その年もまた、例年通り、よく冷えるクリスマス前夜となっていた。
そんなクリスマス前夜も、街中や各所の飲食店は、大変な賑わいをみせていた。
無論、それは、桔流達の店も同様で、――店内は、カップルや夫婦、友人同士から一人客も含め、様々な客達で大いに賑わっていた。
そのうち、一人客達は主にカウンター席に座ると、初対面の隣人との会話に華を咲かせていた。
そんなイヴのカウンター席では、翌日のクリスマスを共に過ごす相手探しが行われるのが、この店の恒例行事ともなっていたのだ。
店のバーテンダー達は、そんな恒例行事の行方も見守りつつ、その晩も、客達へと、美味と最高の笑顔を振る舞っていた。
― Drop.019『 Shake〈Ⅰ〉』―
「ねぇねぇ桔流君~。――桔流君は今年のクリスマスも~、お店にいる~?」
店内が大いに賑わう中、カウンター席に座るほろ酔いの常連客が、桔流に言った。
それにひとつ笑むと、桔流は応じる。
「えぇ。勿論。――もしかして、明日もいらしてくださるんですか?」
常連客は、その桔流の言葉に、
「桔流君もいるなら来る~!」
と、嬉しそうにしたが、すぐに口を尖らせると、耳を下げながら言った。
「――今年のクリスマスも、ま~たひとりぼっちでさ~……」
そんな常連客に、桔流は、にこりと笑む。
「――じゃあ、“今年も”、僕らとお店で過ごしましょう。――明日も、いらしてくださるのを楽しみにしてますね」
それに、常連客は酷く嬉しそうにした。
「えへへ。必ず来るね~」
そんな常連客に、またひとつ笑顔を返すと、桔流は一度、厨房へと向かった。
その時。
すっと桔流のそばにやってきた法雨が、こそりと言った。
「桔流君。――明日。休みにしてあげてもいいわよ?」
桔流は、それに、思わず動揺しながら言った。
「えっ。――き、来ますよ……っ」
法雨は、その様子にによによとすると、
「そ。――じゃ、“アタシも”、楽しみにしてるわ」
とだけ言い、上機嫌にフロアへと出て行った。
その後ろ姿を見送ると、桔流は、己の心の臓をしばし宥める。
そんな、その年のクリスマス前夜も、桔流は、普段よりも早く退勤する事になっていた。
クリスマス当日は、開店準備にやや手間をかけるため、ベテラン組である桔流も、法雨と共に早出組に入っているのだ。
それゆえ、クリスマスイヴにおいては、夜九時の退勤が、桔流の毎年のスケジュールとなっていた。
「――お疲れ様です。お先、失礼します」
「は~い。お疲れサマ~」
その中、あっという間に退勤時刻を迎えた桔流は、更衣室に向かう前に事務所の法雨に声をかけ、退勤の挨拶を交わした。
そんな桔流が、それから更衣室へと向かおうとすると、
「桔流君」
と、法雨に呼ばれた。
「はい?」
桔流がそれに振り返ると、法雨は、周りに誰も居ない事を確認すると、足早に桔流のそばまでやってきた。
そして、不思議そうにする桔流に微笑むと、法雨は、その温かな両の手を桔流の頬に添えるなり、ひそりと言った。
「頑張ってらっしゃい。桔流君。――それと、また“子猫ちゃん”したくなったら、今度こそ、ちゃんと連絡するのよ」
桔流は、その温もりから伝わる法雨の深い愛情に、やんわりと眉根を寄せて笑むと、ひとつ瞬きながら頷いた。
「――はい」
それに、法雨もひとつ瞬き微笑むと、言った。
「それじゃあ、行ってらっしゃい。桔流君」
そんな法雨に、桔流はしっかりと頷き、応じた。
「はい。――行ってきます」
その後。
すでに緊張し始めている己の心を宥めながら、更衣室での着替えを終えた桔流は、ふとスマートフォンに目を向ける。
そして、軽く深呼吸をすると、退勤をした旨を伝えるメッセージを打ち込み、送信した。
すると、返信はすぐに返ってきた。
[今、電話して大丈夫かな]
桔流はそれに、
[大丈夫です]
と、返信しつつ、店の裏口の扉を開いた。
そこでひとつ空を見上げれば、しばし曇った夜空が、桔流を穏やかに見返す。
しんしんと冷え込んだ夜の風は、今宵も、雪をも予感させるほどに冬らしいものとなっていた。
「さっむ……」
そんな夜風に桔流が言うと、コートのポケット内でスマートフォンが震えた。
スマートフォンを見れば、そこには着信画面が表示されている。
桔流は、その表示を見ながらひとつ深呼吸をすると、通話ボタンを押した。
「――はい」
『桔流君。お疲れ様。――電話で大丈夫だったかな』
スマートフォンに繋がれたイヤフォンを伝い、久方ぶりに聴くその声に、桔流は、己の心が酷く満たされるのを感じた。
(重症だな――)
桔流は、それに苦笑すると、花厳に言った。
「お疲れ様です。はい。大丈夫です。――もう、店も出たところなので」
花厳は、安堵したような声で言う。
『そうか。良かった。――じゃあ、近くまで車で向かうから、少し待てるかい?』
