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昼近くになっても、遥は布団の中で一度も身体を起こせなかった。
腕を動かすたびに、昨日受けた暴行の痕が熱を持って訴えてくる。
内出血が骨の奥にまで染みているのがわかる。
あばらも、肩も、膝も、指の関節すら痛む。
昨日の教室。あの“歓迎”のつづき。
──笑い声、カメラの音。
──誰かの手、誰かの膝、誰かの足音。
──逃げられない空間。
──そして、誰かの声。
「今日はちゃんと“従順”だったな」
「なんか、“しつけ”されてきてね? マジでペットじゃん」
「え、あれって本気だったの? 日下部、マジで言ってんの?」
……違う。
日下部はそんなこと、言ってない。
オレに命令なんてしてない。
ただ──
誰も「違う」とは言わなかった。
日下部自身すら、それを訂正することなく、
淡々と、冷たく、曖昧にやりすごしていた。
そのことが──一番きつかった。
「……ここも、地獄かよ」
遥はかすれた声で吐き捨てる。
カーテン越しに射し込む昼の光が、白くまぶしい。
けれど、それが「一日の終わり」ではないことに、ぞっとした。
まだ……始まったばかりだ。
廊下の先、キッチンでカップを置く音がした。
日下部の足音は一定で、静かすぎて気味が悪い。
──気遣われてる。
そのことに、なぜかぞっとする。
本当の“優しさ”じゃないことくらい、わかってる。
「飼い主が飼い犬を休ませてやってる」
そんな空気だけが、部屋の中にこびりついている。
そのくせ、日下部は何も言わない。
命令もしないし、慰めもしない。
ただ、遥を“置いてある”。
まるで──
部屋のどこかに、見えないリードが張られているみたいだった。
遥は、こめかみに手を当てていた。
「オレ、……なんで、ここにいんだっけ……」
「え、今日もいないの?」
「日下部となんかあったんじゃね?」
「……やっぱあれか、“しつけ中”?」
「マジで? あの二人、なんか関係あんの?」
──違う。
──知られたくない。
教室で、笑いが広がっていた。
中にはスマホをいじりながら、SNSに何か書き込んでいる生徒もいた。
「日下部のとこに泊まってんじゃね?」
「え、マジで? そういう関係?」
「ま、どっちにしても、“あいつ”って、そういう扱いだしね」
教師は、見て見ぬふりをしている。
あるいは、事情を察して、何か勘違いして「そっとしておこう」と思っている。
その“そっと”が、地獄をより深く根付かせていくことに、
誰も気づかないまま。
午後。
遥は、再びうなされるように布団の中で目を覚ました。
夢の中でまで誰かの手が身体を掴んでいて、痛みが残っていた。
「……日下部」
寝ぼけまなこで呼ぶと、少し間をおいて扉がノックされる。
「なに」
「……水……」
すぐにカップが差し出された。だが、日下部は何も言わない。
遥は少しだけ喉を潤してから、言った。
「おまえ、……どうしたいんだよ」
日下部は静かに目を伏せた。
「何も。オレは別に……おまえを救いたいわけでも、壊したいわけでもない」
「じゃあ、なんで、ここに置いてんだよ」
「おまえが動けねぇからだろ」
遥は口を閉ざした。
その無言が、苦しくなる。
──沈黙が、支配に変わる。
言葉がないことが、指示に聞こえてくる。
逃げ場がないのは、学校だけじゃなかった。
どこにいても、「おまえはおまえのままじゃいられない」って、
周囲が決めつけてくる。
それが、遥の中に積もっていく。
焦燥と、不信と、ひび割れた自我が──
少しずつ、音を立てて崩れ始めていた。