テラーノベル
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天界の地下牢は、静かだった。
静かすぎる。
天使たちが暮らす聖域とは、まるで別の場所のようだった。
地上にある神殿とは違い、ここには黄金の光もない。
湿った石壁。
冷たい床。
壁に設置された松明が、暗闇をかろうじて照らしている。
その炎さえ、ここでは弱々しく見えた。
アゼリアは、地下牢へ続く階段を一段ずつ降りていた。
手には剣。
腰には、いつもの武器。
そして、 頭の中にはミカリスの言葉が残っている。
――情を抱くな。
――悪魔は、悪魔だ。
――利用価値がないと判断したなら、即刻処刑しろ。
「……」
アゼリアは、無意識に剣の柄を握った。
分かっている。
自分は今から、 あの悪魔に会いに行く。
捕虜として連れて帰った悪魔。
戦場で 自分が殺さなかった悪魔。
「……」
やっぱり おかしい。
自分は、どうしてあの時、 あの剣を 振り下ろせなかったんだ。
「……」
考えるのをやめた。
今は、 考える必要はない。
ミカリスから命じられた。
捕虜を監視する。
必要なら情報を聞き出す。
そして、 危険だと判断すれば処刑する。
それだけだ。
アゼリアは、自分にそう言い聞かせた。
やがて、 最下層へ辿り着く。
鉄格子の向こう、 その奥に
「……」
いた。
あの悪魔だった。
壁にもたれかかるようにして座っている。
両手には鎖。
足にも鎖が繋がれている。
戦場で見た時よりも。
ずっと弱っているように見えた。
衣服は裂けている。
肌には傷が残っている。
黒い翼も、 片方が力なく垂れ下がっていた。
アゼリアは立ち止まった。
「……」
生きている。
それを確認して。
なぜか、 胸の奥が少しだけ軽くなった。
――何を考えている。
アゼリアはすぐに自分を戒めた。
相手は悪魔だ。
それ以上でも。
それ以下でもない。
「……」
アゼリアは鉄格子の前まで歩いた。
悪魔は動かない。
目を閉じている。
眠っているのか。
死んでいるのか。
一瞬分からなかった。
アゼリアは剣の柄に手を添える。
「……おい」
反応がない。
「……」
もう一度、 少しだけ声を強める。
「聞こえているのか」
すると、
「……」
悪魔の瞼が、ゆっくりと開いた。
紫色の瞳。
アゼリアは 一瞬、 言葉を失った。
――綺麗だ。
また そう思った。
「……っ」
アゼリアはすぐに視線を逸らした。
何を考えている。
今は、 そんなことを考えている場合じゃない。
「……」
悪魔は、じっとこちらを見ていた。
何も言わない。
アゼリアは、その視線に警戒する。
――何を考えている?
悪魔は 自分を見ている。
逃げる方法を考えているのか。
隙を窺っているのか。
それとも 何か企んでいるのか。
「……」
アゼリアは、剣から手を離さなかった。
「お前」
「……」
「どうして、抵抗しなかった」
悪魔が、僅かに目を細めた。
「……抵抗?」
「戦場でだ」
アゼリアは淡々と尋ねる。
「お前は、私が近づいても逃げなかった」
「……」
「私が剣を向けても」
アゼリアの言葉が 少しだけ止まる。
――助けて、と言った。
「……抵抗しなかった」
悪魔はしばらく黙っていた。
やがて、。
「抵抗しても」
掠れた声が返ってくる。
「結果は同じだったから」
「……」
「僕たちは負ける」
淡々とした声。
「いつも、そう」
「……」
アゼリアは眉をひそめた。
「だから、諦めたのか?」
「……そうかもしれない」
「随分と簡単に言うんだな」
アゼリアの声に、少しだけ苛立ちが混ざった。
「命がかかっているんだぞ」
「うん」
「なら、どうして――」
言いかけて、 アゼリアは止まった。
自分でも 何を聞こうとしているのか分からなかった。
悪魔は、 そんなアゼリアを見て ほんの少しだけ笑った。
「天使って」
「……」
「みんな、そうなの?」
「何がだ」
「戦う理由を、ちゃんと知ってるのかなって」
「……」
アゼリアは警戒した。
「何が言いたい」
「別に」
悪魔は視線を逸らす。
「ただ、気になっただけ」
「……」
「君は」
「君?」
アゼリアの声が低くなる。
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「……ごめん」
悪魔は素直に謝った。
その反応が、 逆に アゼリアを困惑させた。
悪魔はもっと、 憎しみを向けてくるものだと思っていた。
罵る。
叫ぶ。
抵抗する。
そういうものだと思っていた。
けれど、 目の前にいる悪魔は、 ただ 静かだった。
「……」
アゼリアは警戒を解かなかった。
むしろ、 さっきよりも強く警戒していた。
静かな相手ほど 何を考えているか分からない。
「……お前」
「うん」
「私をどうするつもりだ」
「……え?」
悪魔が目を瞬く。
「何の話?」
「とぼけるな」
アゼリアは睨む。
「私は天使だ。お前たちの敵だろう」
「……」
「なら、何か企んでいるんじゃないのか」
悪魔は、 しばらくアゼリアを見つめた。
そして、
「……何も」
「嘘だ」
「本当に何もないよ」
「信じられると思うか?」
「じゃあ」
悪魔は 小さく首を傾げた。
「どうすれば信じてもらえるの?」
「……」
アゼリアは言葉に詰まった。
「……」
何だ この悪魔。
アゼリアは眉をひそめる。
会話が噛み合わない。
警戒しているこちらが、 逆に調子を狂わされている。
「……お前」
「うん」
「私を恐れていないのか」
「怖いよ」
即答だった。
「……」
アゼリアが黙る。
悪魔は 鎖に繋がれた自分の腕を見る。
「怖い」
「……」
「でも」
紫の瞳が 再びアゼリアを見る。
「怖がったところで、何か変わる?」
その言葉に アゼリアは何も返せなかった。
それは 諦めなのか。
達観なのか。
それとも、 ただ疲れているだけなのか。
分からない。
分からないからこそ。
アゼリアは、警戒した。
この悪魔の言葉を、 簡単に信じてはいけない。
そう思った。
「……」
沈黙が落ちる。
松明の炎が揺れた。
アゼリアは、ふと 目の前の悪魔の姿を見た。
傷だらけ。
鎖に繋がれて 何もできない。
「……」
アゼリアは、剣を握る手に力を込めた。
「……もういい」
「え?」
「今日は帰る」
アゼリアは踵を返す。
「……待って」
その声に 足が止まった。
「……何だ」
振り返らない。
「……」
背後で、 鎖が小さく鳴った。
悪魔が 何かを言おうとしている。
けれど、
「……いや」
結局、 何も言わなかった。
「……そうか」
アゼリアは歩き出す。
一歩。
また一歩。
地下牢の出口へ向かう。
その時、 ふと 思った。
――あの悪魔は 何という名前なのだろう。
「……」
足が止まる。
「……」
どうでもいい そんなこと。
相手は悪魔だ。
名前を知ったところで 何になる。
それでも、 なぜか 気になった。
「……」
アゼリアは 振り返らなかった。
自分はおかしくなっている。
あの時からずっと。
自分は、 なぜ それを知りたいと思ったのだろう。
「……」
その答えを、 アゼリアはまだ知らなかった。
ら む ね _ @多忙
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#鬱
Ravi
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