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その夜。 小さな宿のラウンジは、本日も程合いの活況を呈していた。
清新な旅心地に祭りの景気も加わって、赤の他人同士、賑やかに懇親を深める者たち。
屋台メシを肴に深酒する者。 露店で求めた懐かしい遊具をネタに戯(ざ)れ合う父子(おやこ)。
窓から町の様子を眺めると、闊歩する人足は絶え間がなく。 取り取りの快気が通りの各所に花を添えていた。
本来なら、そうした模様に活力を得る性質(たち)であるが、今日だけはどうにも胸が痞(つか)えて仕様がない。
事あるごとに溜息を頻発させてはみるものの、当面の気塞(きふさ)ぎを払拭するには至らず。
なおかつ、すっかりと困憊(こんぱい)を極めた舌の根が、そのたびにピリピリと違和感を訴える始末だった。
かの町長に対し、ながく長い説教を施したのが、つい先頃のこと。
『場合によっちゃお前さん、首飛んでたよ?』
『え……?』
もっとも、あれを説教と呼ぶのであればの話だが。
悪意には悪意をもって対する。 当たり前のことだ。
ともかく、終始神妙な態度を一貫する先方の様子から、反省だけはきちんとしていたように思う。
役場を辞(じ)して宿に向かう道すがら、そういや食事にしようかとも考えたが、いまは喉を通りそうにないため、これはそっと諦(あきら)めた。
件(くだん)の大会は、混乱のうちに幕を引く形となった。
耳を澄ますと、辺りに散らばる雑多な会話の中に、どうやらそれらしき話題もいくつか紛(まぎ)れている。
「スゴかったよなぁ、今年のは」
「あんだけ盛り上がったの久しぶりなんじゃないの?」
「あれは来年から大変よ?」
いずれも口前に淀みはなく、その話しぶりは楽天的で、終盤の大騒動を持ち出す者はひとりも居なかった。
当然だ。 彼らの中で、あれは無かったことになっている。
正確には、今の彼らはあの騒動を“体験していない”
「まだ拗(す)ねてんの?」
「当たり前っしょ? よりによって、なんで姉貴なんざ」
隣り合いに投じると、ブスッと頬を膨らませた童が鰾膠(にべ)もなく応じた。
「あっしじゃダメだったんすかね? あんなタケノコ野郎の手ぇ借りなきゃなんねぇほどマズい事態でしたっけ?」
「力ってのはさ、使い時ってのがあるじゃん? それに適した」
「む………」
口さがない頑童がぐっと言葉を詰まらせた頃合いに、コーヒーカップにひと口つける。
そんな葛葉に対し、当の小烏丸は改まった様子で顔つきを正した。
「姐御は大丈夫なんか? あんなけ大勢の人生、いっぺんに変えちまって」
その口振りはいたく真に迫っており、平生の頑是(がんぜ)ない仕草とは一線を画していた。
かつて武門の棟梁の重代として、一連の栄枯盛衰を見極めた眼は、決して伊達ではないか。
「私より、お姉ちゃんじゃない? 大変だったのは。 たまには心配してやったら?」
「吐(ぬ)かせや。 今頃ほくそ笑んでやがるぜ きっと。 “世人の半生狂わせんのおもろいわぁ”とか言ってな?」
きょうだい間の確執というものを、幸いにも経験した覚えのない葛葉にとって、その辺りの事情は憶測に頼るしかない。
立場が変われば思想も変わる。 名にし負う天国作刀ともなれば、なおさら思うところがあるのだろう。
誰の腰にあって、誰を殺したか。 また、その後どうなったか。
境遇や来歴を踏まえると、互いに言葉に尽くせぬものが滾々(こんこん)と湧いて、止め処がないのかも知れない。
何より、彼らは天国作刀(きょうだい)の中でも珍しく、道具としては法外な“人格”を得てしまった。
「うちが言いてぇのはさ? 姐御の気持ちがさ、どうなのかって話」
「ん、どうって?」
「整理はついてんの? ほれ、やっぱ罪悪感とかさ」
「罪悪感? なんで?」
「は?」
姐御が変だ。
最初にそう感じたのはいつだったか。
こないだトラ公と派手にやり合った時か。 それとも高級ホテルの廊下で暴れた時か。
あるいは、あのクソデカ狼と対した時から、どっか変だったのかも知れん。
やっぱり姐御が変だ。
本格的にそう感じたのは、いきなり火を噴いた辺りか? それともあの光背を負った辺りか。
いや、そもそもあんな下らん大会に出るとか言い出した辺りから、やっぱりどっか変だった。
火焔の吐却、あれは姐御のお父っつぁんの得意技だ。
焔の光背も然(しか)り。 焔摩の威儀を正すためのお飾り、もとい内燃機関をぶち上げるための機構(カラクリ)だ。
そう考えると、何ら不思議はないように思えるが、姐御は“そっち側”じゃねえはずだろ。
なにかがおかしい。
こんな時、気慰みにもってこいの金髪娘がいてくれりゃとは思うものの、またぞろ嬉しそうに夜店めぐりへ出掛けてった。
そういやトラ公は見舞いだっけか。
えらく入れ込んでいる様子だが、ありゃ惚れたか? 惚れたな。
いや、どちらかと言うと義理立てみたいなもんかも知れん。 あの男の場合は。
とにかく、どっちでもいいから早く戻ってきてくれよ。 いまの姐御と二人っきりにされるのは、なんだか怖ぇ。
身の危険がどうこうとか、そういう種類の恐怖じゃなく。
なんだか自分の居場所を失いそうになるような。底っ腹がすっと冷たくなるような。
たぶん、こういう感じには覚えがあるから怖えんだと思う。
そう、忘れるわけが無ぇ。
紅白の旗色が揺蕩(たゆた)う軍場(いくさば)の、進退これ谷(きわ)まる情景が、有為転変を免れぬ花びらのように、あたまの中をよぎっていった。
その花の色は紛れもない。 血潮をたっぷりと吸わせたような紅だった。
異なことぢゃ。
ただでさえ御遣だとかって愉快な連中と事を構えてるってのに。
自分と一緒にくれば、千里の外(ほか)にも敗けは無い。
そう言ってうちの手を取ったのは姐御だぜ? 頼むよホント。