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ざあざあと、まるで大きな水瓶をひっくり返したような大雨が降る。
「あぁ、私の力じゃ無理があるわね…」
自分の祠から出て空を仰ぎ見る。
天狐の私、種族名に”天”が名につく私が”天”の機嫌をなだめられぬと言うのはなんと皮肉なものか。私が出来たのは、風呂から水瓶に雨量を減らした程度。
「これは、水神様がお怒りなのかしら…」
水、天候を司る神の怒りは凄まじい、彼方此方で村が沈んだとか生け贄に何人も身を投げたなど特段珍しい事でもない、年に何度も起こること。
そこから学習しない人間のなんと愚かなことか。まぁ、そこが可愛らしくて手を貸している所もあるのだけど…
愚かであれば過ちを起こす前に導いてやれば良い過ちを犯せばその過ちを2度と起こさないよう教え伝えていけば良い。
その考え方は甘いと皆は言うけれど。あれほど愚かで面白くて、そして可愛らしい人の子を放って置けないの。そんな私も愚かね…
「山神にでも相談してみましょうかね、あれなら何かしら知っているでしょうから、それにしても………」
ぐるぐると思考を巡らしていく。
菫と桔梗は無事かしら?
村人の食料は確保できている?住宅は?
水神様を宥める策はあるかしら。
次第にまた雨が強くなる。
雨粒は地面を抉り、泥を跳ねあげる。
一歩、踏み出す度に地面は汚い音をならす。
明日にでも山神に話をしに行こう、早くしないと本当に村が沈んでしまうわ。
「そうと決まれば準備をしなくてはね」
山神に会うのに手土産でも用意しようか、一応神域に行くのだから御祓も済ませておこうかしら。
これ以上外にいると泥の跳ね返りで着物が汚れてしまう。早いとこ中に入ろうと、扉に手をつけるギィッ、と錆びた蝶番が悲鳴をあげる。一歩、中に踏み込むと床板が軋む。湿気で木材や金属が弱くなっているのを実感する。
手を前に翳して紫の炎を灯す、ふうっ、と息を吹き掛けると炎が薄く伸び、祠全体を包む。これである程度の湿気を晴らすことができる。乾燥させた香を焚いて、穢れを払う。
「明日、早朝に山神の所へ行こう、早く行かないと本当に取り返しのつかないことになりそう」
術で補強していたのにも拘らず軋む祠をみて呟く。山神に会いに行く旨の文を書き急ぎで烏に渡す。私の加護を与えたのだから山神の元へはたどり着けるだろう。
朝が来るのと同時に発つ、昨夜のうちに「今日、尋ねる」と連絡してあるのだから、彼奴なら大丈夫でしょう。村から出ると直ぐに雨が上がる。振り返ると、雨が打ち付ける地面と太陽が照りつける地面の境界がはっきりと区切られていた。
「本当になにをしたらこんなことになるのよ……」
こんなにもあの水神様が荒れるような事、過去にあっただろうか
「急がないと…」
ここの山神……鬼神の紫雲に会うために鬱蒼と茂る草むらをかき分ける。
「椿姉様!椿姉様!」
「ん?あら、茜じゃない、どうしたの?」
獣道を進んでいくと声を掛けられる。振り向くと橙色の瞳の子狐、茜が立っていた。
「菫は元気かしら?一緒じゃないの?」
私の親友で他の村を守護する狐の菫、その弟子であるのが茜。この山で七匹の弟、妹を育てている頑張り屋さん、その一生懸命さから山の主である紫雲と、その腐れ縁である菫に気に入られ、兄弟姉妹全員で二人から加護を受けている。
「師匠は元気ですよー!今日は紫雲様のお使いで来ているので一人です。」
「あら、そうなの久し振りに会えると思ったのだけど……残念」
「師匠も椿姉様の事を心配されていました…椿姉様の村の噂はこちらまで届いていましたから」
「そう……心配無用よ、と菫に伝えてくれるかしら?」
「はい!畏まりました!」
「それと…紫雲の使いで来たのよね、何かしら」
「はい、紫雲様より椿姉様をご案内するようにと、あまり遅くなるのもいけませんのでご案内いたします。どうぞこちらへ」
茜についていくと滝壺につく
