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第1話 〚高嶺の花は、未来を見る〛
市立南中学校(しりつみなみちゅうがっこう)は、ごく普通の公立中学だ。校舎は少し古くて、廊下はいつもワックスの匂いがする。
特別な制度も、有名な部活もない。
――ただ一つを除いて。
三年三組、窓際の一番後ろ。
白雪 澪(しらゆき みお)は、今日も静かに席に座っていた。
背筋は伸びているのに、どこか力が入っていない。
視線はノートに落ちているのに、集中しているようには見えない。
彼女は、いつもそうだ。
「ねえ、白雪さんってさ……」
「近寄りがたくない?」
「分かる。なんか“高嶺の花”って感じ」
ひそひそとした声が、澪の背後を通り過ぎる。
澪は、それを気にしない。
正確に言えば、気にしないふりをしている。
(どうでもいい)
心の中で、そう繰り返す。
友達はいる。
幼なじみも、親友もいる。
でも、それ以上の輪に入る気はなかった。
――入ったところで、意味がない。
澪は、未来を見てしまう。
それは突然だ。
夢のようでも、空想でもない。
一瞬、頭の中に“映像”が流れ込む。
会話の先。
出来事の結末。
人の感情の行き着く先。
しかも、それは必ず当たる。
(……また)
授業中、ノートを取っている最中。
ペン先が止まった。
見えたのは、放課後の廊下。
夕焼けに染まる窓。
そして――知らないはずの男子の横顔。
(誰……?)
胸が、きゅっと締め付けられる。
澪は、ぎゅっと目を閉じた。
見なかったことにする。
そうしないと、心がもたない。
――未来を知ることは、優しさじゃない。
――ただの逃げだ。
澪は、昔からそう思っていた。
「澪ー」
小さく呼ばれて、顔を上げる。
隣の席の幼なじみが、心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫? ぼーっとしてたけど」
「うん……ちょっと寝不足」
嘘は、得意だった。
本当のことを言うより、ずっと簡単だから。
幼なじみはそれ以上追及せず、安心したように笑った。
その笑顔を見て、澪の胸が少し痛む。
(ごめんね)
本当は、全部話したい。
でも、話せば距離が変わる未来が見えてしまう。
だから、黙る。
そのとき。
ガラッ、と教室の扉が勢いよく開いた。
「おはよー!!」
明るい声。
それだけで、教室の空気が変わる。
橘 海翔(たちばな かいと)
背が高くて、笑顔が眩しい。
誰とでも自然に話せて、どこにいても中心になる人。
「海翔、今日早くない?」
「部活の朝練だってさ」
一気に人が集まる。
澪は、無意識に視線を落とした。
関わる理由がない。
関わっても、未来は見えるだけだ。
――そう、思っていた。
(……っ)
突然、頭の奥が熱くなる。
まただ。
映像が流れ込む。
夕方の階段。
誰もいない校舎。
隣に立つ、橘海翔。
彼は――
こちらを見て、何かを言おうとしている。
(……なんで、この人……)
息が、詰まる。
澪は、強く机を握った。
――見ない。
――考えない。
そう決めた、その瞬間。
「白雪さん」
名前を呼ばれた。
心臓が跳ねる。
恐る恐る顔を上げると、
橘海翔が、すぐ前に立っていた。
「これ、落としたよ」
差し出されたのは、白い消しゴム。
「あ……」
喉が、うまく動かない。
「ありがとう……」
やっと出た声は、思った以上に小さかった。
海翔は、一瞬だけ目を丸くしたあと、
柔らかく笑った。
「どういたしまして」
それだけ言って、彼は自分の席に戻っていく。
たった数秒の出来事。
なのに、澪の胸は落ち着かなかった。
(……同じ)
さっき見た未来と、同じ。
消しゴムを握りしめる。
少しだけ、手が震えていた。
――これは、ただの予知。
――意味なんて、ない。
澪は、そう言い聞かせる。
けれど心の奥で、
小さな違和感が芽生えていた。
未来を知っているのに。
どうして、こんなに怖いんだろう。
橘海翔は、人気者だ。
澪とは、住む世界が違う。
関われば、きっと――
何かが変わる。
それが良いのか、悪いのか。
澪には、もう見えていた。
それでも。
消しゴムの感触が、
なぜか、ずっと消えなかった。
――白雪澪はまだ知らない。
この出会いが、
「未来を見る力」よりも強いものを、
彼女に与えることを。