テラーノベル
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放課後の廊下は、ざわめきがすっかり落ち着いていた。
ほとんどの生徒が帰ったあと。
夕焼けが昇降口のガラスを赤く染め、教室の奥に長い影を落としていた。
遥はその影の端、昇降口の外を見つめて立っていた。
ただ、立っている。何も考えないように、呼吸だけしていた。
カバンを持つ手の指先が、じんわりと汗ばんでいた。
昼間の女子たちの声が、まだ耳の奥でくすぶっている。
──好きすぎて馬鹿みたい
──ほんと、蓮司って趣味悪いよね
──あんたなんかが
(……あんたなんか、が。……なんだよ)
誰もいないはずの後ろから、ふと気配がした。
ゆっくりと振り向くと──日下部がいた。
驚くほど、何も言わない。
ただ、そこに立っていた。
立ち尽くす遥を、まっすぐに見る目。
その視線が、やけに熱かった。
皮膚の表面じゃない。もっと、奥の、剥き出しの場所を見られているような──そんな感じがした。
「……なに?」
遥が先に口を開いた。
ぶっきらぼうに、視線も合わせないまま。
日下部は、一瞬だけまばたきをして、それから言った。
「──ほんとに、あいつのこと……好きなんだ?」
低い声だった。
どこにも責める響きがない。
ただ、事実を確かめるような、投げかけ。
「……そう見えたんなら、成功だよな」
遥は笑ってみせた。
いつもの、薄い、乾いた笑い。
「──頑張って演技してんだよ。お前が“見てる”から」
そう言いながら、喉の奥が少しだけ詰まった。
日下部は何も言わなかった。
ただ、また“見ていた”。
まるで、遥の言葉の嘘と本音を、すべてふるいにかけるように。
逃げ道を塞ぐでも、無理に迫るでもなく、ただ、逃がさない視線。
「……なんだよ。なんか言えよ」
遥が吐き捨てるように言った。
なのに、日下部はやっぱり、何も言わない。
ただ、遥の言葉が“演技”じゃないことを知っているかのように、
「痛いとこだけ」じっと、見てくる。
その目が、遥の奥の何かを──
たとえば、ほんのわずかに震えていた“期待のかけら”を──見透かしている気がして、息が詰まった。
「……うるせぇ」
そう言って、遥は背を向けた。
逃げるように歩き出すと、足音がいつもより重く響いた。
日下部は、それ以上、何も言わなかった。
でも、遥は背中に──あの視線だけが、ずっと残っているのを感じていた。
見ないでほしい。
でも、見ていてほしい。
(──お前にだけは、気づかれたくなかったのに)
胸の奥に、小さな亀裂が走る音がした。
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