清潔感漂う室内には長テーブルが六個配置されており、それぞれに複数の椅子が備え付けられている。
床も、壁も、天井も頑丈な石造りだが、家具の類は暖かな木製だ。
連結する隣のフロアは大きな厨房ゆえ、その方角からは芳醇な匂いが煙のように漂っている。
朝食には少々遅い時間だが、昼食にはまだ早すぎる。今はそういう時間帯ゆえ、利用者は一人もいないはずだが、ここには三人が居座っている。
質素な革鎧をまとった、若い傭兵。
ボリュームいっぱいな瑠璃色の髪を傾けながら、コップに口をつける少女。
そして、二人の対面には隊長を務める大男。
珍しい光景だ。
食堂の真ん中で、この三人が長テーブルを囲んでいる。傭兵と民間人と軍人という組み合わせはこの場所に似つかわしくないのだが、今回ばかりはこれが正しい。
「美味しい?」
「うん」
灰色髪の少年が問いかけると、隣の女の子は無表情ながらも返答する。
「なんかすごく白いけど、何飲んでるの?」
「……わかんない」
「そっかー。ミルクにしては粘性が高そうだけど、何だろねー?」
パオラが飲んでいるのはアイランと呼ばれる飲み物だ。ヨーグルトを薄めつつ塩で味を調えることから、薄味ではあるものの飲みやすい飲料と言えよう。
この二人の関係性は、現状だと傭兵と依頼人でしかない。
しかし、兄と妹のようにも見える理由は、ウイルが保護者として十分に気にかけているからだろうか。
仲睦ましいやり取りを眺めながら、ガダムは久方ぶりに口を開く。
「おまえも飲むか?」
「あ、いただきます、ありがとうございます」
「ああ」
ウイルが頭を下げると同時に、軍人は椅子から立ち上がり、厨房の方へ歩き出す。
(傭兵にしては礼儀作法がしっかりしているな、しかも子供なのに……。わけありといったところか)
ガダムの違和感は的を射ている。
傭兵はその多くが無法者であり、教養やマナーとは縁遠い。そういったことを重要視する必要がないからだが、彼らの本業は魔物討伐ゆえ、乱暴なくらいが丁度良いのかもしれない。
「もう少しだけ休憩したら出発しよっか。そしたらジレット大森林だよ。あー、でも……、う~ん」
この旅の終着点は目と鼻の先だ。もっとも、たどり着けたら終わりではなく、ある意味でそこからが本番と言えよう。
パオラの父親、ロストン・ソーイングを探す。
正しくは、遺体を見つけ、遺品を回収する。
ゆえに、ウイルはこのタイミングで怖気づく。
その理由は二つ。
その地を縄張りとする魔物以外に、巨人族や黒い魔物が闊歩している。平時とは比べ物にならないほど危険な状態だ。
なにより、この子と死体を出会わせてしまっても良いのかどうか、十六歳の少年は判断に悩んでしまう。
(出発前は、なんか絆されて乗り気になっちゃったけど、冷静に考えたらあまりよろしくないんじゃ……。だけど、もうここまで来ちゃったし。いや、そんなのは関係ない……。巨人族程度なら、この子を守りながらでも問題ないと思うけど、黒い魔物ってのが未知数なんだよね。ジョーカーのおかげで事前に気づけるけど)
大森林を前に、頭を抱えずにはいられない。
その様子を、パオラは決して見逃さなかった。
「おなか、いたいの? のむ?」
「ん、お兄ちゃんなら大丈夫。あ、お腹は別の意味で痛いけど……」
先ほどの模擬戦で奇襲じみた打撃を腹に受けてしまった。耐えられないほどではなかったが、咳き込み、足がもつれる程度には苦しめられた上、実は今もじんわりと痛む。
隊長という階級は伊達ではないと思い知らされた。もっとも、ウイルは三年前の光流武道会にて別人ながらも隊長相手に完敗しており、彼らの実力は十三歳の時点で痛感済みだ。
(軍属だった頃のエルさんでさえ、隊長さんには一度も勝てなかったって言ってたし……。まぁ、昔過ぎて参考にはならないけど)
ウイルとエルディアが出会う前まで遡る必要がある。
貴族から傭兵へ。
軍人から傭兵へ。
その結果、二人は巡り合うのだが、四年分のカレンダーを巻き戻さなければならず、それ以前となれば懐かしいどころではない。
「持ってきたぞ、アイランだ」
ガダムが両手にそれぞれのコップを持参して現れる。
透明な容器には真っ白な液体が並々と注がれており、片方がウイルの眼前へ置かれれば、話し合いの準備は完了だ。
「ありがとうございます。アイランでしたか、軍人さんもこういうおしゃれなの飲むんですね」
