テラーノベル
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婚姻届を提出したあと、公園でゆっくりと休憩をして私は元気を取り戻した。
その後はお祝いということで、潤おすすめの創作寿司屋さんで舌鼓を打った。美味しすぎる食事のあとは、デパートへ移動して私の買い物と、結婚指輪のオーダーだ。
その際、潤は「指輪を勝手にオーダーするのは気が引けた。遅くなってごめん」と言い「好きなものを選ぶといい」と剛気なことを言ってくれた。
けれど高級感溢れる店内と上品なスタッフ、そして目の前に広がる眩いジュエリーたちに、私は圧倒されるばかり。
咄嗟に「なんでもいい」と言ってしまいそうになるのを、グッと堪えた。
私はこれから、この指輪を一年以上は指に嵌め続けたいのだ。なんでもいいわけがない、と思い直す。
嵌め心地が良いもの。
そして、男性の肌にも馴染むカラー。
この二つの要望を店員さんに告げ、潤とも相談しながら素敵なデザインのものを選んだ。
伸びやかなカーブを描くプラチナのリング。
細身のラインの内側には、お揃いのアイスブルーのダイヤモンドがセッティングされている。
引き取りは後日になるが、今からとても楽しみだ。
そして当たり前のように、潤が支払いをあっという間に済ませてくれた。
せめて半分の金額だけでも契約期間内に彼に渡せるようにと心に誓い、その場は感謝だけを伝えた。
指輪のあとは私の買い物を済ませ、ティーサロンでアフタヌーンティーを楽しんでから、早めの帰路についたのだった。
シックで広い洋室。
そこに私が持ってきた家具や、まだ段ボールから出し切れていない荷物が、部屋の雰囲気と馴染めず浮いていたが、今はそれどころではなかった。
私は落ち着きなく、部屋の中をうろうろと歩き回る。
時刻は二十二時。
デパートから帰宅して休憩しつつ、潤とこれからの会社での立ち振る舞いなどをすり合わせた。
話しながらデパートで買ってきたパンとスモークサーモン、チーズ、そして昼間に大量に買ってしまったドリンクで簡単な夕食を済ませた。
そうして他愛もない話を挟んでいるうちに、あっという間に時間が過ぎて解散となった。
私はすでにお風呂も済ませて自室に戻り──今日、デパートで買ったばかりのナイトワンピースを身に纏っていた。
ホワイトカラーで、Aラインのシンプルなデザイン。生地はたっぷりと使われていて、膝下で裾がふわりと揺れるのが心地よい。レースも控えめで上品な一着だ。
その下に身に着けている下着も、上下お揃いのホワイト。
大人っぽいデザインで、レースの刺繍が美しい新品の下着。
少々、少女趣味な気もしなくもないけれど、まだ二十代。着るなら今しかないと、大決心して購入したものたちだった。
……いや、そんなことは重要じゃない。こんな格好をしている「理由」のせいで、私はソワソワしていたのだ。
だって。
「潤ってば、私を抱きたいなんて言っていたのに、その後何も言ってこないんだもん……!」
そもそも、引っ越してきてからというもの、潤が過度なスキンシップをしてくることはなかった。
手に触れる、頭を撫でる、といったことはあったけれど。
その先の触れ合いは、もっと月日が経ってからにするつもりなのだろうか。
それとも契約結婚なのだからと、過度な接触を控えて紳士的に振る舞ってくれているのか。
きっと後者に違いないとは思うけど──とぴたりと足を止めて考える。
「ふぅ。少し落ち着こう……潤からは『何かあったら気兼ねなく、部屋においで』と言われているから……私がその気なら、潤の元に行けばいいってことかな」
たぶん、今日はそういうことなのだろう。
行けばいいも何も、こんな姿をしている私の心づもりは、もう決まっている。
潤の元に行きたいと思って、今宵に相応しいであろうこのナイトウェアを買ったのだから。
「だって披露宴とかはしないし。ウェディングフォトにしたって、嘘でもドレスを着るのは気が引けちゃうし。指輪だけで充分」
せめてこれくらいの装いなら、私なりのケジメとしていいかな、と思ったのだ。
ふう、と深呼吸をして、部屋の隅にある姿見に向かう。
鏡面に手を当てると、ひんやりと冷たい。けれど、少し体温の上がった体にはそれが心地よかった。
