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ワシントンD.C.、ホワイトハウス。
西棟(ウエストウイング)にある大統領執務室——オーバル・オフィス。
朝の光が防弾ガラスの窓から差し込み、星条旗と大統領旗に長い影を落としていた。
部屋の中には、淹れたてのコーヒーの香ばしい匂いと、世界を動かす場所特有の張り詰めた緊張感が漂っている。
第47代アメリカ合衆国大統領、ロバート・“ボブ”・ウォーレンは、年代物のレゾリュート・デスクの革張りの椅子に深く沈み込んでいた。
御年七十八歳。
銀髪は薄くなり、顔には深い皺が刻まれているが、そのブルーグレーの瞳には、半世紀近く政界の荒波を生き抜いてきた古狸のような鋭い知性が宿っている。
彼は老眼鏡の位置を直し、手元のクロスワードパズルを乱暴に脇へ追いやった。
「さて、ダグラス。今日の『メニュー』を教えてくれ」
ウォーレンは、向かいのソファに座る首席補佐官に声をかけた。
ダグラスは四十五歳、ハーバード卒の切れ者で、常に眉間に皺を寄せている男だ。
「おはようございます、大統領。
メインディッシュは中東での和平交渉の行き詰まり。
サイドメニューは上院での予算案審議の遅延。
デザートは支持率の0.5ポイント低下です」
「最高だ。胃薬が欲しくなるフルコースだな」
ウォーレンは皮肉っぽく笑い、マグカップのコーヒーを啜った。
「で、食前酒(アペリティフ)は?
CIA長官が外で待っているんだろう?
エレノアが朝一番に来るときは、大抵ロクなニュースじゃない。
どこかの独裁者が核ミサイルのボタンを押し間違えたか、あるいは私の隠し子が火星で見つかったかだ」
「そのどちらでもありませんが、興味深いネタのようですよ。
……どうぞ、長官」
ダグラスの合図でドアが開いた。
CIA長官のエレノア・バーンズが入室してくる。
鉄色のスーツに身を包んだ、氷のような冷徹さを持つ女性だ。
彼女の小脇には「TOP SECRET」と赤く印字された分厚いファイルが抱えられている。
「おはようございます、ミスター・プレジデント」
「やあ、エレノア。今日はどんな悪夢を持ってきたんだ?
ロシアか? それとも中国か?」
ウォーレンが手招きすると、エレノアはデスクの前に立ち、ファイルを広げた。
そこには高解像度の衛星写真が数枚、並べられていた。
「いいえ、大統領。
今日の主役は、我らが極東の友人……日本です」
「日本?」
ウォーレンは意外そうに眉を上げた。
「また貿易摩擦か? それとも駐留経費の値上げ要求か?」
「もっと奇妙な案件です。
場所は東京、江東区の新木場(シンキバ)エリア。かつて貯木場として栄えた埋立地です」
エレノアが指し示した写真には、工場地帯の一角にある、巨大な遮蔽ネットで覆われた施設が写っていた。
「一ヶ月半ほど前、ここに『内閣府・次世代植物資源研究センター』なる看板を掲げた施設が突貫工事で建設されました。
表向きは地下構造物の工事ということになっていますが、我々の偵察衛星『KH-12』が奇妙な熱源と物流パターンを捉えました」
「熱源だと? 核開発でも始めたのか?」
「いえ。……木材です」
「……は?」
ウォーレンはコーヒーを吹き出しそうになった。
「木材? ツーバイフォーの、あの木材か?」
「はい。
次の写真をご覧ください」
エレノアがめくった写真には、夜間に撮影された赤外線映像があった。
施設から出てくる大型トレーラーの列。
その荷台には満載された丸太が映っている。
「この施設が稼働して以来、毎日、不自然な量の木材が運び出されています。
推定で日産数百トン。
これは、この敷地面積の施設としては物理的にあり得ない数値です。
地下に巨大な貯蔵庫があるとしても、外部からの搬入記録が一切ありません。
つまり……『無から湧いている』か、あるいは『異常な速度で生産されている』かのどちらかです」
ウォーレンは老眼鏡を外し、目をこすった。
「待て待て。
日本人が地下で秘密裏にやっていることが、ウラン濃縮でも生物兵器でもなく、丸太の生産だと?