「当然だ、俺達をなんだと思ってるんだ?」
「す、すみません……。水があれば生きていける、みたいなノリかと……」
「誰がおまえにそんなイメージを植え付けたのか、小一時間問い詰めたいが……、今回は見逃そう」
犯人はエルディアなのだが、この場での議題からは大きく外れるため、追及は行われない。
「あいらん、おいしい」
「飲み放題だからおかわりしても良いよ」
「飲み放題じゃないからな。まぁ、構わない……か」
パオラを前にすると、ガダムは強く出られない。それほどにこの少女は痛ましく、その素性には同情させられる。
はむはむとコップに口をつけるパオラを眺めながら、二人は一刻の静寂を楽しむ。この地はいつ巨人族に襲撃されるかわからない状況だが、今だけは朗らかだ。
「さて、本題に入らせてもらう」
茶色の髪に指を突っ込み、頭皮をポリポリとかきながら、ガダムが静かに話し始める。
腕試しが終わった後、ウイル達は軍基地の食堂へ移動した。その理由はパオラと合流するためなのだが、実はそれだけではない。
ここからが、本題だ。
「やはり、今のままではこの先へ行くことは許可できない」
「え、えぇー⁉」
軍人の発言は寝耳に水だ。
当然ながら、少年は悲鳴と共にを青ざめる。
契約の不履行はこれで二回目。普段は大人しいウイルだが、今回ばかりは大口を開いてしまう。
取り乱しながらも反論しようとするも、ガダムが出鼻をくじくようにそれを制する。
「まぁ、最後まで聞け。一週間前のことになるか。ここが、ジレット監視哨が黒い魔物に襲撃を受けたのは……」
「そ、その件なら僕も聞いています。だけど、追い返せたって……」
「ああ。だが、大事な部下を二十人も失ってしまった。たった一体の魔物に、だぞ? 俺だってミスリルの鎧を着ていなかったら危うかった。そいつはそういう次元の脅威だ」
ミスリル。武器や防具の材料に用いられる鉱石の一種。採掘量は銅鉱や鉄鉱石と比べ遥かに少なく、そのあおりを受け完成品も非常に高額だ。
ミスリル製の鎧は軽量ながらもありえないほどに硬く、スチールの鎧など紙っぺらのようだと思えてしまう。
欠点と言えば、価格と流通量くらいか。
鎧となると、おおよそ千万イール程度。一般的な大人の年収が三百万から四百万イールゆえ、傭兵でこれをまとえる者は数えるほどしかいない。
少なくともウイルには無縁の防具だ。現時点での武具でさえ、総額は十万イールほど。これですら一生懸命働いた結果なのだから、ミスリルの類はおろかスチール製の短剣さえ買い戻すことは難しい。
「ガダムさんにそこまで言わせるとなると、それほどの魔物なんだと再認識させられます。だけど、僕は行きます。この子との約束ですから」
「……死ぬことになるぞ?」
「多分、大丈夫……です。こういう状況において、僕ほど適正のある傭兵はいないと自負しています。強がりと指摘されたら反論出来ませんが……」
そう言える根拠は、エルディアと駆け抜けた年月そのものだ。彼女とペアを組むということは、危険地帯へ踏み込むと同義であり、十二歳からそのような生き方を続けていれば、自然と心身は鍛えられる。
つまりは、裏付けされた自信ということになる。
少なくとも現地の魔物や巨人族には負けないであろうことから、気を付けるべきは例の黒い魔物だけのはずだ。
「奴の腕力はミスリルの板金すらもへこませる。その上、鱗のような黒い皮膚はスチールの刃すら受け付けなかった。君のアイアンダガーは一切通用しないということだ。それでも……か?」
「はい。実演した通り、素手でもある程度は戦えます。もちろん、僕の本業は短剣ですが、スチールダガーを失った今となっては……。だから、そいつに出くわしたら大人しく逃げます。多分、その前に避けられると思いますけど」
ウイルの天技が事前の察知を可能としてくれる。ゆえに、前触れもなく出会ってしまうことだけは回避可能だ。
それどころか先に黒い魔物を見つけられるはずなのだから、戦闘か逃亡かを選べてしまう。
決定権はウイルが握っている。普通の傭兵にはない利点であり、森という視界不良な場所においても魔物の気配に怯える心配はない。
「おにいちゃん、あしはやい」
「その通り。エルさんのせいで逃げ足だけは鍛えられたから、今回もきっと大丈夫」
パオラの応援を受け、ウイルは楽しそうに笑う。