鏡の中のもう一人の私も、同じように手を合わせている。
その自分自身に静かに語りかける。
「契約結婚でも──私は潤に触れられたい」
十年前の私なら、そんなことは絶対にダメだと言っただろう。
けれど私は大人になった。こうして少しのズルさも覚えた。
「それに、触れ合うことがきっと、一番感情を表に出せる……」
潤に抱かれてクールになんて、いられないだろう。
経験がなくて、感情がひどく乱れて潤を驚かせてしまうかもしれない。けれど、それも含めて私なのだ。そんな私を知ってほしい、という思いがあった。
「もしものことを考えたらキリがない。きっと、行かない方が後悔する」
言葉にすると気持ちが整った。
鏡からそっと手を離し、私は静かに自室を後にした。
潤の部屋は、私と同じ二階の奥にある。
この広い邸宅は、月に数回、庭の手入れも含めて清掃スタッフを呼んでいるそうだ。
どこもかしこもピカピカで、長い廊下にも埃一つ積もっていない。そんな綺麗な廊下の突き当たりに、潤の寝室がある。
黒いモダンな扉の前で、こくりと喉を鳴らした。髪をささっと整えてから、軽くノックをする。
すると、すぐに扉がカチャリと開いた。
そこには黒のTシャツ、ゆったりとしたパンツスタイルのルームウェアに身を包んだ潤がいた。髪はラフに下ろされ、シックな黒縁眼鏡をかけた姿は、いつもよりずっとセクシーに見える。
「あ、あの……」
こんな時、何を言えばいいのか分からなくて舌がもつれる。
しまった。ロマンチックな言葉の一つでも、準備してくるべきだった。そんな焦りが広がる前に、潤がふわっと微笑んだ。
「──知佳が来てくれて良かった。ずっと待ってた」
口元は優しく、瞳は強い眼差し。
どこか挑戦的な気配に、心臓の音が早くなる。私は小さく頷き、潤に誘われるまま寝室へと足を踏み入れた。
潤の寝室は私の部屋と違って、モノクロのインテリアと上品な家具が、すべて完璧に調和していた。
明るさを抑えたシーリングライトに、大きなベッド。サイドにはソファとテーブル。
余計なものが何もない、洗練された空間がそこにはあった。
部屋に入って扉の前で立ち止まり、どこへ向かっていいのか分からずきょろきょろしてしまう。すると、潤がその場で優しく私を抱きしめた。
「!」
シャツ一枚越しの体温と、背中に回った逞しい腕の感触に、わかりやすくびくっと体を揺らしてしまう。
「そのナイトウェア、可愛いね。まるでお姫様みたいだ」
「あ、ありがとうございま、す……」
自然体に振る舞おうと思えば思うほど、ぎこちなくなってしまう。
「知佳。俺のところに来てくれたということは、抱いてもいいということかな? 俺は勘違いをしていない?」
どこまでも優しく気遣ってくれる潤に、体温が上がっていく。内側の熱に促されるように「間違いじゃないです」と呟いた。
「良かった……そうだ、体は疲れていない?」
昼間のことをまだ心配してくれていると思った。
額を潤のしなやかな胸板に預けながら、静かに首を縦に振る。
「気を使ってくれてありがとうございます。私は大丈夫です」
良かったと言わんばかりに、私を抱く潤の腕にきゅっと力がこもったのが分かった。
「……知佳が本当にかわいすぎて、一回で終われる自信が全くない。何回までなら許してくれる?」
その言葉にハッとした。
「なんかい……?」
って──何回っ!?
恋人や夫婦の営みを一晩に何度行うかなんて、私の頭の中のデータには存在しなかった。
こればかりは流石に「お好きなだけどうぞ」とは言い難く、潤の腕の中から顔を上げた。
ぐっと手に力を込めながら、今の私の正直な気持ちを伝える。
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コメント
1件
わあ、10話、読み終わりました……! すごく良い雰囲気でしたね。婚姻届と指輪のオーダー、そして夜のこの流れ。知佳さんが自分の気持ちを整理して「行かない方が後悔する」と決意する場面、すごく共感しました。鏡に手を当てて自分に語りかけるシーン、静かで美しかったです。潤さんの「ずっと待ってた」も、優しくて核心をつく台詞でドキドキしました。二人の関係性がぎこちなくも確かに近づいているのが伝わってきて、続きが気になります!