ビーバーの秘密結社でも見つけたのか?」
「ジョークではありません、大統領。
この木材の質も問題です。
市場にはまだ流通していませんが、我々の工作員が東京湾岸の廃棄物処理業者を買収し、施設から出た端材(スクラップ)を入手することに成功しました」
エレノアは小さなプラスチック袋を取り出した。
中には木片が入っている。
「DNAは地球上のスギやヒノキと一致しますが、成長輪(年輪)が異常です。
繊維密度が均一すぎて、季節による成長変化が見られません。
まるで数十年分の成長を数分に圧縮したかのような構造をしています」
ウォーレンの目が、政治家のそれになった。
彼は瞬時に、その情報の持つ意味を計算した。
「……促成栽培か。それも、とびきり高度な」
「その通りです。
もし日本が植物を短時間で成長させる技術を確立したのだとしたら……これはエネルギー革命に繋がります。
バイオマス燃料、食料生産、そしてCO2排出権取引。
世界の穀物メジャーやエネルギー産業が、ひっくり返る可能性があります」
ダグラスが口を挟んだ。
「なるほど。だから『内閣府』直轄なんですね。
たかが材木屋の話じゃない。国家戦略レベルの技術だ」
ウォーレンは椅子を回転させ、背後の窓からホワイトハウスの庭(ローズガーデン)を眺めた。
「おいおい、何が起きてるんだ?
我々の同盟国は、いつの間に『ジャックと豆の木』の魔法の豆を手に入れたんだ?」
彼は振り返り、二人の側近を見据えた。
「では諸君、何が起きているか予想しよう。
可能性1。日本が極秘裏に開発していたバイオテクノロジーが完成した。
可能性2。地下に、我々の知らない巨大な密輸ルートがある。
可能性3。……宇宙人(エイリアン)からの技術供与」
「3番目は勘弁してください。予算編成が面倒になります」
ダグラスが真顔で返す。
エレノアは表情を崩さずに続けた。
「可能性1が濃厚ですが、解せない点があります。
これほどの技術革新なら、なぜ発表しないのでしょう?
日本経済は停滞しています。こんなビッグニュースがあれば、政権浮揚のために大々的にブチ上げるはずです。
それを遮蔽ネットとジャミングで隠し、公安警察に警備させている。
……あまりにも警戒レベルが高すぎます」
「まるで核ミサイル発射基地(サイロ)並みの警備だな」
ウォーレンは指でデスクを叩いた。
トントントン、と乾いた音が響く。
「……とりあえず日本政府に聞いたらどうだ?
『ヘイ、ミスター・ソエジマ(日本の総理大臣)。調子はどうだい? ところで、あの木材は何だ?』ってな」
ウォーレンは軽い口調で言った。
「同盟国だし、話をしていい内容なら話してくれるだろ?
我々は運命共同体だ。情報の透明性は日米同盟の基盤だぞ」
ダグラスが呆れたように、ため息をついた。
「大統領。貴方は本気でそう思っているんですか?
それとも、まだ寝ぼけているんですか?」
「なんだ、違うのか?」
ウォーレンは、わざとらしく目を丸くして見せた。
「……いやいや、隠すだろ普通。
同盟国と言っても、技術的な問題で秘密はあり得るし。
木材ということは、もし画期的な促成栽培の方式が確立されたなら、日本政府も隠すだろ……常識的に考えて」
ダグラスは肩をすくめた。
「その通りです。
彼らはハイテク国家としてのプライドがある。
それに、もしこれが軍事転用可能な技術なら、尚更です。
……1980年代の半導体戦争を覚えていますか?
彼らは国益のためなら、同盟国相手でも平気で情報をブロックしますよ」
「しかしですね、ダグラス。
このアメリカ合衆国に隠しますか?
