――それからどれだけの時間、下に落とされただろうか。
こんな経験は『不思議の国のアリス』のような夢の世界ではあったものの、現実では初めてだ。
しかし落下スピードはそこまで上がることはなく、何かしらの力で護られてはいる感じはあった。
……それが無ければ、きっと生きるか死ぬかで頭がいっぱいになっていただろう。
ただ、ルークとエミリアさんが同じかどうかまでは分からない。さすがにこんな経験、今までに無いだろうから――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気が付くと、私は地面に倒れていた。
怪我は無く、身体のどこかが痛いということも無い。
ただ、身体は少し冷えてしまっているけど……動くには問題は無さそうだった。
「……そうだ、二人は……?」
辺りを見ると、ルークとエミリアさんがそれぞれ地面に倒れていた。
意識はまだ戻っていないようだが、私と同様、怪我はしていないようだ。
……良かった。
二人は私と違って不老不死ではないから――……って、不老不死でも、高いところから落ちて死んだらどうなるんだろう。
よくよく考えてみれば逆の心配が出てきてしまう。致命的なダメージを受けたあと、そのまま本当に生きていけるのか……みたいな。
「――しい……よ……」
「……え?」
ふと、微かな声がどこかから聞こえてきた。
その声は当然、私たち三人のものではない。
まさかこんなところに、誰かがいる……?
……っていうか、ここはどこなんだろう。『疫病の迷宮』の中ではあるんだろうけど――
一応見ておこうかな。かんてーっ。
──────────────────
【現在の場所】
『疫病の迷宮<深淵>』50階(最深部)
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……うわ、まさかの最深部……。
深淵クラスの迷宮の最深部って、本来であれば誰も辿り着けないような場所なんじゃない?
いわゆる普通の難易度であろう『循環の迷宮』だって、そこまで踏破できる人間なんて皆無なわけだし――
「――たい……よ……」
先ほどの微かな声が、また聞こえてくる。
どうやら幼い、女の子の声のようだ。
「……誰かいるの?」
恐る恐る聞いてみるも、その返事は無く、そして姿も見えなかった。
私の足は自然と、その声の主を探して進み始めた。
……何だろう。何か、心の中を掻きまわされるというか……。
敵ではない? 放ってはおけない? ……うぅん、分からない。ただ、どうしても声の主と会いたいというか――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しばらくふらふらと彷徨っていると、彼方に薄っすらと光が見えた。
私の身体も何となく光っているし、きっとあそこに誰かがいるのだろう。
……不思議と、恐怖は無かった。
気が付けば、ルークとエミリアさんは見えなくなってしまっていた。
本来であれば、しっかり起こして、一緒に行くべきではあるんだろうけど……。
光の場所に近付いてくと、そこには幼い女の子が座り込んでいた。
肌の色は白く、髪と服の色はこの迷宮と同じように漆黒。
……そしてその脚には、地面から伸びた黒い茨が絡み付いていた。
「――大丈夫?」
側まで辿り着いて声を掛けると、その女の子はがばっと私を見上げてきた。
「……っ!!」
何かを必死に話そうとするも、上手く言葉が出てこないようだ。
この女の子は一体誰だろう。もちろん見覚えも無いし、先ほどからの声が女の子のものなら、当然のように聞き覚えも無い。
私はしゃがんで、女の子と目の高さを合わせた。
「……大丈夫、落ち着いて。
慌てなくても良いから。待っててあげるから、ゆっくりと……ね?」
こんな場所にいる女の子が只者であるわけがない。
しかし私は、普通の女の子を扱うように話し掛けた。
「~~~~っ!!」
女の子は途端にぼろぼろと涙を流し始めて、そのまま私に近付こうとする。
しかし脚に絡み付いた茨が、それを邪魔する――
……何だろう、この茨。
そう思いながらアイテムボックスからナイフを出して切ろうとするが、刃はその役目を果たしてくれない。
丈夫とか堅いとかいう以前に、そもそも物理的な構造を超越しているような感じがする。
でも、『疫病の迷宮』を創った私であれば――この超越したものすらも、何とかなるのではないだろうか。
「アイナ・バートランド・クリスティアの名において――この子を解放しなさい」
不安を感じながらそう命じてみると、黒い茨は溶けるように消えていった。
その光景に、女の子は不安そうに私を見つめてきた。
「いい……の……?」
「もちろん! だからもう泣かないで。
……ね?」
その言葉に、女の子はまた涙を溢れさせて、今度こそはと私の胸に飛び込んできた。
「――……たか……った……。
……会いたかったよ、ママーっ!!」
「えっ!?」
女の子の衝撃を身体で受け止めながら、私は精神的にも衝撃を受けることになった。
ママって……私、子供がいないどころか、まだ未婚なんですけど!?