「ここからは紫雲様の神域です。ただの野狐の私には、ここに入る事は許されていません。滝の裏に道があります。紫雲様は奥で待っているそうです。それでは、いってらっしゃいませ、椿姉様。」
「ええ、案内助かったわ、ありがとう。これ、兄弟で食べなさい」
茜に会えたら渡そうと持っていた甘味……瓶に入った色とりどりの金平糖を渡す。
「わぁ…まるで星のようですね。これは…食べられるのですか?」
「知らなかったのね、一つ食べてみなさい」
恐る恐る橙色の金平糖を一つ口に含みコロコロと転がすと途端に花が咲いた。
「ん?……んーっ!何ですかこれは!?とっても甘くて、でも優しい甘さです!美味しい!!」
「喜んで貰ったようで何より、それ、金平糖っていうお菓子なのよ。街に下りればいつでも手に入るから、また欲しくなったら言いなさい。持って来てあげるわ」
「いいのですか?これは砂糖菓子ですよね…お高いのでは?」
「気にしなくていいわ、あなたを可愛がっているのは菫や紫雲だけではないのよ?」
迷っているような茜も愛らしい、と眺めていると荒々しい口調の男が現れた。
「いいじゃねぇか、貰っておけ」
「紫雲様!」
「紫雲……」
「なかなか来ないと思ったら、案の定椿が茜を構い倒してやがる」
紫雲、この山一帯を支配下に置く鬼神。正規の、生まれながらの神ではなく。信仰や畏れを集め、神格を得た、ただの鬼から成り上がった実力者。見た目はただの荒くれ者だが、その荒々しさの中に神特有の慈悲や冷徹さ、無情さを持ち合わせている不思議な男。私たち、村の守り神として祀られ神格を得た狐とは似通ったところがあるため親交がある。菫とはもっと前から悪友としてかかわってきたらしい。
「こいつは年下を猫可愛がりしてぇだけなんだよ、桔梗も最初の頃はお前と同じ事をされていたぜ?」
「桔梗姉様も……ですか?」
「ああ、菫も可愛がっていたな……で?俺には何かないのかぁ椿姉様?」
「お前に姉様と言われると寒気がするわね、ほら土産よ」
「ほぉ……これは上物じゃねえか、流石椿、いいものってのが分かってらぁ」
「それはどうも。で、本題に入りたいのだけれど」
香り高い純米酒を渡す。香りなど気にせずに、有り得ないほど強い酒を浴びるように飲むことを好む他の鬼に比べ、良いものを長く楽しもうとする紫雲は鬼の中でも珍しい部類だった。この趣向により育てられた教養が今の神として山の頂点に立つ者の風格を形作っている。
……少し話過ぎてしまった、もう既に夜明けの赤と蒼が混ざった空ではなくなっている。ああ、でも、青空を見たのはいつぶりだろうか、太陽の光と空の青が眩しい。
「それもそうだな、よし、移動するか。茜も良ければ来ないか?」
「あっ……申し訳ありません。これから弟達の食事を用意しなければならないので、ここで私は失礼いたします。」
「そうか、なら早く戻ってやれ、今日はありがとな!椿からの金平糖、忘れるなよ」
「はい!ありがとうございます。それでは!!」
たたたっ、と子狐らしい軽快な動きで山道をかけていく小さな背中を見送ると、紫雲に向き直る。
「粗方お前の村の豪雨の話だろう?水神様は答えてくれるか分からねぇよ?」
「それでも、行かなきゃならないのが守り神ってものよ、お前だって森で天からの水害が起きれば水神様の様子を見に行くでしょう?」
「はっ、それもそうだな」
「昨夜、お前から知らせを受けた後、水神様から知らせがあった」
「何よそれ、早く言いなさいよ!」
水神様からの知らせ、水神様に何かあったのかと悪い方向に思考が向かう。
「椿、お前と直接話しがしたいそうだ、水神様は北の泉で休養されている。」
「そう……なら話は終わりよ、私は水神様の元へ行く、時間を取らせて悪かったわね、感謝するわ」
早口でまくし立てて立ち去ろうとする。
気持ちが競ってしまっている、冷静にならなければ、頭では分かっているのに体が言うことを聞いてくれない。
早く、早く行かなければ村が沈んでしまう。
