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出会いの季節は春だというが、雪と氷の出逢いは冬だった。舞台は雪の降り積もる山奥で、死にかけの状態の氷に声を掛け、《生》という名を告げた。

『物の怪の子が、簡単にくたばらないで。わたしが助けてあげるから、《死》なんて名前捨てなさい』

『……そんなの、知らない。分からない。要らない。皆、仲間は死んだ。祓われた。ぼくもこのまま死ななければならない。邪魔をするな』

満身創痍だというのに、それでもなお刀の先を向けてくる氷に雪は目をぱちくりとさせた。

『邪魔なんて無粋な事、わたししてないわ』

小首を傾げながら何が問題なのかと問う雪を見て、氷は悟った。

____この少女、何かおかしい。

見た目は完全に半人半妖。何の変哲もない混血児だ。そのはず、なのに。


言い様の知れぬ悪寒が襲うのは何故だろう。


今斬りかかった所で、返り討ちに合う未来しか想像できない。それ程までに彼と彼女の差は大きいのだと氷は理解した。

『大丈夫よ。痛くはない。寒くもない。でも……あなた、不思議な名告げをされたのね。普通は一つなのに、あなたには名が二つある。《死》はわたしがどうにかできそうだけれど、もう一つの方は何だかよく見えないわ。これじゃあ半分だけしか新しくならない…………どうしましょう?』

『……っ! じゃあこのまま死なせてくれよ! その名があるから、ぼくの周りは汚れるんだ!』

どうすればいいのか分からなかった。血を分け合った親兄弟は、物の怪であるという理由だけで人間に惨殺された。悲しかったが、これも一つの運命だと受け入れていた。

『全部ぼくのせいなのに……何で誰も彼もぼくを殺してくれないんだよ…………』

氷は分からなかった。どうして自分が生き残ったのか。どうしてこんな名を告げられたのか。どうして今初めて会った少女にそう心の内の一部を零したのか。

雪はそんな氷をただ、嘲笑った。

『全部あなたのせいなら、そんなあなたの願いを誰かが叶えるわけないじゃない』


そう純粋無垢に、そしてどこか悲しげに、雪は氷を嘲笑った。



名告主の役目は、名を回収し、新たな名を名告げる事。そのものの性質を決め直す事。『そのもの』についての具体的な情報はないが、名告主に名を求めるもの達のほとんどは物の怪だ。人に名を告げるような事象はほとんどないと言っても過言ではない。なぜならば、人は自らで自らに名を告げるからだ。

__けれども稀に、今日の仕事のように、人間に名告げを依頼される事も、ある。

時刻は午後九時頃。雪と氷はとある公家の家を訪れていた。

「……ふふ。まさか名告主のご本人様にお会いできるとは光栄の極みです。夢でも見ているのかしら」

初老の人の女性がお茶を点てながら上品に微笑んだ。幼い頃から教養を身に付けていた者特有の雰囲気を纏っている。

雪はそんな女性の言葉を聞き流し、我関せずとばかりに茶菓子に手を付けていた。作法もまるでなっていなかったが、女性が咎める気配はない。名告主のしたいままにさせる事こそが名告げの儀式の成功の是非に関わっていると、感覚で理解しているようだった。

____こういう人間は苦手だ。

部屋の隅で待機している氷は、表情を動かさずそう思う。そもそもこの家の匂い自体、氷は好きではなかった。

この家は代々物の怪を見る眼を授かり、主に低級の物の怪を使役している。この家が重宝されているのは、表に出せるような華々しい業績よりも、そういった裏の業績の方に中央が目を付けたからだ。

「それにしても名告主様。あなた様のような方が、どうしてあの様な物の怪を連れているのです?」

例えそのような事情を横に置いたとしても、氷はこの家に、またこの女性に好意は抱けなかっただろう。

「……それは、名告げに関係ある質問?」

人や混血児とは比べものにならない程、物の怪は鼻が良い。上手く巧妙に隠されたものでさえも嗅ぎ分けることができる。それは物の怪が人よりも獣に近い存在であるからだ。

「えぇ。あなた様の答え次第では大いに」

氷は、気付いていた。この屋敷全体に腐臭が漂っている事に。この老婆から血の匂いがする事に。だからこそ、氷は腰に下げた刀に手を置き、いつでも抜刀できるよう待機していた。

「まだ相応しい名が分からないから、連れているだけ。深い意味はないわ」

「ふふふ、そうでございましたか。確かに今は、そんな関係のようですね」

朗らかに笑う女性のその奥にある歪なものに、雪も気が付いている。それでも雪がここに来たのは、名告主の役目を果たすためだ。

雪は懐から分厚い冊子を取り出す。その冊子の中には先代の名告主が名を告げたものの詳細が書かれているのだ。

「佐野椿。確かにあなたは数年前、先代の名告主に名を告げられているけれど……率直に訊くわ。あなたの名のどこが不満?」

佐野は首を振って答えた。

「いいえ。いいえ名告主様。名告主様の名告げた名に不満などあるはずもありません。そして今回名告げて頂きたいのは、私ではないのです」

「じゃあ……誰に名を告げてほしいの?」

雪の問いに佐野は答えなかった。ただ、ひどく疲れた笑みを見せ、雪達がこの部屋に訪れた時から佐野の側に置いてあった細長い箱の蓋を持ち上げる。雪がピクリと眉を動かす。氷は予想していた中身のものの、状態の悪さに驚いた。