逃げることを恥じていない証拠であり、勝ち負けで言えば敗北かもしれないが、結局は死なないことが重要だと骨身に染みている。
傭兵が長生きするための秘訣だ。それを十六歳の少年が理解しているのだから、ガダムとしても納得せざるをえない。
「揺るがない決意、か。俺が何を言っても戯言でしかないようだな。だったら、ここで少し待っていろ。すぐ戻るから……、勝手に出発するんじゃないぞ?」
「う、わかってますって……」
立ち上がる軍人に釘を刺され、少年の顔がわずかに歪む。心を見透かされたからであり、無言で立ち去ることは一旦諦める。
言われた通りに待つこと数分、ウイルとパオラがアイランを飲み干した頃合に、ガダムが長細い荷物を持参して食堂に舞い戻る。
「おかわりください」
「おかわりくだたい」
「お、おまえら……。料理人のところにコップを持って行け……」
待てと言われたから待った以上、当然のように対価を求める子供達。
入れ替わるように席を立った彼らの後ろ姿を眺めながら、ガダムは先ほどまで座っていた椅子に腰かけ、手荷物を眼前にそっと置く。
黒色のそれは鞘だ。力強い色艶はこれが玩具ではない証拠と言えよう。
「それって、もしかして刀ですか?」
二杯目を右手に持ちながら、ウイルは座る前に問いかけてしまう。
それほどまでに珍しい一品だ。傭兵ゆえに日頃から武器の類は誰よりも目にするものの、刀だけは見たことがない。
「あぁ。この世界に一本しかない……、かどうかは俺の知る由ではないが、少なくとも王国にはこの一本だけのはずだ」
宝石のように黒く輝く業物の鞘。男二人は自然とそれに視線を向けてしまうも、そんなことはお構いなしにパオラはせっせと着席すると、白いアイランだけを凝視しながらコップに口をつける。
「本当に珍しいですね。刀の輸入数はかなり少ないはずなんですけど……。それとも最近は支給出来るくらいには仕入れてるのかな? 相も変わらずワカメの輸出は好調そうですが、刀を買い付けるくらいならマジックバッグをもっと買えばいいのに……」
博識だからこその疑問だ。ウイルの言う通り、イダンリネア王国は刀を作ることが出来ない。製造技術がないからであり、東の大陸からの輸入に頼っている。それゆえに高額であり、流通もほとんどしていない。
ウイルが愛用している背負い鞄も実は同様だ。魔道具に分類されるこれは見た目こそただの鞄だが、収納可能は荷物は体積を遥かに上回る。まさに魔法のような道具であり、その製造方法はイダンリネア王国にさえ開示されてはいない。
「そういう事情は貴族連中に訊いてくれ。話を戻すが、こいつは女王が傭兵に贈ったものだ。それがなぜかここにある。その理由、わかるか?」
「女王様がお与えになった? 傭兵なんかに?」
なぞなぞのような問いかけだが、そうではない。ガダムはありのままの事実を説明しており、目の前の刀はまさしくその結果だ。
(そんなことってありえる? 傭兵、傭兵……。あ……)
考えるまでもない。
三日前、この少年はギルバルド家を訪れ、家長代理のプルーシュから様々な情報を得た。
その内の一つが、等級六に至った四人の傭兵についてだ。
ユニティ名、ネイグリング。制度初の偉業を成した彼らだが、もてはやされただけでなく、王族が住まう城へ招かれ、そこで二つの物を得ることとなる。
仕事と武器だ。
依頼内容は、水の洞窟内への潜入調査。ジレット大森林の北に存在する地下洞窟なのだが、入口は強力な結界によって封印されており、入るためには勅許が必要だ。
ネイグリングの四人はそのためにジレット大森林を目指したのだが、誰一人として帰還せず、その後の足取りもわかってはいない。
出発は九日前。彼らなら片道一日程度か。調査に丸一日を費やしたとしても、三日かそこらで城へ戻れるはずだった。
四人は殺された。これが現状での見解なのだが、その結論に至った理由はウイル達の眼前に置かれた刀に起因する。
「ネイグリングのリーダーに贈呈された刀……」
「そうだ。黒い魔物がこれを持って監視哨を襲撃した。つまり、奴にとってはこれこそが戦利品だった可能性が高い」
プルーシュ・ギルバルドも同じようなことを言っていた。
誰であろうとそう結論付けるしかなく、ウイルとしても反論する気にはなれない。
「あれ? だったらなぜここに?」
