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第二話 あの日、君が消えた
あっきぃがいなくなった朝は、驚くほどよく晴れていた。
空には雲ひとつなく、海は陽射しを受けてきらきらと光っていた。店の前を通る人々は、いつもと変わらない挨拶を交わし、向かいの花屋では、店主が店先に並べた鉢植えに水をやっていた。
町のどこにも、何かが終わろうとしている気配などなかった。
ぷりっつが目を覚ましたのは、朝の七時を少し過ぎた頃だった。
階下から、物音が聞こえていた。
食器の触れ合う音。湯が沸く音。それから、鼻歌。
あっきぃだ。
この店は二階が住居になっていて、二人はそこで暮らしていた。ぷりっつは二階の奥の部屋を使い、あっきぃは階段を上がってすぐの部屋を使っていたが、朝食を作るのはいつの間にか、あっきぃの役目になっていた。
理由は単純だった。
ぷりっつが作ると、味つけがやたらと濃くなる。
あっきぃが作ると、たまに焦げる。
どちらも大して変わらないのだが、あっきぃは自分の料理のほうがましだと信じて疑わなかった。
「……朝から元気やな、あいつ」
寝起きの声で呟きながら階段を下りると、台所にいたあっきぃが振り返った。
「おはよう、ぷーのすけ!」
「おはよ。何作っとん?」
「目玉焼き!」
「……それだけ?」
「あと、トースト!」
「豪華やなぁ」
「絶対バカにしてるでしょ!」
ぷりっつが笑うと、あっきぃも笑った。
その朝、あっきぃはいつもより少しだけ機嫌がよかった。
鼻歌を歌いながら皿を並べ、トーストを切り分け、ぷりっつのコーヒーには砂糖をひとつ入れた。普段なら、ブラックで飲みたいぷりっつに砂糖を入れようものなら、すぐに文句を言われる。それなのに、その日はなぜか、あっきぃは堂々としていた。
「今日、何の日か覚えてる?」
朝食の途中、あっきぃが尋ねた。
「今日?」
「うん」
「……給料日?」
「違うよ!」
「ほな、なんやねん」
あっきぃは呆れたように笑い、それから、少しだけ照れた顔をした。
「七年後、だよ」
ぷりっつは、手を止めた。
七年後。
あの写真。
七年前、二人で交わした約束。
あっきぃは覚えていたのだ。
「……ああ」
ぷりっつがそう答えると、あっきぃは嬉しそうに目を細めた。
「覚えてたんだ!」
「そら、覚えとるやろ」
「ほんとに?」
「お前があんだけ騒いどったんやからな」
「騒いでないし!」
そう言って笑ったあっきぃは、食べ終わった皿を片づけながら、何でもないことのように続けた。
「今日、閉店したらさ、あの防波堤に行かない?」
「防波堤?」
「うん。あの写真の場所。たぶん、あそこだと思うんだよね」
「……あの写真、まだ飾っとるん?」
「飾ってるっていうか、大事にしまってる!」
「同じやろ」
「違うってば!」
あっきぃは皿を流し台に置くと、振り返って笑った。
「約束したじゃん。七年後もここにいようねって。だから、今日、俺らがその約束を更新しようよ!」
その言葉を聞いたとき、ぷりっつは、胸の奥に小さな熱が灯るのを感じた。
約束を更新する。
まるで、これから先もずっと一緒にいることが決まっているみたいな言い方だった。
けれど、ぷりっつはそれを否定しなかった。
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ふんわりしろもち
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むい #推し様大好こ星人
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「……ええよ」
「ほんと?」
「何回聞くねん」
「だって、嬉しいから!」
あっきぃは、そう言って笑った。
その笑顔を、ぷりっつは何年も忘れられなくなる。
けれど、それは、まだ先の話だった。
その日の店は、いつもより忙しかった。
午前中には、町の小学生が落とした定期入れが届けられた。
昼過ぎには、老人が古い懐中時計を持ってきた。
午後には、郵便受けに差出人のない封筒が入っていた。
あっきぃは、ひとつひとつ丁寧に品物を受け取り、帳簿に記録し、持ち主を探すための手がかりを調べた。
それが、あっきぃの好きな仕事だった。
誰かが失くしたものを、もう一度、その人の手に戻すこと。
なくなったと思っていたものが、まだどこかに残っていると伝えること。
それは、あっきぃにとって、ひどく大切なことだった。
「ぷーのすけ、これ見て」
夕方、あっきぃが差し出したのは、小さな銀色の鍵だった。
「鍵?」
「うん。今日、郵便受けに入ってたんだけど、これ、店の裏の倉庫の鍵じゃない?」
ぷりっつは鍵を受け取り、手のひらの上で転がした。