桔流は、街中を進みながら頷く。
「はい。大丈夫です」
運転中なのか、イヤフォン越しにカチカチと微かなウィンカー音を響かせながら、花厳は言う。
『わかった。じゃあ、着いたらまた連絡するよ。――あ。すぐに着くけど、外は冷えるから、暖かい所に居てね』
桔流は、どのような経緯を経ても、決してその優しさを欠く事のない花厳に微笑み、頷いた。
「――はい……」
桔流は、その後。
通話が終了した事を示す画面表示を、しばし眺めてから、顔を上げた。
(花厳さんが来るまで、どこに居ようかな。――暖かい所って言われたけど……、今は、風にあたってたいかも。――と、なると……)
そして、桔流は、ふと思い立つと、近場の公園に向かう事にした。
そんな桔流は、昨夜。
久方ぶりに、花厳へのメッセージを打っていた。
花厳の話を最後まで聞かず、酷い言葉を乱暴に吐き散らし、礼儀もなく家を出て行った事――。
花厳からのメッセージに、永らく返信をしなかった事――。
昨夜綴ったメッセージでは、まず、それらの無礼を謝罪した。
そして、その上で、
[もし許してもらえるなら
会って、話がしたいです]
と、添え、メッセージを締めくくった。
目的地の公園までやってきた桔流は、ベンチの背もたれに寄りかかると、そのメッセージを見返した。
(――ちゃんと話そう……)
桔流は、ひとつ深呼吸をする。
過去、何かと迷いがちであった花厳に偉そうな事を言っておきながら、同じ立場になった途端。
自分は、身動きすらとれなくなった。
だが、法雨も言っていた通り、何もせずに居れば、本当にこのまま――、花厳の事を何も分からないまま――、すべてが終わってしまう。
(それだけは、嫌だ……)
だからこそ、たとえ、その行動によって、本当にすべてが終わるとしても、桔流は、自分から行動を起こす事にした。
(――どうせ、終わりになるなら、――ちゃんと、すべてを知った上で、終わりたい)
今一度、強く思った桔流は、手元から視線を上げると、そのまま、夜空を見上げた。
(ちゃんと話して、――……終わろう)
夜空は、星々を隠し佇みながらも、そんな桔流の視線を、穏やかに受け止めた。
それに、ひとつ息を吐けば、夜空を覆う暗い雲に向かい、真っ白な靄がふわりと昇った。
その靄を見送っている中、桔流の身体がひとつ震える。
桔流の身体は、店でたっぷりと暖まっていたはずだった。
しかし、その夜の寒気は、たった数分ほどでも、大いに体温を奪うほどの冷気を纏っていた。
それに、
(さっむ……。――やっぱ、どっか入るか……)
と、桔流がひとつ思い、今一度身震いしたところで、コートのポケット内からスマートフォンが着信を報せた。
桔流は、そんなスマートフォンを確認すると、通話ボタンを押した。
「――はい」
イヤフォンからは、再び花厳の声が伝う。
『――待たせてごめん。着いたよ』
桔流は、その声に心動かされながら、応じる。
「いえ、大丈夫です。――車、どこに停めてますか?」
花厳は、それに、近場の駐車場に停めている旨を示した。
そこは、花厳と距離を置くまでの間、花厳との待ち合わせに幾度も使っていた駐車場であった。
桔流は、それに、胸が詰まるのを感じながらも、
「分かりました。――すぐ、行きますね」
と言い、通話を切ると、足早に花厳のもとへと向かった。
💎
桔流が駐車場に足を踏み入れると、車の外で、車体に寄りかかるようにしていた花厳は、桔流に向かい、穏やかに微笑んだ。
そして、軽く頭を下げた桔流が、足早に花厳の元へと向かうと、花厳は手慣れた様子で助手席を開け、
「お疲れ様」
と、言った。
その洗練された動作に、桔流は思わず、
(おぉ……流石……)
と、心で感嘆を漏らした。
そうして、まるで映画で見る専属の運転手や執事かの如く、桔流を出迎えた花厳は、桔流を助手席へと誘うと、
「ちょっと待っててね」
と言うなり、丁寧にドアを閉め、その場から離れて行った。
そして、それを不思議に思いつつも、桔流が暖かな車内で暖をとっていると、数分もしないうちに運転席のドアが開いた。
宣言通り、すぐに戻ってきた花厳は、そのまま運転席へと腰かけると、コートのポケットから何かを取り出し、桔流に言った。
「待たせてごめんね。――桔流君は、どれがいいかな? 紅茶と珈琲、ココアがあるけど」
どうやら花厳は、桔流の身体が冷えている事を察してか、近場の自販機で温かい飲み物を買ってきたらしい。
(――この人は……)
桔流は、その手際の良すぎる花厳に、妙な懐かしさを感じ、心のうちで苦笑した。
そして、花厳が示した三つの選択肢を眺めながら、しばし黙した。
「――……」
その様子に、花厳は穏やかに問う。
「あ。――もしかして、どれも微妙?」
桔流はそれに、幾度かゆるりと首を振り、言った。
「いえ……。――どれもいいなと思って、迷ってます」