「寂しかったの……、我慢したの……。
……でも、ママ……。……ずっとここに、一緒にいてくれる……?」
泣きじゃくりながら、女の子は私を見上げてきた。
ひとまず察するに、当然のことながら生物学的な娘ということではないだろう。心当たりなんて、まったく無いわけだし。
それであれば、恐らく女の子は『疫病の迷宮』そのものなのだろうか。
髪も服も、瞳だって漆黒色なのだから――
……でも、そもそも迷宮って、意識があるものなんだ?
「ずっとここにいるのは……、正直無理かなぁ……」
私はそう言いながら、周囲を見まわした。
まったくの黒い世界。ずっとここで生きていくなんて、正直難しい。
「……う、うぅ~~……」
「あ、違うの! ここは難しいんだけど、一緒には平気だから!
あなた、この迷宮から出ることはできるの?」
「……え?」
私の言葉が予想外だったのか、女の子は不思議そうな顔をした。
「私が手伝えることなら何でもするから。
ね? どうかな、ここを出て私と一緒にいかない?」
「……いいの……? 私は、ママがそうしてくれるなら……外には出られるはず……。
あ、違うの。もう、ママが解放してくれたから、出られるはずなの……」
そう言いながら、女の子は自身の脚をそっと撫でた。
きっと先ほどまで脚に絡み付いていた黒い茨が、この女の子をこの場所に繋ぎとめていたのだろう。
「脚、ずいぶん怪我をしちゃったね。ポーションは効くかなぁ……」
私がそう言うと、女の子は再び私の胸に飛び込んできた。
「……大丈夫なの。放っておけば、すぐに治っちゃうから……。
えへへ。これから、ママとずっと一緒にいられるの……!」
その声からは、深い安堵が伝わってくる。
……こんな場所で一人っきり。精神年齢も幼いようだし、きっと地獄のような苦しみだっただろう。
勝手に生み出しておいて、ずっと放置していたと考えれば、私の心には申し訳なさばかりが湧き起こる。
「ごめんね、もう寂しい思いはさせないから……。
うん、ずっと一緒にいようね」
「ありがとうなの……。やっぱりママは、優しいの……」
……やっぱり?
『疫病の迷宮』を創ってから、何か優しいことなんてしたっけ……?
むしろ敵を倒すために、この子を創ったようなものだけど……。
「ところで、あなたのことは何て呼べば良いのかな?」
私は胸の中から女の子を離して、目を見ながら微笑んだ。
すると――
「ママは今まで通り、私のことを呼んでくれれば良いの!」
……ん? 今まで通り……?
「え? 『疫病の迷宮』って呼ぶの……?」
「違うの! そっちじゃないのーっ!!」
……んん? 他に選択肢があるっていうこと?
でもこれ、完全に私が知ってる前提で話されているよね……。ここは何とか、話術で聞き出さないと――
「分かった、そうするね。ところでこのあと、みんなにも紹介するから、自己紹介の練習をしてみようか。
私はアイナ。錬金術師だけど、神器や迷宮も創っているの。
はい、あなたも短くて良いから続けてみて?」
「うん! 私の名前は、リリーなの! ママにもらった名前が、私の一番の宝物なの~♪」
……え?
その名前を忘れるはずもない。私の目からは突然、涙が溢れ出した。
だってその名前は……。
そんな、まさか――
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