古い鍵だった。銀色の表面はくすみ、持ち手の部分には細かな傷がいくつもついている。鍵の先には、小さな丸い飾りがついていて、そこには見たことのない模様が刻まれていた。
「……こんなん、うちの鍵ちゃうやろ」
「でも、形が似てるんだよね」
「似とるだけや」
「一回、試してみない?」
「なんでやねん」
「気になるじゃん!」
あっきぃは、こういうときに限って妙に頑固だった。
結局、ぷりっつは根負けして、店の裏にある古い倉庫へ向かった。
倉庫は、店を始めた頃から使っている建物だった。長いあいだ開けていない棚や、修理を待つ家具、使わなくなった看板などが置かれている。普段は、わざわざ中に入ることもない。
ぷりっつが扉の鍵穴に銀色の鍵を差し込むと、驚いたことに、それはぴたりと合った。
「……は?」
鍵が回る。
古い扉が、ゆっくりと開いた。
あっきぃが息を呑む音が聞こえた。
「え、うそ……」
「……なんやこれ」
倉庫の中は、いつもと変わらないように見えた。
積み上げられた箱。古い棚。使わなくなった椅子。埃をかぶった道具。
ただ、ひとつだけ、見慣れないものがあった。
倉庫のいちばん奥。
壁際に、古い扉が立っていた。
木製の、背の高い扉だった。
周囲の壁には、そんな扉が収まるだけの空間などない。床も壁も、何十年も前からそこにあるはずなのに、その扉だけが、まるで別の場所から切り取られてきたように、ぽつんと立っていた。
扉の表面には、細かな文字が刻まれていた。
ぷりっつは目を凝らした。
読めない。
見たことのない文字だった。
あっきぃが、そっと近づいた。
「……これ、何だろう」
「知らん。触るなや」
「でも……」
「ええから」
ぷりっつが腕を掴むと、あっきぃは足を止めた。
ほんの一瞬、二人の間に沈黙が落ちた。
そのときだった。
扉の向こうから、音が聞こえた。
誰かが、扉を叩いている。
コン、コン。
ゆっくりと、二回。
あっきぃの顔から、笑みが消えた。
「……ぷーのすけ」
「……聞こえとる」
コン、コン。
もう一度、音がした。
ぷりっつは、あっきぃの腕を掴む手に力を込めた。
「戻るで」
「でも、誰かいるんじゃ……」
「こんなとこに誰がおんねん」
「……」
「行くで、あっきぃ」
名前を呼ぶと、あっきぃは小さく頷いた。
二人は倉庫を出て、扉を閉めた。
そのあと、何事もなかったかのように店へ戻った。
けれど、ぷりっつは、あの音を忘れられなかった。
誰もいないはずの倉庫の奥から聞こえた、二回のノック。
まるで、誰かがずっと、向こう側で待っていたかのような音だった。
そして、その夜。
閉店後、二人は約束どおり、防波堤へ向かった。
海は暗く、波の音だけが、静かな町に響いていた。
あっきぃは、昼間のことなど忘れてしまったかのように、楽しそうに歩いていた。
手には、七年前の写真が入った小さな封筒を持っている。
「ねえ、ぷーのすけ」
「ん?」
「七年前のぷーのすけって、どんなだったの?」
「今と大して変わらんやろ」
「えー、そうなの?因みに俺、今よりもっとかっこよかったと思う!」
「自分で言うなや」
「ひどい!」
二人は笑った。
防波堤に着くと、あっきぃは写真を取り出し、海を背景にして眺めた。
写真の中の二人は、今よりずっと幼かった。
それでも、隣にいる相手を信じきった顔をしていた。
「……俺さ」
あっきぃが、ぽつりと言った。
「七年後も、ぷーのすけと一緒にいられたらいいなって、ずっと思ってたんだ」
ぷりっつは、隣に立つあっきぃを見た。
「……今も一緒におるやろ」
「うん。でも、そういうことじゃなくて」
あっきぃは、写真を封筒に戻した。
「これから先も、ずっと。十年後も、二十年後も。お互いに年を取って、今みたいに走れなくなっても、くだらないことで笑っていられたらいいなって」
風が吹いた。
あっきぃの髪が揺れ、少しだけ目を細めた。
「俺、ぷーのすけと出会えてよかった」
その言葉に、ぷりっつは息を止めた。
何かを返さなければと思った。
けれど、どんな言葉を選べばいいのかわからなかった。
ありがとう、では足りない。
俺もや、では足りない。
お前がおらんかったら、今の自分はなかった。
そう言いたかった。
でも、それを口にするには、自分の中にある感情は、あまりにも大きすぎた。
だから、ぷりっつは、あっきぃの頭を軽く撫でた。
「……俺もやで」
それだけだった。
それだけで、あっきぃは泣きそうな顔で笑った。
「……そっか」
その夜、二人は長い間防波堤に座っていた。
海の向こうに見える灯台の光が、一定の間隔で、暗闇を照らしていた。
帰り道、あっきぃは何度も振り返った。
「何しとんねん」
「いや、なんか……今日の景色、覚えておきたくて」
「また来たらええやろ」
「うん」
あっきぃは笑った。
「また来ようね」
ぷりっつは頷いた。
「……約束や」
それが、最後の約束になるとは知らずに。
翌朝、あっきぃはいなくなった。
