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翌日の放課後。体育館に足を踏み入れる私の足取りは、いつになく重かった。
カバンの中には、昨夜からずっと頭を離れない「宿題」が、目に見えない重石となって沈んでいる。
(……俺以外の男子と話す時は、俺の許可を得ること……)
冷静沈着な赤葦先輩の口から飛び出した、あまりにも不条理で、独占欲に満ちた言葉。
それが冗談ではないことは、今、コートの真ん中でアップを始めた彼の、一点を射抜くような鋭い眼光を見れば明らかだった。
「おー! 留奈! 今日は音駒が練習試合に来るぞ! 黒尾の野郎をコテンパンにしてやるんだ、ヘイヘイヘーイ!」
「あ、木兎さん……。はい、準備万端です」
主将の爆音に無理やり意識を引き戻される。
今日は音駒高校との練習試合。体育館の入り口には、赤と黒のジャージを羽織った見覚えのある面々が姿を現していた。
「おや、梟谷の可愛いマネちゃん。今日も相変わらず、研磨の猫目も潤んじゃうくらいの美少女ぶりだねえ」
飄々とした足取りで近づいてきたのは、音駒の主将・黒尾鉄朗さんだった。
彼はニヤリと食えない笑みを浮かべると、私の頭にポン、と大きな手を乗せた。
「……っ、黒尾さん、お久しぶりです」
「こらこら、そんなに固くならないでよ。後で研磨と一緒に新しいゲームの話でも……」
「……黒尾さん。うちのマネージャーに、気安く触らないでもらえますか」
背筋が凍るような、低くて冷徹な声。
いつの間にか私の真後ろに立っていた赤葦先輩が、黒尾さんの手首を、無造作に、けれど正確に掴んで跳ね除けた。
「おっと、怖い怖い。赤葦くん、今日は一段と沸点が低いね。……もしかして、寝不足?」
「……絶好調ですよ。ただ、部外者が成井に接触するのは、練習の効率を著しく下げると判断しただけです」
赤葦先輩は、私の肩を抱き寄せるようにして、黒尾さんの前に立ちはだかった。
その瞳は、いつもの「冷静な司令塔」のものではない。
獲物を狙う猛禽類のような、剥き出しの敵意。
「成井。……昨日の宿題、忘れたの」
「……えっ、あ、忘れてないです。でも……」
「……許可してない。……黒尾さん、彼女は今、俺の管理下にあります。話があるなら、俺を通してください」
体育館の空気が、一瞬で凍りついた。
黒尾さんは目を丸くした後、「……へぇ。管理下、ねぇ」と、面白そうに口角を上げた。
「赤葦くん、君……そういうタイプだったんだ? もっと賢く立ち回るタイプかと思ってたけど」
「……自分でも驚いていますよ。計算外の連続で、処理が追いつかない」
赤葦先輩はそう言い放つと、私の手首を掴んで、強引にベンチの方へと引き寄せていった。
コートの隅、他の部員からは死角になる場所で、彼は私を壁に押し付けるようにして視線を固定する。
「……成井。……今の、減点」
「……っ、赤葦先輩、痛いです……」
「……痛い? ……ごめん。……でも、俺の目の前で他の男に触らせるなんて、君は自分の価値を分かってなさすぎる」
先輩の顔が、至近距離まで迫る。
彼の乱れた呼吸が、私の頬を熱く撫でる。
いつもは機械のように正確なトスを上げるその指先が、今はひどく震えて、私の髪を掬い上げた。
「……あいつに触られた場所、今すぐ全部塗り替えたい。……試合が始まる前に。……いい?」
無表情の仮面が、音を立てて崩れていく。
そこにあるのは、完璧なセッターなどではなく、ただ一人の少女に狂わされた、あまりにも不器用で、激しい執着心を持った「男」の顔だった。
試合開始を告げるホイッスルが、遠くで鳴り響く。
けれど、この薄暗い隅っこで、私たちの時間は、赤葦先輩の「計算外」な熱量の中に、深く沈み込んでいった。
ピーッ!
