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――クロウ・フェルゼンは、自覚していた。
自分が、危険な状態にあることを。
(直視するな)
何度も言い聞かせている。
魔王陛下の命令でもあり、
そして何より――自分自身を守るためだ。
それでも。
廊下の向こうから、小さな足音が聞こえた瞬間、
クロウの意識は、否応なくそちらへ引き寄せられる。
「……」
白いドレス。
柔らかな髪。
そして、赤い瞳。
――三歳の、魔王の娘。
(見るな)
そう思ったのに、視線は逸らせなかった。
(……なんだ、これは)
胸の奥が、締めつけられる。
守りたい、触れてはいけない、近づくな。
相反する感情が、一度に押し寄せる。
「くろう?」
その声だけで、心臓が跳ねた。
(名前を、呼ばれただけだ)
それだけなのに。
クロウは膝をつき、剣の柄を強く握る。
(……俺は、近衛だ)
守る存在であって、
想う存在ではない。
だが、彼女が通り過ぎるその一瞬。
胸の奥で、確かに何かが――芽生えた。
(……駄目だ)
クロウ・フェルゼンは、
その感情に、剣を突き立てるように押し殺した。
魔王の娘を、
誰よりも近くで守る剣として。
それ以上の存在になることは、
決して許されない。
――そのはずだった。
* * *
同じ頃、人間界。
王都の奥深く、静かな会議室で、
重苦しい空気が流れていた。
「……魔界に、異変がある」
そう切り出したのは、王国騎士団長。
「魔王の娘が、成長したとの噂です」
「成長?」
若い王子が眉をひそめる。
「ええ。
ただし――普通の成長ではない」
一枚の報告書が、机に置かれる。
『直視禁止』
『理性喪失の恐れあり』
『魔族間で混乱』
「……美貌、か」
勇者は、低く呟いた。
「魔王の娘が……?」
「恐れられる存在のはずだろう」
「ですが」
騎士団長は、はっきりと言った。
「現在、魔界は彼女を中心に回っている」
沈黙が落ちる。
「放置すべきではないな」
王子が、静かに立ち上がった。
「――会ってみたい」
その言葉に、勇者が目を細める。
「……危険だぞ」
「だからこそだ」
誰も気づいていなかった。
その言葉に、
すでに“惹かれている”色が混じっていたことに。
* * *
魔界。
セラフィナは、何も知らずに笑っている。
小さな手で、リリアの指を握り、
クロウの背中を見上げながら。
その笑顔が、
剣を、王を、勇者を――
世界を、静かに狂わせ始めていることを。