箱の中に入っていたのは、一人の男性の死体だった。

「……『これ』に名を告げろと?」

佐野が愛おしげに死体の首を撫でると、死体の髪が彼女の手に纏わりつく。それから佐野は少し怒ったふうに、こう続けた。

「『これ』なんて言わないで欲しいものです。まだ我が夫の魂は、ここにあるのに」

「…………」

雪も氷も、揃って口を噤む。こんなただの死体に魂を留められるはずもない。佐野は一体、何を名告主にさせようとしているのだろう。刀の柄を握る氷の力が強くなる。

佐野はそんな氷を一瞥すると、小さくため息をついた。

「確かに今この人は死んでいるわ。それは疑いようのない事実よ。でもね、やっぱり生き返る方法が一つでも残っていたら、それに賭けたくなるのが、人情でしょう? 違う? ねぇ名告主様、私はおかしい?」

佐野は顔を赤らめながら、据わった目で話し始めた。彼女は自らの震える手を見つめ、液体を掬い上げるような動作を見せる。

「だから、全部試したわ。古い呪いも、西洋の儀式も、呪物や人の血肉を使ったものだって、全部よ。…………でもね、だめだった。どうしてでしょうね。こんなに願っているのに」

佐野の視線が雪に行き着く。雪は身動ぎ一つせずにそれを受け止めた。

「名告主様。どうかこの憐れな老婆の願い事、叶えてくださいませんか?」

「…………あなたがなんと言おうと、この死体に魂は宿ってないわ。それ即ち、名を告げるなんて不可能なの」

雪の返答を聞いても、佐野の表情は何一つ変わらなかった。

「そう…………なら、あなた様程の生贄を捧げれば、生き返るのかしらね?」

「………………!」

「やめなさい氷」

抜刀した氷を宥めたのは雪だった。が、しかし氷に雪の命令を訊く道理はない。

本能が警鐘を鳴らしていた。この害悪は、この汚い人間は一刻も早く始末しなければならないと、氷の理性もそう言っていた。

佐野の喉元に刀の切っ先を向けたが、佐野はただ壊れたように笑っただけだ。

「ふふ……ねぇ名告主様。あなた、やっぱり先代様とは違うわね」

「そうかもしれないわ。何しろわたしは半神半妖半人らしいから」

「いいえ。そういう意味じゃあ、ありませんよ」

「…………」

「『あなた』、いつまでそのままでいられるでしょうね。いつまで、気付かないふりを続けられるでしょうね」

「…………何を言ってるのかさっぱりよ」

「あなた随分と感情が麻痺しているみたいだけど。これくらいは解るはずだわ。そうでないのなら……」

愛で潰れてしまった人の成れの果ては、まるで『愛』を囁くように雪に告げる。疑いようのない事実を。あるいは感謝を。もしくは、呪いを。


「名告主であるあなた様が、世界の意志の代弁者であるあなた様が、こんなにも優しいはずないじゃない」


雪は佐野の言葉には何も返さず、氷に語りかけた。

「氷。あなたはまさか、わたしがいる場所で流血沙汰を起こすつもり?」

「……問題はないはずだ」

「あるわよ。問題」

雪は袴の裾を掴み、ヒラヒラと振った。

「この可愛い着物に血が付いたらどうするつもりなの?」

相手に有無を言わさぬ雪の言外の圧に黙らせられた氷は、舌打ちを残して部屋を出ていった。

氷が完全に見えなくなった所で、雪は困ったように呟く。

「皆『優しい』、『優しい』って……目が節穴にも程があるわ」

雪はただ役目をこなしているだけだ。特別なことは何もしていない。これから厳しい名を告げたり、美しくない名を名告げる事だって多々あるだろう。だから……そんな名告主が優しいなんて、あってはならない。

雪は氷の後を追おうと部屋の戸に手をかける。元より佐野の罪を暴くつもりも、罰するつもりもなかった。人は苦手だったから、必要以上に関わるつもりも無かった。佐野の『名』が雪を呼んだから、訪れただけのこと。

しかしいざ訪れてみれば、死人に名を告げてほしいという。結果だけ見れば、完全に無駄足だった。

______けれど、そう分かっているはずなのに、どうして。

こんなにも、泣きたくなるのか。ここから、離れ難いのか。

なぜか佐野を見ていると、壊れた彼女を見ていると、別の道を選んだ自分のように感じるのだ。佐野家の雰囲気に毒されたか、とも思ったが、違う。これは、きっと____。


あの日あの時あの瞬間に、泣けなかった後悔。


雪に無視されてしばらく黙っていた佐野が、また口を開けた。

「私は、きっと死ぬまで諦めきれないのでしょうね」

どこか諦観したように。

「ねぇ、名告主様」

誰かに縋るように。

「私は狂っているのかしら」

どこかに救いを求めて。

雪はあくまで淡々と、短い言葉で返した。

「……さあ。私には、判別がつかないわ」

と。


「だってわたしも、きっと____狂っているもの」


それは、あの日、あの時、あの瞬間から。

ただの少女の最後の『名告げ』

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