我々は彼らの番犬であり、銀行であり、最大の得意先だぞ」
「隠すよ。当たり前だろ」
ウォーレンはニヤリと笑った。
「ハハハジョークだよ。流石に日本政府を甘く見すぎだな。
彼らは礼儀正しいが、腹の中では何を考えているか分からん。
『遺憾の意』を表しながら、裏で舌を出しているかもしれんぞ」
エレノアが冷ややかに肯定する。
「同感です。
特に今の日本の官房長官は食えない男です。
ニコニコしながら、重要な情報は一切渡さない。
今回の件も正規の外交ルートで問い合わせても『民間の研究施設です』とか、『適切な時期に公表します』とか、のらりくらりとかわされるのがオチです」
「だろうな。
正面から『見せろ』と言えば、『内政干渉だ』と騒がれる。
かといって、CIAのエージェントを潜入させて捕まりでもしたら、国際問題だ」
ウォーレンは立ち上がり、部屋の中をゆっくりと歩き始めた。
歴代の大統領たちが悩んできた、この楕円形の部屋。
彼はカーペットの鷲の紋章を踏みしめた。
「……強引にこじ開けるのは得策じゃない。
まだ『木材』だ。核兵器じゃない。
だが無視もできない。
ここで『我々は知っているぞ』というサインを送っておく必要がある」
彼は立ち止まり、エレノアに向き直った。
「とりあえず、様子見しようか」
「様子見ですか?」
「ああ。ただし、ただ指をくわえて見ているわけじゃない。
来週、国家安全保障会議(NSC)の実務者レベル会合があるだろう?
そこで環境問題担当の補佐官か、大使館の科学技術担当参事官にでも言わせろ」
ウォーレンは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「『日米のバイオマスエネルギー協力について、より深い議論をしたい。特に東京湾岸での先進的な取り組みには興味がある』……とな」
「……なるほど。あえて『木材』とは言わず、外堀から埋めますか」
ダグラスが苦笑する。
「性格が悪いですね、ボス」
「外交とはそういうものだ。
相手に『見られている』という意識を植え付ける。軽いジャブだよ。
それで相手がどう反応するかを見るんだ。
慌てて言い訳をしてくるか、それとも無視を決め込むか。
あるいは……口止め料を持参してくるか」
ウォーレンはデスクに戻り、冷めたコーヒーを飲み干した。
「もし彼らが慌てて何かを隠そうとしたら……その時は、エレノア。
君の部下の出番だ。
『木材』以外の何かが、あの施設から出てきていないか、徹底的に洗え」
「了解しました。
すでに現地のステーションには、監視体制の強化を指示してあります。
……ちなみに、個人的な勘ですが」
エレノアはファイルを閉じた。
「私の勘では、木材はただの『副産物(サイドビジネス)』に過ぎない気がします。
あの施設の周辺で観測されているジャミングの周波数帯……あれは民間用ではありません。自衛隊や公安警察が使う特定の軍用帯域です。
それに、施設に出入りする警備員の動きが、ただのガードマンではない。SATか、それに準ずる特殊部隊の挙動です」
彼女の目が、獲物を狙う猛禽類のように細められた。
「木材を作るためだけに、そこまでしますか?
……もっとヤバい何かが、あの地下には眠っているはずです」
「副産物か。
メインディッシュが木材じゃないとしたら……何が出てくるんだろうな」
ウォーレンは空になったマグカップを見つめた。
「願わくば、それがゴジラの卵でないことを祈るよ。
あいつは条約を守らないからな」
「ゴジラなら、自衛隊が処理しますよ。映画通りなら」
ダグラスが軽口を叩き、部屋の空気が少し緩んだ。
「よし、会議は終わりだ。
ダグラス、次の予定は?」
「イスラエルの大使とランチです」
「最高だ。
……ああそうだ。ランチのメニューにサラダを追加しておいてくれ」
ウォーレンはウィンクした。
「新鮮な野菜が食べたくなった。
できれば日本産の……よく育ったやつをな」
ホワイトハウスの朝は、こうして不穏なジョークと共に幕を開けた。
同盟国アメリカの「目」は、確実に新木場の温室へ、そしてその背後にあるテラ・ノヴァへと向けられ始めていた。
ジャブは放たれた。
あとは日本政府がどうガードを固めるか、あるいはカウンターを打ってくるか。
太平洋を挟んだ腹の探り合いが、静かに始まろうとしていた。