「……嘘、信じられない」
バタンと勢いよく玄関扉が閉められ、アネモネは座り込んだまま呆然と呟いた。
正式な手順を踏んで、屋敷に足を踏み入れることを許可されたのに、この仕打ち。
やんごとなき方々は、総じて人の話を聞かない人種であることは知っているけれど、ここまでの横暴さは初めてだ。
極めて胡散臭い人物と思われたのだろうか。
事前にお伺いを立てる手紙を送るべきだったのだろうか。
それとも流行りの遠縁の親戚と偽って援助をねだる「どうも、どうも詐欺」だと思われたのだろうか。
確かにアネモネの服装は、くるみボタンしか装飾がない鈍色のワンピースに、ネズミ色の外套で、お世辞にも品があるとは言えない。
はっきり言ってしまえば貧相だ。お貴族様からしたら、貧民街から来た物乞いに見えるのだろう。たとえ洗濯したばかりで、出掛けにアイロンだって当てたものだとしても。
無論、どんなに言い訳したところで、今の服装が貴族の邸宅に訪問するのには相応しくないことぐらいわかっている。
でも<紡織師>という職業は、切羽詰まった人や、自分の力じゃどうすることもできなくて追い詰められた人を相手にするので、華やかな服装はご法度。
だからこれは、ある意味で紡織師の制服。あえての服装なのだ。
付け加えるなら、アネモネは貧相な身なりではあるが、摘まみ出したくなるほど醜女ではない。
腰まで綺麗に伸ばしたシャンパンゴールドのさらさらの髪に、陶磁器のようなつるりとした肌。一番強く主張をしているのは、透き通った水色の宝石のような瞳。次に、花びらのような薄紅色の唇。
全体的に色彩が薄く、10代後半特有の蕾が開花する途中のような雰囲気も相まって、儚さすら感じられる。
体つきは、貴族青年が片手で首根っこを掴めるくらい華奢で、外套からのぞく手首は病的に白い。
そんな磨けば至高の宝石になるやもしれないアネモネは、開かない扉を見つめながら現在進行形で拗ねている。
(そりゃあ、師匠のお古だから流行遅れだけど……それに紡織師なんて知名度皆無だから胡散臭い職業ではあるけどさぁ……)
だからといって、話をぶった切って外に放り出されるなんてあんまりだと、アネモネは悔しげに唇を噛み締めた。
といっても、このままここで無駄に時間を過ごすわけにはいかない。
今回の依頼は、亡き師匠が受けた案件の続きなのだ。
アネモネ個人としては、一人前の紡織師になったことを、あの世にいる師匠に見てもらう絶好の機会でもある。とはいえ、
「どうしよっかなぁー、これ。超難題だよねぇ」
アネモネは未だ尻もちを付いた状態で悪態を吐く。
気まぐれで横柄な貴族の逆鱗に触れたことは間違いないが、その真意はわからないし、理解する猶予さえ与えてくれなかった。
アネモネを摘まみだしたお客様の名は、正しくはアニスヒソッド・ブルファと言う大層ご立派な名前である。
容姿もその名に恥じることなく、琥珀のような透明感のあるだいだい色の髪に、冬の空を連想させる灰色の瞳の美形。
加えて侯爵家の当主らしく、仕立ての良い衣装をパリッと着こなせる、品の良さもある。
しかし、かなり複雑な生い立ちのせいか、性根が腐った感じがする青年だった。例えるなら人の足を踏んづけたまま、朗らかに会話ができるタイプ。
そんな一筋縄ではいかない相手を怒らせ、こちらも暴力的な扱いを受けた。
依頼主からの「無理なら仕方がない」という言葉が後押しされ、許されるなら、ここで契約不履行ってことで、前払いしてもらった代金をネコババしようかとすら思ってしまう。
だが、できない。だってこうしている今だって、先代の顔がチラついているのだ。
「……ちっ」
アネモネは、はしたなくも舌打ちした。
こんな行儀が悪いことをすることは滅多に無い。逆に言えば、それ程までに腹が立っている。でも、やらなければならない仕事だ。
<紡織師>の矜持で、やる気は幾分か回復したけれど、苛立ちはそう簡単には消えてはくれない。
アネモネは深呼吸を繰り返しながら目を閉じ、当たり前のことを思い出す。
非常識なことをしても、それを非常識なことと咎められない人種がいることを。
それはこの国で一握りしかいない、貴族と呼ばれる者。アニスもその一人だ。
ただそういう存在を認めることはしても、屈するつもりはない。
「ふんっ……いいよ。じゃあ、その喧嘩買ってあげるから」
向こうが乱暴な態度を取るなら、こちらとて手段は選ばない。
アネモネはそう呟くと、鼻息を荒くして萎えてしまいそうな気持ちを奮い立たせた。