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「お祭りだよ!? お祭りだって!」
リースが両手を上げて歓呼した。
その模様はいつにも増して幼さを感じさせるもので、どうにも迷子の二文字が脳裏を過(よぎ)って仕方ない。
「ちょっと落ち着きなさいよ」
今にも駆け出しそうな彼女の手を引いた葛葉は、それとなく人混みから外れるよう移動して、辺りをさっと見渡した。
町の中心地は、あちこちに手作りと見られる飾りつけやカラフルな提灯が施され、祭り前の晴れ晴れしい気分を一段とかき立てるものだった。
作業に追われる大人たちの快気に混じって、子どもたちの健やかな声が聞こえてくる。
準備中の屋台を見ると、よく日に焼けた景気のよいおっちゃん達が、それぞれビールを片手に談笑しているのが見えた。
人がイベントを好み、積極的に参加しようと企てるのは当世でも変わらない。
呑気だねと思う一方、これは良い兆候では無かろうかと、葛葉はしみじみと思うのだ。
イベントを楽しめるという事は、それだけ心に余裕がある所以(ゆえん)だろう。
「一週間もやるんだと」
「お、マジで?」
虎石のさっぱりとした声に応じ、近場の商店に貼り出されたポスターを覗き込む。
それによると、今宵は前夜祭。 町の方々(ほうぼう)で小規模のイベントが催(もよお)されるようだ。
「ねぇねぇ、ちょっと見ていかない?」
大げさに身を乗り出したリースが、葛葉のすぐ鼻先で幼気(いたいけ)な瞳をキラキラと輝かせた。
これはもう、提案というより懇願かも知れない。
「ん、そうなー……」
もちろん、イベント事を避けて通る謂(い)われは無いし、とくに急ぐ旅でもない。
ひとつ気掛かりがあるとすれば
「私はいいけど、トラ兄ぃは──」
「あ? 別に」
わざわざ顎先に手をやってまでポスターを熟読していた虎石が、視線に気付くやそれとなく外方(そっぽ)を向いた。
その心情を見越した葛葉は、僭越(せんえつ)ながらこれを代弁してやることにした。
「お祭り大好きだから見ていきたいって。トラさんも」
「あ? オイてめ」
「ホント!? やったー!」
水を得た魚のように、早速リースが駆け出した。
軽やかな足取りは見ているだけで心地よく、当面の気掛かりを有耶無耶にして余りあるものだった。
まるで眩しいものに臨むような思いで瞳を細めた葛葉は、ふと隣り合いに声をかけた。
「まぁ、トラさんって呼ぶにはちょっと粋(いき)が足らんわな。 字も違うし」
「てめえはなに言ってやんだ?」
「ヤバそうだったら、速攻で離れるからね? この町」
「……勝手にしろよ」
隣を見ずに応じた虎石は、横顔にひしひしと及ぶひた向きな視線から辛くも逃れようと、お決まりの仕草で面(めん)を背けた。
当て付けのつもりはないが、その様子がどうにも人懐っこく思え、自然と口も軽くなる。
「まぁ、いざとなったら私が背負って逃げてやるからさ?」
「言ってろよ」
双方とも、いまだ危機感らしいものは抱いていない。
共通点こそ少ないものの、流れに身を任せて然るべき性根のほうは、非常に似通った両名である。
もちろん、降りかかる火の粉は手ずから払うつもりだが、今さら荒波に抗おうとは思っていない。
心奥の舳先は、いつだって風の赴くままに進路をとっている。
ともかく、先を行く活動的な背中に置いていかれぬよう、二名も足取りを速やかにして賑(にぎ)わう街中へ身を投じた。
旧家が並ぶ巷路の一角に、この町の役場は小ぢんまりと門戸を構えていた。
ものは木造の屋舎で、周囲の景観に溶け込むよう配慮がなされている。
屋内は近代的に設(しつら)えられており、職員・市民ともに過ごしやすいよう工夫を凝らせた設計は、前町長と付き合いの長かった宮大工による仕事だ。
自動ドアを潜ってすぐ、赤絨毯が敷かれたロビーは吹き抜けになっており、天井には大判の天窓が配されている。
これが外光を多く取り入れ、役所に付きものな閉塞感や堅苦しい雰囲気を幾分にも和らげていた。
普段は活気のある受付も、本日は多数の職員が出払っているため、じつに閑静なものだった。
この午後のひと時を綽然(しゃくぜん)として小休止にあてた町長は、自室の窓から満足げに広場の様子を打ち眺めた。
町のシンボルとして長らく親しまれる噴水は、いまや市民が物を添え手を加え、立派に装飾されている。
ふと駐車場を見ると、懇意にしている酒屋のトラックがおもむろに滑り込んでくる所だった。
今夜は当の広場で、大々的な飲み競(くら)を開催する予定だ。
特に景品を準備している訳ではないが、住民たちは根っからの勝負好きとあって、楽しみにしている者も多かろう。
尚のこと、ただ酒にありつけるとなれば、その活況は容易に想像できた。
今年の祭りも盛大なものになればいい。
そんな風に見晴らす町長の目に損得勘定はなく、彼もまたこの催しを楽しみに待ちわびた市民の一人に過ぎなかった。
前町長は彼の祖父だったが、その功績は大きく、自分に跡を継げるのかと。 また、同族経営の謗(そし)りを受けはしないかと、当初は非常に危ぶんだものだった。
とにかく身を粉にして働いた成果があったのか、それは今になっても実感がない。
ただ、祖父から託されたものを誇りに思えるようになったのはたしかだった。
この役場も、この仕事も、そしてこの肩書きも。
それもこれも、自分を町長さんと親しんでくれる住民たちのお陰だろう。
ならば、自分には彼らを楽しませる義務がある。 この祭りを通じて、一人でも多くの住民を喜ばせることができたなら、町長としてこれに勝る名誉はない。
「どうぞ?」
「失礼します!」
不意のノックに応じたところ、慌てた様子の秘書が大汗をかいて飛び込んできた。
何事か不備など持ち上がったかと気を揉んだが、どうやらそうでもないらしい。
話を聞くうち、これは願ったり叶ったりではないかと、町長は満悦に足る思いで目尻を下げた。