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第八十七話 封筒の中
ベンチの上に置かれた白い封筒を、
二人は黙って見つめていた。
風が吹くたびに、封筒の端がわずかに揺れる。
「……開ける?」
彼女が聞いた。
彼はすぐには答えなかった。
これまで何度も、
誰かに導かれるようにして手がかりを見つけてきた。
箱。
写真。
メモ。
そして、この封筒。
その先にあるものが、
事故の日の最後の記憶につながっている。
「……うん」
彼は封筒を手に取った。
表には、あの印。
丸に一本線。
その下には、
『最後の言葉は、ここに残した』
と書かれている。
封を開ける。
中から出てきたのは、一枚の紙だった。
けれど、文字は一つも書かれていない。
「……白紙?」
彼女が首を傾げる。
「違う」
彼は紙を裏返した。
そこにも何もない。
「じゃあ、どういうこと?」
二人で紙を見つめる。
しばらくして、彼が紙の端に小さな跡を見つけた。
「これ……折り目じゃない?」
紙には何度も折りたたまれたような跡が残っていた。
彼女が慎重に開いていく。
すると、内側から薄い文字が浮かび上がった。
『言葉は、書かなかった』
「……書かなかった?」
彼が呟く。
その下に、もう一行。
『だから、思い出して』
彼は紙を握った。
「……またこれか」
「自分で思い出すしかないってことだね」
彼女が言った。
その瞬間。
彼の頭の中に、雨の音が響いた。
さっきまでより鮮明だった。
道路。
濡れたアスファルト。
遠くにいる誰か。
その人が振り返る。
『来ないで』
「……」
『戻って』
彼は目を閉じた。
「……違う」
「どうしたの?」
「この記憶、順番がおかしい」
「順番?」
「『来ないで』のあとに、俺が走ってる。でも……」
彼は眉を寄せる。
「その前に、何か言われてる」
「何て?」
「分からない」
彼女は急かさなかった。
ただ、隣に座って待っている。
彼はもう一度目を閉じた。
雨音。
足音。
誰かの呼吸。
そして――
『もし、忘れたら』
「……!」
彼が目を開ける。
「今、聞こえた」
「何て言ってた?」
「『もし、忘れたら』って」
そこから先を思い出そうとする。
『もし、忘れたら――』
『大丈夫』
誰かが答える。
『あなたなら、きっと見つけるから』
「……」
彼の胸が苦しくなる。
「この声……」
「知ってる?」
「うん」
でも、名前が出てこない。
顔もまだ見えない。
ただ、声だけが少しずつ近づいている。
彼女が紙を見る。
「ねえ」
「ん?」
「これ、もう一つ何か書いてある」
紙を光に透かす。
薄く、文字が浮かんだ。
『最後の言葉は、一人で言った』
彼はその一文を読んで、動きを止めた。
「……一人で?」
「でも、さっきまでの話だと、その人もいたんだよね」
「うん」
「じゃあ、どういう意味?」
彼はしばらく考えた。
そして、ふと気づく。
「……事故の直前じゃない」
「え?」
「最後の言葉を言ったのは、事故が起きた瞬間じゃないんだ」
彼女も意味を理解した。
「その人と別れたあと?」
「たぶん」
彼は立ち上がった。
「俺は一人になってから、何かを言った」
「誰に?」
「……自分に、かもしれない」
その瞬間、記憶が一つだけ浮かんだ。
誰もいない道。
雨。
自分の手の中にある銀色のチャーム。
そして、小さな声。
『忘れない』
彼は息を呑んだ。
「……『忘れない』」
彼女が見上げる。
「それが最後の言葉?」
「分からない。でも……」
彼はチャームを握る。
「これを持ちながら、俺はそう言った」
『忘れない』
その声が、もう一度頭の中に響く。
そして、その直後。
――強い光。
――ブレーキの音。
そこで記憶が途切れた。
彼は目を開けた。
「……事故の直前だった」
彼女は黙って聞いている。
「俺は、自分で『忘れない』って言った」
「でも、忘れてしまった」
「うん」
彼は苦しそうに笑った。
「だから、あの人は……」
そこまで言って、言葉を止める。
彼女が静かに続けた。
「忘れても、見つけられるように残してくれたんだね」
彼は頷いた。
すると、スマホが震えた。
知らない番号からだった。
『思い出したね』
彼は画面を見つめる。
『でも、それは最後の言葉じゃない』
「……え?」
続けて届いたメッセージ。
『「忘れない」のあとに、もう一言ある』
彼の表情が変わる。
そして最後に――
『それを思い出せば、君が守ろうとした人が誰なのか分かる』
彼は何も言えなかった。
もう一度、目を閉じる。
雨の音。
伸ばされた手。
振り返った誰か。
そして――
自分が最後に言った、もう一つの言葉。
まだ聞こえない。
けれど、今までよりずっと近くにある。
コメント
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うわああ第87話…!!待って待って、封筒の中身が白紙って時点でもうドキドキしたのに「言葉は書かなかった。だから思い出して」って…エモすぎる😭💕 主人公が『忘れない』って自分に言い聞かせてたシーン、胸がギュッてなったよ。でもそれだけじゃなくて、まだ“もう一言”あるって伏線がラストに来てて続きが気になりすぎる!! この「自分で思い出せ」方式、推理モノとしてすごく刺さるし、忘れたくない何かがあるって設定にグッときた…クラリスさん天才すぎる😭💖次話も楽しみにしてるね!!