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講義のチャイムが鳴っていた。
だが、悠翔は教室には向かわなかった。
視線に触れるのが怖かった——それは、もはや比喩ではなかった。
実際に、“触れられた”感覚が、身体のどこかにずっと残っていた。
廊下を歩くたび、すれ違う学生がわずかに間合いを取る。
スマホを片手に、わざとらしく笑い声を押し殺す男子。
階段の踊り場で、壁に寄りかかりながらこっちを見ていた女子。
誰も何も言わない。ただ、全員が知っていた。
「ガチで撮ってたじゃん」 「あの手の動き……“合意”っぽく見せてるのが逆にやばい」 「てか兄貴の声、イケボすぎて笑った」
聞こえるようで聞こえない声。
“聞かれる前提”のつぶやきたち。
それが悠翔のすぐ後ろに、音の尻尾を引きずってついてくる。
トイレに入った。鏡の前で立ち尽くす。
首のあたりに、見えない手がまだ残っている気がした。
「演出かと思った」
そんな書き込みを、もう何十回も読んだ気がする。
「指の動きがリアル」 「汗のテカリ、照明なの?それとも……」 「これ、“次”あるだろ」
脳内で繰り返される文字列。
もはや自分の記憶なのか、それすらも曖昧だった。
個室に入って鍵をかける。
座って、顔を両手で覆った。
すると、ドアの外からわずかに聞こえる声。
「おーい、出演者さーん。まだ撮ってんの?」
足音が遠ざかっていく。
悠翔は返事をしなかった。できなかった。
夕方、キャンパスの中庭に出ると、ベンチに座っている数人の学生たちがこっちを見た。
視線は逸らさない。こちらが“役割を演じる”のを待っているような目だった。
「え、本人? わー、すげー、タレントさん来てるー」 「ほんとに、あの顔で歩いてんだ」
悠翔は、もう歩き方がわからなくなっていた。
どの速度が「不自然でない」のか。どこを見れば「見られていないふり」ができるのか。
誰も笑っていないのに、全員が「笑ったあとの空気」をまとっている。
そこにいたはずの教室、そこにあったはずの友人、そこにあったはずの匿名性。
すべてが、画面の向こうに奪われていた。
悠翔は、ただ校門の前で立ち尽くす。
教室に戻る理由が、もうどこにも見つからなかった。