何を?」
「碧は俺の婚約者になる人だ、って」
「え?」
「ごめん。本当なら先に碧の意思を確認すべきだったのに……」
拓真の弁解を聞いて引っ掛かりを覚える。
「意思の確認も、まぁ、そうなんだけど……」
私はこめかみの辺りを揉みながら頭の中を整理する。拓真が居住まいを正す姿が目の端に見えた。
「伯父と父って、誰のこと?話の流れって言ったけど、いったいいつどこでそんな話をしたの?」
私の表情を窺いながら拓真は答える。
「伯父って言うのは、大槻部長。父って言うのは、ここの社長のこと」
私は絶句し、彼を見つめたまま何度も瞬きを繰り返した。続いて、医務室で高階がちらと口にしたあるひと言を思い出す。私は恐る恐る訊ねる。
「拓真君って、常務なの?」
拓真の顔に苦笑が浮かぶ。
「まだ『仮』みたいなものだから、言わないでいただけで、時機を見て話そうと思っていたんだ。碧を騙していたわけじゃないことは信じて」
「拓真君が私を騙すとは思わないけど、でも……」
半ば呆然としながら、私は拓真の顔をしげしげと見つめる。
「本当に常務なの?冗談じゃなく?あ、でもそうか。社長と名字が一緒だわ。そんなはずはないって思ってたから、考えたことも疑ったこともなかった……」
混乱する頭の中に疑問が次々と浮かぶ。
「『仮』って何?身分を隠す必要なんてあった?どうしてわざわざ管理部で、しかも一般社員として働いているの?」
拓真は困ったように笑う。
「今はまだ、専務である兄から仕事を習っているような状態なんだ。常務だ、役員だ、なんて胸を張って言えないよ。だから『仮』って言ったんだ」
「じゃあ、管理部にいるのはどうして?営業部とか企画部だってあるじゃない?そっちの方が、この会社のことを知るのに相応しいような気がするんだけど」
「それはね。碧がいたからだよ」
「私が?」
拓真の言葉に記憶が甦る。彼が管理部にやって来てしばらくたった頃、二人で会って話をしたことがあった。
「あの日も、今と同じようなことを言っていたような気がするわ。私がこの会社にいたからここに来た、だったかしら……」
拓真は嬉しそうな、しかし照れ臭そうな顔で笑う。
「覚えていたんだね」
「だって、あまりにも印象的で衝撃的な理由に聞こえたんだもの」
「あの時は『転職』っていう言葉を使ったけれど、本当は違うんだ」
「どういう意味?最初から全部話してほしいわ」
私は拓真の目をじっと見つめて、話の続きを促した。