あの村は、周辺の村に比べて盆地になっていて排水機能に乏しい。この村は盆地特有の雨の少なさで雨は恵とする村人が多かった、「水害」とは無縁の者が大半を占める。
だからこそ、この豪雨に対する対抗策など持っている村人はいない。早く何とかしなければ……
「ちぃと落ち着かねぇか、先ず冷静になれ」
紫雲は「そんなツラじゃぁ水神様に会えねぇだろ?」と私の腕を掴む。力を入れて掴んでいるようで少し腕が痛む、その痛みが私を落ち着かせた。
「……確かに、その通りね。助かったわ」
「わかりゃ良いんだ……水神様への謁見は俺も付き添う。そう水神様がお望みだ」
「何故?お前は当事者ではないでしょう?」
問題は私が守護する村のみのはず、村と外の境界がはっきりする程明確に雨が降り続いているのだから……。
「さぁな……水神様の考えておられることなぞ俺には分からねえ、ただ何か大きな問題がありそうだ」
何を感づいているのか。普段の豪放磊落な様子はなりを潜め、凍てつくような冷たさ、重さを孕んだ声色でそう呟いた。
「行ってみないと分からないわ、もう頭は冷えたわ行きましょう」
「そうだな」
行くは東の泉、天の水、雨や雪を司る水神_______緑水様の元へ。
私たちにとって緑水様が休憩されている泉まではそれ程距離はない。崖や奔流など飛び越えて仕舞えるのだから迂回などせず一直線に向かうことができる。着いた東の泉は水底から神秘的な緑に輝き、清廉な空気を纏っていた。
「流石緑水様って感じだな、空気が綺麗すぎて逆に落ち着かねぇよ」
「緑水様の領域で落ち着こうとしていたお前が信じられないわ」
「ははっ、ありがとな」
「褒めてないわよ」
「よく来た、紫雲、椿」
「……っ!緑水様ッ!!」
現れたのは、緑がかった美しい黒髪を後ろで結った美丈夫、空からの水を司る水神、龍の化身の緑水様だった。
「久しいな2人とも、まあ楽にしてくれ」
水辺に設置された椅子へと案内される、緑水様の使い魔たちが忙しなく動いているのが見えた。
普段の穏やかな様子の緑水様に違和感を覚える、てっきりお怒りであると思っていたのに……
「さて、早速だが本題に入られてもらおう、椿の村の話だが…俺とは違う力が働いているようだ、大方呪いの一種だろう、それも強力な」
「呪い…ですか」
「あぁ強力でたちの悪いな、あれは蠱毒のようなものだ、虫ではなく人を使った数他の呪を凝縮した呪いだろう」
蠱毒、日の入る国で行われてきた強力な呪詛。壷の中に多数の毒蟲を入れ共食いさせる、生き残った者を神霊として祀る人の手に負えない呪い。
「呪いを振りまいている人物にもう目星はつけている。急な客人に気を付ける事だ。紫雲、お前もあの森を死守しろ、お前の領域が今後必要になってくるからな」
「……御意に」
「はい、畏まりました。ご協力に深謝いたします。」
緑水様に礼を告げ村へ戻る。道中に紫雲が不安そうな顔をしていたけれど、気にしないことにした。
「お前、……いや、何でもない。気を付けろよ」
「えぇ、付き合ってくれてありがとうね、じゃあ」
短く言葉を交わし、別れる。村へ着くと相も変わらず、大粒の雨が降り注いでいる。
「椿様――!」
「っ……太助?そんなに走ると危ないわよ」
傘もささずに、走ってきたのはこの村唯一の孤児であり、村長が保護している太助だった。
「村長様にね、椿様のお出迎えをしてきなさいって言われてきたの!」
「そう、ありがとうね太助。こっちに来なさい、濡れてしまうわよ」
太助を抱きかかえて傘の中に入れる、随分と雨に打たれていたようですっかり冷え切ってしまっている。
「村長の家に帰る前に着物を乾かさなければね、おいで」
「はーい、ありがとうございます!」
太助を抱きかかえたまま祠へと向かう。温めてやれば、柔い頬を桜色に染めてすり寄ってくる。
「あったかいです…椿様!ありがとうございます!」
なんとも愛い…、この子、この村のためにも、この天災のような現象を沈めなければと決心した。祠の前まで帰ってくると、肌にまとわりつくような、気味の悪い空気が漂っていた。