部屋には、財布も、スマートフォンも、着替えも残っていた。
朝食を作った形跡もなかった。
店の鍵は、いつもの場所に置かれていた。
ただ、あっきぃの部屋の机の上に、一枚の写真が置かれていた。
誰のか分からない七年前の、あの写真。
裏には、昨日までなかった文字が増えていた。
『約束を守れなくて、ごめんね。』
ぷりっつは、何度もその文字を読み返した。
意味がわからなかった。
どうして謝る必要があるのか。
どうして、何も言わずにいなくなったのか。
どうして、昨日まで隣で笑っていた人が、突然、どこにもいなくなってしまったのか。
町中を探した。
駅へ行き、海へ行き、あっきぃがよく立ち寄っていた店を回った。
警察にも届けた。
友人にも、知り合いにも、思いつく限りの人に尋ねた。
でも誰も、あっきぃの行方を知らなかった。
それどころか、奇妙なことに、あっきぃと親しかったはずの何人かは、彼の顔を思い出せないと言った。
「……あっきぃ?」
その名前を口にしたとき、相手は不思議そうな顔をした。
「それ、誰?」
冗談だと思った。
何かの間違いだと思った。
けれど、同じことが何度も起こった。
あっきぃが働いていた店の記録は残っていた。給料の振込履歴も、書きかけの帳簿も、彼が使っていた部屋も残っていた。
それなのに、あっきぃを知っているはずの人々の記憶から、少しずつ、彼の存在だけが抜け落ちていく。
まるで、世界そのものが、あっきぃを忘れようとしているみたいだった。
ぷりっつだけが、覚えていた。
笑い声も。
少し焦げたトーストの味も。
くだらないことで怒った顔も。
七年後も隣にいてほしいと、真剣な顔で言った声も。
何ひとつ、忘れられなかった。
それは、あっきぃが俺の前から消えたあの日から7年経った今でも変わらなかった。
そして、あっきぃがいなくなった日の夜。
ぷりっつは、1人で倉庫へ向かった。
あの銀色の鍵は、まだ机の上にあった。
震える手で鍵を差し込み、扉を開ける。
奥には、あの古い扉が立っていた。
その表面に刻まれた文字が、今度は読めた。
『忘れられたものを、返す場所。』
ぷりっつは、扉に手をかけた。
「……あっきぃ」
声が震えた。
「どこにおるんや」
返事はなかった。
それでも、ぷりっつは扉を開けた。
その向こうには、見たこともない駅が広がっていた。
天井の高い、古い駅舎。
壁に並んだ時計は、1つ残らず、午前零時を指している。
ホームには、誰もいない。
線路の向こうには、霧が立ち込めていた。
そして、駅舎の中央に、ひとつだけ、木製のベンチが置かれていた。
その上に、見覚えのあるものがあった。
あっきぃがいつも使っていた、青いマフラー。
ぷりっつは駆け寄り、それを抱きしめた。
まだ、微かに温かかった。
まるで、ついさっきまで、そこに座っていたみたいに。
「……あっきぃ」
呼んだ名前が、誰もいない駅に響いた。
その瞬間、霧の向こうから、列車の汽笛が聞こえた。
ぷりっつは顔を上げた。
遠くの線路に、ひとつの灯りが浮かんでいた。
列車が、ゆっくりと近づいてくる。
先頭車両の側面には、古びた文字で、こう書かれていた。
『忘れもの列車。終点、忘却駅。』
ぷりっつは、マフラーを握りしめた。
この列車に乗れば、あっきぃに会えるかもしれない。
そう思った。
理由などなかった。
確証もなかった。
ただ、あっきぃがどこかにいるのなら、どんな場所にでも行こうと思った。
何年かかっても。
どれだけ遠くても。
たとえ、世界中の誰もがあっきぃを忘れてしまったとしても。
自分だけは、忘れない。
ぷりっつは、列車に乗った。
扉が閉まる。
車輪が動き出す。
窓の外を、見たことのない景色が流れていく。
そして、ぷりっつが七年間、帰ってくることのなかった町を離れた、その瞬間。
忘れもの郵便局の棚に置かれていた、あの写真から、もう1人の子どもの姿が消えた。
写真には、1人だけが写っていた。
海辺の防波堤に座り、誰かの肩に寄りかかるようにして、寂しそうに笑っている子どもが。
裏に書かれた文字は、いつの間にか変わっていた。
『七年後の十月三十一日。ここで、もう一度。』
その下に、小さな文字が増えていた。
『君が、僕を見つけてくれますように。』
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……読んでて、途中からずっと胸が苦しかった🥀 最初の朝の風景が、あんだけあたたかかったからこそ、あっきぃが消えた後の静けさが刺さる。 「約束を守れなくてごめんね」って文字、あの裏側に増えてたのがもう…… ぷりのすけが一人で倉庫の扉を開けたとき、もう戻れへんってわかってるのに列車に乗るの、すごく彼らしいなって思った。 忘却駅って名前も、忘れたくないって気持ちと響き合ってて、切なかった。 続き、ちゃんと読みます。とらさん、ありがとうございます。