「運が良かっただけだな。おそらくは刀の扱い方を知らなかったのだろう。腕力だけで振り回すから、完全に持て余していた。もっとも、それでも粒ぞろいの部下達は次々と殺されてしまったがな……」
「痛ましいですね……」
「ああ。だが、奴の右腕を斬ることには成功した。決して浅くはなかったはずだ。その証拠に奴自身は以降姿を見せていないしな。今もどこかで体力の回復に努めていそうだが、現状の戦力じゃ監視哨周辺の警戒が限界でな、見つけることは出来ていない。だがまぁ、救援の到着もそう遠くはない。そうなれば活動範囲を広げられるだろう」
つまりは、今は均衡状態を保っていれば良い。新たな部隊が到着すれば、戦力は倍以上に膨れ上がる。そうなれば、巨人族の掃討はさらに加速するばかりか、例の魔物に対しても調査を進められるだろう。
犠牲は出てしまったが、この拠点は課せられた役割を果たせている。死地に赴く軍人達のおかげであり、人間が千年の歴史を紡げている理由そのものだ。
「そういうことでしたら、この子の父親を探すついでに、僕の方でも巨人族を可能な範囲で倒しておきます」
今のウイルに出来ることはこれくらいだろう。本来は軍人の使命だが、傭兵がそうしてはならない理由もない。通行許可をもらう以上、多少なりとも貢献したいと思っても傲慢ではないはずだ。
「その娘を抱えてか? 危険過ぎる」
「そ、それはそうなんですが……」
ガダムの指摘にウイルは口ごもる。コップに手を伸ばしたいが、委縮している手前、それすらも難しい。
「ここで預かることも出来るんだぞ? どうする?」
その提案は非常にありがたい。パオラは足手まといでしかなく、守りながら探索と戦闘を続けることにはリスクがつきまとう。
守れる自信は、ある。成否は神のみぞ知るところだが、壁を超えられた今だからこそ、その自負は偽りではないはずだ。
(どうする? ってそうしたいに決まってる。だけど、大事なのは……)
彼女の意志だ。九歳の少女に決めさせることは残酷かもしれないが、ウイルは単なる傭兵だ。雇われたら仕事をする。それだけの存在であり、依頼人の意志は尊重しなければならない。
「パオラ」
「ん」
「パオラがアイランを飲みながらここで待っててくれれば、その間にお兄ちゃんがお父さんの遺品を持ち帰るけど……、それでもいい?」
最も安全なやり方だ。本来ならこれしかないのだから、悩む必要などない。
「いっしょにいきたい」
「そうだよね。うん、一緒に探そう」
決まりだ。
確認するまでもなかった。
パオラの意志は揺るがない。その点だけは、ウイルに似ているのかもしれない。
「やはり、そうか。だったら、これを持って行け」
軍人の表情が一瞬だけ渋くなるも、納得したのか声質は朗らかだ。
それと同時にウイルの眼前へ黒い長物が差し出されるも、少年はその意味を掴みかねる。
「え? この刀……、くれるんですか?」
「軍人でもなんでもない君に物資を横流しすることは叶わないが、これだけは例外だ。なんせ、単なる戦利品だから、な」
驚く傭兵を他所に、ガダムはずる賢く笑う。発言内容は間違ってはいないのだが、実際は真逆だ。
「い、いやいや、それはまずいですって……。これは状況分析のためにも持ち帰らないと」
ウイルの言う通り、この刀はイダンリネア王国へ届けるべきだろう。
そうすることで、これがネイグリングの遺品として扱われるだけでなく、謎の魔物がどれほどの実力なのか、測ることも出来るかもしれない。
なんにせよ、第三先制部隊の隊長ごときが判断すべき案件ではないのだが、ガダムは胸を張ってウイルに手渡す。
「守るんだろう? だったら、それ相応の装備が必要になる。腰の短剣はおもちゃじゃないが、今回ばかりは役に立たない。今のジレット大森林はそういう場所なんだ。なーに、使い終わったら返してくれれば良いし、気に入ったらそのままがめてしまっても構わない。上には紛失したとでも報告しておくさ」
「そうは言いますが……、僕、刀なんて使ったことないですよ?」
この傭兵は短剣の使い手だ。裏を返せばそれ以外は専門外であり、このタイミングで新たな武器を渡されても扱えるはずがない。
それをわかっているからこそ、ウイルはありがたい提案を断ろうとしている。
「長い短剣だと思えば問題ないだろう……、多分」
「多分って。両手剣ならほんの少しだけ使えますけど、刀はおろか片手剣だってまともには……」
