コユキの顔色が見る見る蒼白へと変じていく。
思い返せば長い付き合いである。
大体この幼馴染の先走りがどんな結果を招くのか知っていたつもりのコユキは腰に縛られているビニールロープを外さねば! そう思って試みたのだが残念ながらギッチリとした堅結びである、もう一本縛られているロープはいかだ本体にこちらもしっかりと結び付けられている。
絶望を浮かべて幼馴染、善悪を見つめた彼女に投げかけられた言葉は笑顔と共に伝えられたのであった。
「寸胴とホースを放したら死ぬからねっ! それっ!」
ドボンっ! シュルシュルシュルシュル……
腰としっかり繋げられている、巻かれていたロープが勢いよく解かれていく。
「えっ、えっ!」
思わず狼狽え(うろたえ)てしまうコユキに子供の頃からの友達、善悪は早口で伝えるのであった。
「万が一の時は僕チンも後を追うのでござる! 頑張ってね、コユキちゃん! シーユーネクストライフ!」
そう言って二本指を揃えてクイッとこちらに向けて来た友達の姿は一瞬後、紺碧(こんぺき)の景色へと変えられてしまったのである。
ヒュン! グンッ! バッシャアァ! ブクブクブクブクブク――――
哀れコユキは一直線に海底に向かって沈んで行くのであった。
「良し! これで錨としての機能もばっちりでござる! んじゃあ頑張っちゃおうかな、フンスっ! おお、これは中々に…… 負けるかっ! ムッシュ…… ムッシュムラムラァァァっ! フンフンフン!」
勢い良く堅くてずっしりと筋肉に負荷が掛かるふいごを物ともせず押し引きを高速で繰り返す善悪の右腕は見る見るパンプアップして行き、血管がはっきりと浮き出して行ったのである。
右手が早々に限界を迎えた瞬間に、パッと左手に持ち替えた善悪は利き腕と同じようにふいごを上下に動かして行くのであった。
「むうぅ! む、む、ムッシュムラムラー! ムッシュムッシュムッシュムッシュ! ムラムラムラムラムラムラムラムラぁぁぁぁーっ!!」
凄い! 石松なんか足元にも及ばない程のガッツを見せる善悪、観察していた私の双眸(そうぼう)にも何故だかイミフな感動の涙が浮かぶのであった。
一方その頃、沈められた来世で会う筈のコユキはと言うと……
死に掛けていたのであった。
渡された寸胴なんか、善悪の勢い良すぎる空気供給によってとっくのトンマにぶっ飛ばされて、今は直下の海底に真っ逆さまになりながら、ホースの先からリズムよく飛び出してくる気泡に口を寄せ、必死に、もうそれこそ死なない為だけに不自由な呼吸を繰り返していたのであった。
当然海水も飲む。
詰め込み式の勉強だけはしてきたコユキは、飲み込んだ海水が肺に入らないように胃袋へと飲み込むことを意識しつつ、気泡から得られる僅か(わずか)な酸素はしっかりと気管を通して肺へと送られるように、生まれて初めての速度で口頭蓋(こうとうがい)を動かし続けていたのであった、生きる為に……
「ブハッ、ゴクゴク! ゴクゴク! っ! スゥ~…… ゴホゴホっ! ゴクゴク! スッスッスッ! ゴクゴク! スー! ゴバァ、ゴクゴク、スッスッ!」
このままでは遠からず死ぬ!
窒息かはたまた塩分過多による物か、そうコユキが死を意識した瞬間に、周囲のムードが一変するのであった。
海底に足を付けたコユキはびっくりしながらも周りを見回して、安堵の息を吐く、いいや吸い込むのであった。
「すぅ~! ああ、美味しいわね♪ なるほど、クラックの内側には空気もあるって訳ね、助かったわ~! んにしても、あの糞坊主っ! 一度しっかりホウレンソウの重要さを教えてくれないといけないわね! まったくっ! 『デスニードル』」
ドゴっ! メシャっ!
コユキの悪態は兎も角、ここまでくれば無用の長物となり果てた錘(おもり)代わりの岩を叩き壊して少しイライラが収まってから見回した海底は大体半径四メートル程の半球状のドームになっている、因みに竜宮城的な豪奢(ごうしゃ)さは皆目見当たら無い。
只乾いた砂と岩場に乾燥し捲ったサンゴの亡骸、半球の中央には何故だか巨大な岩石を結ばれて沈められたのであろうウミガメの巨大な甲羅、その下には身動きも出来ず死に至ったと推測されるカメさんの白骨がペチャンコに潰されて横たえられていたのである。