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猫とろ
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#初恋
金子りさ
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SACRAのビルを出て、スカイガーデンがあるスカイホテルまでは歩いて十分ほどだった。オフィス街にあるホテルだけあって、優美さより機能美を優先した白と青の外観はとてもスマートだ。
スカイガーデンの他にもレストランフロアがビルの中に併設されているので、普通のホテルより気兼ねなく中に入りやすい。
夕方になり、食事目的であろう人たちに紛れて、スカイホテルのある階までエレベーターで登る。
ホテルのあるフロアで降りて、フロントで潤の名前とルーム番号を告げると、二名で部屋を借りていたらしく、スタッフの方からカードキーを渡された。
そのままカードキーを片手に部屋へと急ぐ。
ホテル内もやはり、すっきりとした内装でビジネスホテルのようだと思った。
「部屋はここかな」
お目当ての部屋を見つけてカードキーを構えるが、やはりベルを鳴らしたほうが良いだろうと思い直した。
ここまで急ぎ足で来たので、少し汗ばんでしまっている。さっと髪だけを整えた。
すうっと息を整えてから、ドア横のインターホンを鳴らす。
すると、直ぐにドアが開き、中から髪が少し乱れた潤がぱっと飛び出して来た。
しかも、会社ではきちんと着込んでいたジャケットもベストもネクタイも、すべて取り払われている。
潤はいつもキッチリしているから、シャツスタイルのラフな姿は新鮮で、とても珍しいと思った。
「潤、お待たせ」
「──やっぱり、知佳に名前を呼ばれると凄く嬉しい」
「え?」
ちょっと照れ臭そうに微笑む潤にドキッとする。
名前の呼び方にも何かあったのだろうかと思う間もなく、部屋の中へと素早く招き入れられ、ドアの内側でぎゅっと潤に抱きしめられた。
背中と腰に回った潤の手は、いつもよりずっと力強い。
シャツ一枚の向こう側から、潤の素肌の硬さと体温がダイレクトに伝わってきて、備品室での密着よりもずっとドキドキした。
「潤、本当にどうしたの?」
「ああ、ちゃんと何があったかは話す。でも、色々あって今の俺は知佳欠乏症だから、まずは知佳を補給したい」
潤はそう言うなり、私の首筋に顔を埋めて、大きく深呼吸した。
「あっ、今急いで来たから、その……少し汗ばんでいるからっ」
「知佳の香りはいい香りだよ。俺が一番、好きな香りだ」
「やだ、恥ずかしいっ」
私が汗ばんでいるというのに、潤からはいつもの爽やかな香水の香りがするのでズルいと思う。
むう、と心の中で抗議しながら潤の身体を引き離そうとするけれど、潤は離れるどころか、さらにぎゅっと力強く抱き締めてくるだけだ。
私は諦めて観念し、潤の腕の中でしばらく大人しくすることにした。
その間、潤の肩越しに見えたダブルベッドの上に、放り投げ出されたジャケットやベスト、ネクタイが視界に飛び込んできた。
視線を巡らせると、窓際のソファとテーブルの上に、白い皿と空になったグラスも見つかる。
潤は上原杏莉という人と話し終えたあと、酷く疲れてこの部屋でぐったりと休憩していたのだろうか、と胸が痛んだ。
潤がもう一度深呼吸をしたあと、ぼそっと「このまま、知佳を抱いてしまいたいな」と耳元で囁いてきたので、私は慌てて強めに身体を引き離す。
「もうっ、潤っ」
急いできたばかりなのに、と抗議の視線を向けると、潤はどこか楽しそうに苦笑した。
「半分は冗談だ。そうだな、先に話さないとな」
潤の手が背中から離れたかと思うと、今度は私の手を引いて部屋の奥へと進む。
窓際のソファで話し合うのかと思いきや、手前にあるベッドの上に、先に潤がポスンと腰を下ろした。
そこから流れるような動作で引き寄せられ、気がついたときには、私は潤の膝の上に座らされていた。