両手剣についてはエルディアのおかげだ。彼女のスチールクレイモアを極稀に振るうことがあったからだが、そうであっても多少使い慣れている程度だ。
つまりは、刀は完全に専門外。残念ながら、触ったことすらない。
「剣の類はどれも同じだろう。長いか短いか、重いか軽いか、その程度の違いしかない、多分」
「絶対違うと思いますけど……」
「つべこべ言わず、持って抜いてみろ」
反論などお構いなしに、黒い鞘は少年の手に渡る。
こうなってしまってはやることは一つだ。ウイルは椅子から立ち上がり、左手で鞘を支えながら右手で柄を握りつつ、そっと引き抜いていく。
それを合図に蒼色の刀身がその姿を露出させるも、少年は驚きの余りそそくさと鞘に収めてしまう。
「これアダマン製じゃないですかああぁぁぁぁぁ!」
雄たけびのような絶叫が、ジレット監視哨に響き渡る。それほどに驚いたということだ。
アダマン。この大陸ではほとんど採掘されない、幻の素材だ。その強度はミスリルすら上回るため、これこそが最も強度に優れた鉱石と考えられている。
イダンリネア王国では加工はおろか精錬すら行えない。機材もなければ職人すら育っておらず、そもそも採掘されないのだから当然だ。
しかし、この刀はウイルが叫んだ通り、アダマン製だ。刀身は青く輝いており、その色はまさしくアダマン鉱石のそれでしかない。
王国では製造不可能だ。一方で、海を渡った東の大陸では少量ながらもアダマン鉱石が発掘されており、加工技術も確立されている。
遥かにすぐれた科学技術。
それを刀に出来る、職人達。
ある意味で脅威だ。もしも人間同士の戦争が勃発してしまった場合、イダンリネア王国に勝ち目はないのかもしれない。
そんなことを心配する王国民はいないのだが、王族や一部の貴族は警戒心を抱いている。それほどに、彼らの技術力は恐ろしい。
もっとも、ウイルが震えあがった理由は別にある。
原因はその金額だ。
「一目でわかったか、優秀な目をしているのだな」
ガダムは静かに関心するも、少年は勘違いの可能性を考慮し、もう一度だけ刀身を覗き込む。
「本物だあああぁぁぁ!」
その瞬間、ウイルは泡を吹いて気絶してしまう。これの価値に心が耐えられず、意識が途絶えた結果だ。。
アダマン製の武器や防具は流通していない。その理由は入手手段が輸入頼りなことと、その全てが軍に独占されているためだ。
高額ゆえに、傭兵には買えないということの裏返しでもある。
この刀は武器屋では扱っていないため、金額をつけることは難しいが、数億イールには達してしまう。
つまりは、これを売るだけで生涯遊んで暮らせてしまう。細長いだけの刃物でしかない、これにはそれだけの価値があり、所持金が数万イールの傭兵にとっては、太陽よりも眩しい。
「おにいちゃん、うごかない」
口周りを白く汚しながら、パオラがウイルをツンツンと突く。残念ながら反応すら示してはくれず、横たわるそれは死体のような有様だ。
「さーて、俺は仕事に戻るとするか。二人共、達者でな」
長身の軍人は飲みかけのアイランをグイっと飲み干し、その場を後にする。
軍人は暇ではない。隊長ならなおさらだ。
ここは最前線の戦地であり、魔物の襲撃に備え目を光らせる必要がある。この傭兵が立ち去れば、戦力は生き残った軍人だけになってしまう以上、遊んでいる場合ではない。
教養を持ち合わせているからこそ、意識を失った傭兵。
椅子に座り直し、無表情ながらも嬉しそうにコップを手に取る少女。
満足気に廊下を歩く軍人。
バラバラな三者だが、先ほどまでは同室で同じ空気を吸っていた。
ここからはまた別々の道を歩むも、背負っている物が違うのだから仕方ない。
二人は進む。
ジレット監視哨は関門でしかなく、少女の父親はこの先のどこかで朽ちかけているのだから、立ち止まるにはまだ早い。
出発の時だ。
そのはずだが、傭兵は気絶中ゆえ、今は大人しく待つしかない。
「おいしい」
旅はまだ二日目の朝。
パオラが美味しそうに喉を鳴らしているのだから、小休憩こそが正解なのかもしれない。
ここからが本番だ。
ウイルもそのことは重々承知している。
この先に安全地帯などない。現状のジレット大森林は、そういう場所だ。
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