どんな職種でも新米が一人前になる一番の近道は、数多くの案件をこなし、経験を積むこと。
つまり、悩むくらいなら、行動に移すべきなのだ。
先人の教えを素直に受け入れたアネモネは、再度挑戦しようと一度は思ったが、玄関を叩いたところで、門前払いを喰らうのは目に見えている。
「仕方がない。師匠と同じ手段でいくか」
苦渋の決断をしたアネモネは、よっこいせと声を上げながら立ち上がる。ついでに乱れた髪を手櫛で直す。
3回撫でれば元に戻る髪質は、とても有り難い。どこぞの御貴族さまとは、雲泥の差だ。是非ともこの聞き分けの良い髪質を、見習ってほしいものだ。
そんな意味不明な主張を心の中でぼやきつつ、アネモネはこっそり屋敷の裏に回る。
幸い、慌ただしい朝の仕事が一段落したのだろうか、ブルファ邸はしんと静まり返っていた。
アネモネは、しめしめと意地悪く笑う。
なぜなら、これからやろうとしているのは、強行突破という名の不法侵入だからだ。
目的を達成させるためなら<紡織師>は、時として手段は選ばない。
亡き師匠だって、そりゃあ色々やらかしていた。
でも、一度も警護団に突き出されるようなヘマをしたことはない。言い換えると、紡織師は依頼品をお届けすれば、少々破天荒なことをしても咎められることはない。
そういう特権を持っている存在なのだ。
ただ、お届けする前に派手なことをしてしまえば、警護団に突き出されてしまう。それは困る。なぜなら牢屋の飯は不味いらしいので。
「……それにしても広いなぁ」
ほとんどのことには無頓着でも、食事に関しては厳しいアネモネは、慎重に屋敷の壁沿いを歩き、室内に侵入できる場所を探す。
屋敷の主人の器は狭小なのに、建物もでかいが、庭も広い。黒レンガの壁と尖った屋根は、まるで難攻不落の要塞のようだ。
窓の数など、数えることを前提とされてない多さだ。なのに、一つも開いていないというのはこれ如何に。
本日は晴天。初夏の心地よい風が庭の枝木を揺らしている。こういう日は、窓を全開にして、お部屋の空気を入れ替えるべきなのに。
そんな余計なお節介を焼いてみたのが幸いしたのか───ここで事態が動いた。
見知らぬ誰かが、内側から二階の窓を開けてくれたのだ。
カーテンのせいで顔は見えなかったが、窓から出た手は節ばってたから多分、男だろう。遠目からでも気づいてしまうほど、男の手の甲には大きな傷跡がある。
(……痛そう)
そんなことを思って憂えたのは一瞬で、アネモネはすぐに目を輝かせる。
開いた窓が二階だったのは惜しいけれど、ちょうどすぐそばに、梯子よろしく百日紅の木がある。これなら難なく、屋敷に侵入できそうだ。
アネモネは、顔すら見えなかったその両手を拝みたくなった。
「よしっ、やるか」
思い立ったが吉日とばかりに、アネモネは荷物と外套を地面に置くと、百日紅の枝に手を伸ばす。
これでも森育ち。木登りなんぞ朝飯前。ちょろい、ちょろい。
アネモネは勝手知ったる手順で、枝に手を掛けた。と同時に、手首からシャランと涼し気な音がなる。それは織師の証である腕輪が奏でたもの。
彼女と同じ花の名のフィルグリー模様は、国一番の技師の手で造られたような繊細なそれ。
普段こまめに手入れをするどころか、身体の一部のように乱暴に扱っているのにも関わらず、まるで新品のような輝きを放ち、サイズもピッタリなのである。
しかし実はこれ、亡き師匠から紡織師を継いだときに譲り受けたもの。
アネモネより幾分かふくよかだった師匠が腕にはめていた時も、腕輪のサイズはピッタリだったし、新品同様に輝いていた。
多分、魔法的な何かのおかげなのだろう。真相はわからないが、これは紡織師にとってなくてはならない商売道具なのだ。
シャランシャランと腕輪を鳴らしながら、アネモネは木に登る。お猿もびっくりするほど、するすると。
脳裏に、ぎょっとした顔のアニスが浮かんで、ついニヤリと笑ってしまう。
(ふふっ、<紡織師>を舐めないでよね。この程度で諦めるもんですか!)
そんな奢りが、いけなかったのだろうか。
二階の窓に届く高さまで登ったアネモネは、距離をきちんと測ることをせず、窓に手を伸ばした。
「っ……!!」
しかし、わずかに届かず、バランスを崩して落下してしまった。
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