腰には潤の手ががっちりと回され、もう片方の手は、私の指先へと優しく絡められている。
「よし。じゃあ、話そうか」
「潤っ、ちょっと待ってくださいっ。私、潤の膝の上なんですけど……!」
膝の上に座らされているせいで、いつもより潤と合わせる視線の位置が高い。
お尻の下で感じる、潤のしっかりとした男らしい脚の硬さにモゾモゾしてしまう。
それなのに、潤は何事もないようにしれっとした顔をしていた。
「さっき言っただろう。知佳が足りないって……本当に、大変というか──面倒くさかったんだ」
潤ははぁ、と大きな溜め息を吐きながら、私の腰をさらに自分の身体へと引き寄せて呟く。
「だから、知佳にこうしてくっつかないと無理。話す気力が湧かない」
すり、と首筋に頬ずりをされる。
まるで気位の高い大型犬が、私だけに懐いているみたいで「ダメ」とは言えない。私は気恥ずかしさを覚えながらも、潤の膝の上でおとなしく話を聞くことにした。
──すべての経緯を聴き終えて、私は潤の膝の上で項垂れてしまった。
潤に結婚を勧めたのが、やはり上原専務だったこと。そして、その娘さんが上原杏莉さんという、あのインフルエンサーの『Uehara』だったこと。
SACRAのビルの前で見せてくれたあの明るい笑顔も、直接のメッセージで親切にコスメのことを色々と教えてくれていたのも、すべてに裏があったのだと思うと、胸が苦しくなる。
それに、潤と結婚をしたいがためにSACRAの関係者と繋がりを持ったり、嘘を吐いて、ありもしない捏造したAI画像や動画を潤に見せつけたりしたなんて……もう、どこから何を言えばいいのか分からない。
途中で、部屋に完備されている冷たいミネラルウォーターを口にしたけれど、到底リフレッシュできるものでは無かった。
はぁ、と何度目か分からない溜め息を吐いて、潤が「凄く疲れた」と言っていた意味を、ようやく本当の意味で実感する。
ふと窓の外を見れば、いつの間にか空はすっかり暗くなっていた。
「知佳、大丈夫か? ルームサービスでオレンジジュースとか、デザートでも頼もうか」
潤の手が私の髪をさらっと撫でた。
潤は私を心配そうに見つめている。
それは始終、潤がここに来て理路整然と説明してくれた態度と変わらない。
そのおかげで、私は取り乱すことなく、大人しく潤の言葉に耳を傾けることが出来た。
潤が結婚を勧めてきた上役やそれに関連することを私に言わなかったのは、私と結婚して済んだことだと思っていたからだと、念入りに説明してくれた。
私はそこに何も不安を抱かなかった。潤は女性と二人で会うということに、真っ先に私に連絡をくれたから。
その誠実さは、契約結婚などは関係なく、一人の人間として大いに信頼出来ると思った。
だから私は項垂れている場合じゃないと、首を横に振った。
ドリンクを飲むより先に言いたいことがある。
「ううん。大丈夫です。潤、話してくれてありがとう。それよりも私も話したいことがあるの。次は私から話してもいい?」
潤が言っていた『Uehara』……いや、上原杏莉さんと私のやり取りについては、私の真実とあまりにも乖離している。
潤が上原さんの話は毛筋ほども信用していないと、前置きで話していたけれど、それでも私の気持ちを伝えたい。
それに潤が、私と上原さんがどうやってコンタクトを取り出した切っ掛けなど知りたがっている箇所もあったので、潤に体を寄せながら、今度は私が口を開いたのだった。
──その後、私と潤の話を統合して、一連の上原さんの行動も含めて全体像が掴めた。
コメント
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潤、知佳を膝に乗せて「知佳欠乏症」って言いながら頬ずりするところ、本当に大型犬みたいで可愛かったです……! あのラフな姿を見せてくれるの、契約結婚じゃなくてちゃんと恋人同士になってきた証拠ですよね。上原さんの話を聞いて知佳が自分の口で真実を話そうとした場面も、お互いを信頼してるからこそだなって温かい気持ちになりました。