そんな桔流に、花厳は、楽しげに笑った。
「ははは。なるほど。――じゃあ、存分に迷ってもらっていいよ。ここに置いておくから。好きなのを飲んで。――もちろん、全部でもいいよ」
その中、三つの選択肢がドリンクホルダーに置かれると、桔流はまた首を振って言った。
「え。いや。それは流石に……――あの、良ければ、花厳さんが先に選んでください。――俺は本当に、どれも好きなので」
花厳は、それに、眉を上げて笑むと、首を傾げるようにして言った。
「――それは、奇遇だね」
「え?」
桔流も、つられて首を傾げる。
そんな桔流に笑むと、花厳は続けた。
「――俺も、どれも好き。――だから、君が先に選んでくれると嬉しいな。――知ってるでしょう? 俺、優柔不断なんだ」
(――本当に、この人は……)
桔流は、再び心で紡いだその言葉と共に、思わず眉間に皺を寄せた。
そして、その後。
散々と悩んだ桔流は、ふと、舌が甘味を欲しているように感じ、その中で最も甘味らしいホットココアを選ぶ事にした。
「――じゃあ、ココア、頂きますね。――ありがとうございます」
そんな桔流が、ホットココアを手に取りながら言うと、花厳は、
「うん。どうぞ」
と、笑顔で頷き、自身は、珈琲のボトルを手に取った。
桔流は、しばしココアのボトルで手を暖めると、ぱきりと開封した。
そして、ボトルから香る芳醇な甘い香りに、ほっと心が癒されるのを感じながら、桔流はココアを頂く。
それに並び、花厳もまた、珈琲に口をつけると、言った。
「――ところで、桔流君。話をするのは、車の中で大丈夫だったかな? ――外だと流石に冷えるし、かといって、お店で話すのも、ちょっと落ち着かないかなと思って、ここに停めたんだけど。――もし、桔流君がお店の方が良ければ」
桔流は、そんな花厳の言葉をやんわりと制するようにひとつ息を吸うと、言った。
「――花厳さんの家が、いいです」
それに、一瞬だけ驚いたように黙した花厳は、
「――……分かった」
と、言うと、その理由などは特に言及せず、
「じゃあ、とりあえず、このまま家に戻るね」
と、続けた。
桔流は、それに、
「はい。――お願いします」
とだけ紡ぎ、自身の膝元に視線を落とすと、ボトルにひとつ口をつけ、甘味で心を温めた。
💎
「――どうぞ」
その後。
心地よい運転に揺られ、無事に花厳の家までやってきた桔流は、花厳に丁寧に招かれると、久方ぶりの想い人の家に、足を踏み入れた。
そんな桔流は、玄関口にあがりながら、
「有難うございます。お邪魔します」
と、礼節を払うと、花厳に言った。
「――あ。俺、ブーツなので。花厳さん、お先に」
花厳は、それに、
「あぁ。分かった。――ゆっくりでいいからね」
と応じると、丁寧に靴を脱ぎ、廊下へとあがった。
そして、そのまま廊下を歩みながら、桔流を振り返り、
「とりあえず、何か温かいものでも……」
と言ったところで、花厳は、言葉を切った。
そんな花厳は、伺うようにして、桔流に問う。
「桔流君? どうしたの?」
花厳が、そうして問うたのは、桔流の様子がおかしい事に気付いたからだ。
先ほどまで、ブーツを脱ごうとしていたはずだった桔流は、未だ、ブーツを履いたまま、玄関に佇んでいる。
その上、そんな桔流は、少しばかり俯いている。
その様子に、花厳は今一度、桔流の名を呼んだ。
「桔流君?」
すると、桔流は、俯いたまま、静かに紡ぎ始めた。
「――……花厳さん。――俺、花厳さんに、尋きたい事が、あるんです……」
花厳は、それに、優しく応じる。
「……なんだい」
だが、敢えてしばし離れた桔流との距離を、詰める事はしなかった。
今、下手に距離を詰めれば、桔流はまた、あの扉の向こうへと逃げ出してしまうような気がしたのだ。
だからこそ、花厳は、その場を動かず、桔流に応じた。
桔流は、ぎこちなく紡ぐ。
「――前に、俺が、何も聞かずに帰った日。――あの日に、花厳さんが俺に見せた、“あれ”は……、――“前の”と、同じやつですよね?」
声が、震える。
(駄目だ……頑張れ……)
ここで己の感情に負けては、花厳から本当の答えを聞けないかもしれない。
ほろほろと哀しみをこぼす桔流に、あの花厳が情を抱かないわけがない。
だからこそ、今はまだ、自身の感情に耐えなければ――。
桔流は、再び決壊を始めようとする涙腺を今一度窘めると、静かに黙し、天井の照明を映した廊下を見つめながら、花厳の言葉を待った。
そんな桔流に――、そんな桔流の問いに――、花厳は、ゆっくりと紡いだ。
「――……うん。――ごめん」
今の桔流が、最も聞きたくなかった言葉を――。
Next → Drop.020『 Shake〈Ⅱ〉』
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!