練習試合の開始を告げるホイッスルが、体育館の高い天井に反響した。
コート中央。梟谷の正セッター、赤葦京治はいつも通りの無表情でそこに立っていた。けれど、その瞳の奥には、氷のような冷徹さと、それを焼き尽くさんばかりの執着が渦を巻いている。
(……黒尾さん。成井に、あんなに馴れ馴れしく触るなんて)
赤葦の脳内にある戦術盤は、今、かつてないほどの計算速度で回転していた。
相手を叩き潰す。それも、完膚なきまでに。
マネージャーである留奈に見せつけるためでも、誇示するためでもない。ただ、自分の領域を侵そうとした不確定要素を、徹底的に排除したいという本能的な欲求だった。
「赤葦! 来い来い来い! ヘイヘイヘーイ!」
「……はい、木兎さん。どうぞ」
放たれたトスは、恐ろしいほどの精度だった。
ネットから数センチ、打つ瞬間に最も力が乗る絶妙な位置に、吸い込まれるように白球が止まる。
ドガォォォォン!!
木兎のクロスが、音駒のコートに突き刺さった。
「うおっ、今のトス、マジで神!? 赤葦、お前今日キレッキレだな!」
「……別に。いつも通りです」
淡々と答える赤葦。けれど、その視線は一瞬だけ、ベンチでスコアをつける留奈に向けられた。
彼女が驚き、そして自分をじっと見つめていることを確認すると、満足げに薄く目を細める。
試合は、終始梟谷のペースで進んだ。
505
706
しずまる@Shizuku
赤葦のトスは、音駒の粘り強いレシーブをあざ笑うかのように、常に裏をかき続けた。
黒尾がブロックに跳ぶたび、赤葦は無慈悲なまでにその脇を抜くトスを供給する。
「……あーあ、赤葦くん。君、性格悪いねえ。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
ネット越しに黒尾が苦笑いしながら呟くが、赤葦は眉ひとつ動かさない。
「……計算ですよ。勝つための最短ルートを選んでいるだけです」
試合が終わり、セットカウント3-0で梟谷が勝利した。
後片付けが始まり、部員たちが次々と更衣室へ消えていく中、赤葦はわざと居残ってボールの数を数えていた。
「あ、赤葦先輩……。お疲れ様でした。今日のトス、本当に凄かったです」
留奈がおずおずと近づいてくる。その頬は興奮で少し赤らんでいて、赤葦の胸をチリッと焼いた。
「……成井。……まだ、黒尾さんに触られた場所、覚えてる?」
「えっ……? あ、それは、もう……」
「……俺は、忘れてない。……練習試合が終わるまで、ずっとそればかり考えてた」
赤葦はボールカゴを横に置き、無言で留奈に歩み寄った。
誰もいない体育館。薄暗い照明の下、彼の影が留奈を飲み込むように重なる。
「……更衣室へ。……まだ、誰もいないはずだ」
「え、でも、先輩……」
「……命令。……君の言う『宿題』の、続きをしなきゃいけない」
赤葦は留奈の手首を掴み、迷いのない足取りで部室棟へと向かった。
更衣室の重い扉を閉め、内側から鍵をかける音が「カチャリ」と虚しく響く。
ロッカーの冷たい金属の匂いと、制汗剤の香り。
「……赤葦、先輩……?」
「……動かないで。……不潔な場所を、全部上書きするから」
赤葦の手が、留奈の頭に置かれた。黒尾が触れたのと、全く同じ場所。
けれど、その指先は驚くほど熱く、震えていた。
彼はそのまま、留奈を壁際に追い詰めると、彼女の髪を掬い上げ、首筋に顔を埋めた。
「……っ……、あ……」
「……成井。……君は、俺の計算を狂わせる唯一の存在だ。……だから、責任を取って。……俺だけの、正解になって」
無表情だったはずの彼の瞳は、今、熱に浮かされたように潤み、執着に満ち溢れている。
完璧なセッターが、初めて自分からトスミスをするかのような、危うくて、甘い夜。
更衣室の外では、遠くで木兎の笑い声が聞こえるけれど。
この閉ざされた空間で、赤葦の「計算外」な恋は、もう誰にも止められない深度へと沈んでいった。
余談たいむっ!
私投稿のスピード早いほうだと思うのですが、、
実はためてます!
実はあと4作品くらいあったり、なかったり!
ということでお楽しみくださいね!