テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
1,112
1,100
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
それから、時々。俺たちはまたあの古びたビルで会うようになった。
約束なんてしていないのに、
気づけば同じ場所に足が向いていた。
会社のこと。
学校のこと。
誰にも言えなかったことを、
なぜか相手には包み隠さず話せた。
情けないことも、みっともないことも、
全部。
どうしてここまで話せるのか、分からなかった。
ただ——
相手だけは、否定しなかった。
それだけで、少しだけ息がしやすくなった。
それだけで、
「ここにいていい」って思えた。
気づけば、あの場所に行かないと
落ち着かなくなっていた。
会わない日が続くと、妙に不安で。
理由もなく、苛立って。
それが何なのか、
その時の俺たちは、まだ知らなかった。
会う回数は、少しずつ増えていった。
最初は“たまたま”だったはずなのに、
いつの間にか、お互いが来ることを前提にしていた。
あのビルに行けば、あいつがいる。
紫にとっては、桃のことだった。
桃にとっても、それは同じだった。
それだけで、一日をなんとか終えられた。
顔を見るだけで、
少しだけ安心してしまう自分がいた。
逆に、会えなかった日は最悪だった。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、
誰にも当たれない苛立ちだけが残る。
「なんで来なかった」
そう口にしたのは、紫だった。
そんなこと、言う資格なんてないのに。
それでも、抑えられなかった。
「……悪かった」
桃は少し困ったように言った_。
その一言だけで、
紫の中の苛立ちは一瞬でほどけてしまう。
それが、余計に腹立たしくて。
それでも、離れなかった。
離れられなかった。
あいつがいないと、また元に戻りそうで。
あの時みたいに、全部終わらせたくなりそうで。
——怖かった。
だから、縋った。
お互いに。
気づけば、
隣に立つ距離も、少しずつ近くなっていた。
触れそうで、触れない距離。
それでも、たまに——
指先が当たるだけで、妙に意識してしまう。
それがもう、普通じゃないことくらい
分かっていたのに。
ある日、桃はふと口にしたのはだった。
「これ、良くないよな」
その一言で、空気が止まった。
分かっていた。
でも、誰も言わなかったこと。
「……今さらだろ」
そう言いながら、ほんの少しだけ距離を詰める。
無意識だった。
離れたくないって、
体の方が先に動いていた。
やめた方がいい。
離れた方がいい。
頭では、ちゃんと分かってる。
それでも——
ここを失ったら、
自分が保てる気がしなかった。
それでも、俺たちはやめられなかった。
会わないと落ち着かないくせに、
会えば会うほど、どこかが壊れていく気がした。
おたがいの
一言で安心して、
一言で全部が崩れる。
そんな状態が、ずっと続いていた。
ある日、いつものビルで。
沈黙が、やけに長かった。
「……もう、やめよう」
先に口を開いたのは、紫だった。
自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。
桃はすぐには返さなかった。
ただ、少しだけ目を伏せた。
「俺たち、このままじゃだめだろ」
紫の言葉に、胸の奥が強く締めつけられる。
分かっていたことを、
やっと口にしただけなのに。
「……そうだな」
桃はすこし素っ気なく小さく頷いた、。
否定されると思っていた。
引き止められると思っていた。
なのに、あっさり受け入れられて——
それが、何より苦しかった。
「じゃあ、今日で終わりにしよう」
紫がそう言った瞬間、
指先が、わずかに触れた。
偶然か、わざとか分からない。
でも——
離れなかった。
ほんの一瞬、
そのまま止まる。
何も言わないまま。
「……ああ」
。
桃はそれ以上、何も言わなかった。
引き止めもしない。
でも——
その距離は、少しだけ近いままだった。
それが逆に、苦しくて。
紫は思わず笑った。
「ほんと、あっさりしてんな」
強がりだった。
今にも崩れそうなのを、
なんとか誤魔化すための。
桃は何も言わないまま、
ほんの少しだけ眉を寄せた。
それが、最後だった。
どちらからともなく、背を向けた。
足音だけが、やけに響いていた。
振り返らなかった。
振り返ったら、
終われなくなる気がしたから。
——これでいい。
そう思ったはずなのに。
その日の帰り道、
紫は何度もポケットの中のスマホを握りしめた。
連絡先なんて、交換していない。
それなのに——
どうしようもなく、会いたかった。
さっきまで、すぐ隣にいたのに。