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ワシは一目見て、その者が虚ろであると見抜いた。
橘逸勢と義真の調査で、どうやら、不老不死の秘文である黄帝内経は、越州(えっしゅう)の龍興寺(りゅうこうじ)に隠されていると判明しておった。
そこで、ワシも最澄と同じように、帰国の前に龍興寺を訪ねてみたのじゃ。
しかし、誰に聞いても「黄帝内経などという書物は保管されておらぬ」と断言された。
それでも、諦め切れぬワシは、寺中を何ヶ月も探し回ったが、とうとう見つけることが出来なんだ。
出港の日が刻一刻と迫る中で、ワシは高階遠成から、「もし、不老不死の法が手に入らなければ、お主を帰国する船には乗せぬ」と圧力を掛けられて、柄にもなく焦っておった。
高階遠成の官位は、正六位と決して高くはないが、己が長屋王の末裔であることを鼻にかけておったから態度がデカい。
その上、ワシが一介の学問僧である為に、「この男の運命を己が握っているのだ」という驕りが、如実に表れておったわ。
その日も、埃まみれの書庫を探し回るのに疲れて、境内を散歩しておると、鍼治療の看板が目に入ったのじゃ。
近くで、掃き掃除をしておった小坊主に尋ねてみると、太医署(たいいしょ・宮廷の医療機関)で鍼医をしておった啓玄子(けいげんし)という者が、隠居して治療所を開いているというではないか。
何ヶ月にも渡る過酷な探索で、疲労困憊しておったワシは、その名医に鍼を打ってもらおうと診療所を訪ねてみたのじゃ。
質素な診療室に通されたワシは、一目でその医者が虚ろであると見抜いた。
しかし、色々と考えをめぐらせる前に、まずは、ワシ自身が養生をしなければならぬ。
すると、その医者は感情の込もらぬ声で、こう言ったのじゃ。
「お主も、随分と辛い人生を歩んできたのじゃな。
身体中から、大量の穢れが吹き出しておるぞ」
「私の身体から穢れが吹き出ているのですか?
貴方には、それが見えるのですか?」
この言葉に、魚の死骸のような目をワシに向けて、「見える」と短く答えてから、「祓ってやろうか?」と聞いてきたのだ。
医者にこう言われて、結構ですとは言えぬから、ワシは素直に「お願い致します」と頭を下げたのじゃ。
それを聞いた鍼医者は、治療道具を揃え始めたのじゃが、これが一風変わっておってな。
最初に摘み出したのは、鍼ではなく、三寸ほどの一本箸じゃ。
しかし、よく見るとそれは一本箸ではなく、茎が空洞の植物に漆を塗り、先端を斜めに削った鍼のような道具であった。
次に、灸ではなく、優雅にも香を焚き始めたのじゃ。
ワシが皮肉を込めて、「灸ではなく、香に火を着けるとは雅(みやび)ですな」と言うと、気にする風もなく、「穢れを欺くためじゃ」と吐き捨ておった。
ワシは鍼医者の指示通り、座したまま三衣(さんね・僧侶の普段着)を解いたところまでは覚えておるが、それ以降の記憶がないのじゃ。
薄れゆく意識の中で、聞き慣れた陀羅尼(だらに)を耳にした気もするが定かではない…
コメント
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第22話、読ませていただきました。空海が、あの疲れ切った心身を抱えて啓玄子という鍼医に出会う場面、とても引き込まれました。「一目でその者が虚ろであると見抜いた」という一文に、空海の観察眼の鋭さと同時に、どこか同類を見つめたような複雑な感情が滲んでいて、ぞくっとしました。記憶が途切れる不気味な治療も、古代中国の医術の神秘を感じさせて、この後どうなるのか気になります。井野さんの描く空海の焦燥と諦念が混ざった心情が、とても繊細で素敵でした。
#すとぷり
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井野匠
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