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第八十八話 最後の一言
「……『忘れない』のあとに、もう一言……」
少年は、ベンチに座ったまま呟いた。
目の前には、さっき見つけた白い封筒。
中に残されていた紙は、
ほとんど何も書かれていない。
それでも、
その一枚が今まで見つけてきた
どんな写真よりも重く感じた。
彼女は隣で、紙をじっと見つめていた。
「一人で言ったってことは……誰かに聞かせるためじゃなかったんだよね」
「うん」
「じゃあ、どうして残したんだろう」
少年は答えられなかった。
『言葉は、書かなかった。だから、思い出して』
その言葉の意味を考える。
書かなかったのではない。
――書けなかった。
そんな気がした。
少年は立ち上がり、周囲を見渡した。
小さな公園。
古いベンチ。
少し離れた場所にある街灯。
どれも特別なものには見えない。
けれど、ここには確かに記憶がある。
「……ちょっと歩いてみる」
「私も行く」
「いや」
少年は一度立ち止まった。
「ここは……一人で歩いてみたい」
彼女は少し驚いた顔をした。
けれど、すぐに頷いた。
「分かった。でも、無理しないで」
「うん」
少年は一人で歩き始めた。
ベンチから少し離れ、木の横を通る。
その瞬間だった。
風が吹いた。
葉が揺れる音。
遠くを走る車の音。
そして――
雨。
一瞬だけ、視界が変わった。
晴れていたはずの公園が、雨の中に重なる。
息を切らしている自分。
濡れた道路。
手の中にある銀色のチャーム。
そして、誰かの声。
『戻って』
少年は足を止めた。
「……」
胸の奥が、強くざわつく。
記憶の中の自分は、何かを探していた。
でも、誰かを追っていたわけじゃない。
守ろうとしていた。
そして、その途中で――
事故に遭った。
「……そうだ」
少年は小さく呟いた。
「俺は……事故の前に、誰かと約束してた」
その誰かが誰なのか。
まだ思い出せない。
けれど、もう一つだけ浮かんだ。
あの日、一人になった自分が呟いた言葉。
『忘れない』
その続き。
少年は目を閉じた。
記憶の奥から、言葉を探す。
『忘れない』
『……』
あと少し。
何度も繰り返す。
忘れない。
忘れない。
忘れない――
「……探す」
口から、自然に言葉がこぼれた。
少年自身が驚いて目を開ける。
「……忘れても、探す」
その瞬間。
頭の中に、はっきりとした光景が浮かんだ。
事故の前。
誰かと向き合っている自分。
その人は、何かを隠すように笑っていた。
そして自分は、そんな相手に向かって言っていた。
『もし忘れても――』
そこで記憶が途切れる。
少年は額に手を当てた。
「……違う」
まだ足りない。
『忘れない』のあとに続いた言葉は、
ただの決意じゃない。
誰かに向けた約束だった。
「……忘れても、探すから」
そこまで言ったとき、後ろから声がした。
「思い出した?」
彼女だった。
少年は振り返る。
「全部じゃない」
「うん」
「でも……たぶん、これが最後の言葉だった」
「なんて言葉?」
少年は少し迷った。
そして、ゆっくり口にした。
「『忘れても、探すから』」
彼女は黙った。
二人の間に、風が通り抜ける。
「……誰を?」
その問いに、少年は答えられなかった。
けれど、今までとは違った。
分からないのではない。
――もう少しで分かる。
そんな感覚だった。
そのとき、彼女がベンチの下を指差した。
「ねえ」
「ん?」
「これ……」
そこには、小さな傷があった。
木のベンチに、誰かが何かを削って残したような跡。
二人で近づいて見る。
そこには、短い文字が刻まれていた。
『探す相手を、間違えないで』
少年は息を呑んだ。
「……これ」
彼女も文字を見つめる。
「今の言葉と、繋がってる」
少年はゆっくりとベンチに触れた。
その瞬間、また一つだけ記憶が戻った。
事故の日。
自分は誰かを探していた。
でも――
その人を守るために、別の誰かを追っていた。
そして、その途中で事故が起きた。
「……俺、誰かを探してたんじゃない」
「え?」
「誰かを……見つけようとしてたんだ」
「同じじゃない?」
「違う」
少年は首を横に振った。
「探すんじゃなくて……見つけたら、渡すはずだった」
彼女が息を止める。
「何を?」
少年は銀色のチャームを握った。
「……言葉を」
今まで探していた箱。
写真。
チャーム。
青いリボン。
そして、事故の日の記憶。
全部が一本の線で繋がり始めていた。
けれど、
その線の先にいる人物だけが、まだ見えない。
その夜。
二人が公園を出ようとしたとき、
少年のスマートフォンが震えた。
知らない番号からだった。
今回は、いつものような指示ではなかった。
ただ一文だけ。
『そこまで思い出したなら、もう一人で探す必要はない』
少年は画面を見つめる。
続けて、もう一件。
『次に思い出すのは、事故の日に君が守った人のこと』
少年は画面を閉じた。
そして、隣にいる彼女を見る。
「……行こう」
「どこへ?」
少年は少しだけ笑った。
「今度は、二人で探す」
二人は公園をあとにした。
けれど、少年の手の中には
まだ銀色のチャームが残っていた。
その裏側に――
今まで気づかなかった
小さな文字が刻まれていることに、
二人はまだ気づいていなかった。
コメント
1件
第88話、拝読しました。「忘れても、探すから」という言葉、すごく響きました。単なる記憶をる作業じゃなくて、誰かに向けた約束だったんだなって、あのラストで全てが繋がった感じがしました。ベンチの落書きと、「探す相手を間違えないで」という一文の対比が切なくて。この物語、ひとつひとつのアイテムがとても大事に扱われているのが伝わってきます。次はチャームの裏側…二人でどんな場所へ向かうんでしょう。続きが気になります🌷