羽理は気遣うような眼差しで自分を見つめてくる果恵を見て、正直戸惑った。そもそも羽理が一方的にプンスカしているだけで、喧嘩ではない。
それに、例え話したとしてもきっとまた、『大葉は羽理が不安に感じるようなことをする子じゃない』と言われるのが落ちなのだ。
羽理だってそんなことは分かっている。分かっているけれど……心が納得しないのだから仕方がないではないか。
「たいちゃんがね、恵介伯父さんからお見合いを打診されてたのを羽理ちゃんに伝えてなかったの」
黙り込んでしまった羽理を見かねたんだろう。「あちち……」と言いながら電子レンジから温めたものを取り出した柚子が端的にそう説明して、それを聞いた果恵が「まぁ!」と口に手を当てて瞳を見開いた。
(どうせまた、大葉が庇われて、私の気持ちはおざなりになっちゃうんだ)
そう思ってしゅんとした羽理だったのだけれど――。
「それは大葉が良くないわねっ!?」
ややして、やや食い気味につぶやいた果恵が、ギュッと羽理の手を握りしめてきて、「そんな大事なこと隠しておかれたとか……知ったとき、辛かったでしょう!? 怒って当然だわ! 本当、うちの馬鹿息子がごめんなさいね? あの子が来たら思いっきり責めてやりましょう!? 私も加勢するから!」と、握ったままの羽理の手をブンブン振りながら激励してくれる。
柚子からは大葉を擁護する言葉ばかりだったから、羽理は勝手に、きっと果恵からもそうされるものだと思い込んでいた。でも実際はそうではなくて、自分の気持ちに寄り添ってもらえたことが、鼻の奥がツンと痛むくらい嬉しくて――。でも、それと同時に〝あの子が来たら〟という文言が引っかかってしまう。
「あ、あの……果恵、さん……今」
「やだ、羽理ちゃん! 果恵さんだなんて他人行儀よぅ? 『お義母さん』って呼んで?」
ぎゅうっと掴まれたままの両手に力を込められた羽理は、戸惑いながらも「お、かあ、さま……?」と呼び掛けたのだけれど。
途端、果恵がぱぁっと瞳を輝かせて「なぁに、羽理ちゃん?」とこちらを見詰めてくるから。羽理は大葉と似た美貌の義母(?)の視線にソワソワしながら「あの……聞き間違いだったらすみません。もしかして……大葉、こちらに向かっていたり……します、か?」としどろもどろになりながら言葉を紡いだ。
「ええ、さっき、羽理ちゃんのこと引き留めといて欲しいって連絡があったから。……もう着く頃じゃないかしら?」
のほほんとした調子で小首をかしげる果恵に、羽理は瞳を見開いた。
***
「暑っ」
このところ日の入りが遅い。つい先日梅雨に入ったばかりの今時分は十九時過ぎころまで明るいから、十八時にもならない時間帯は晴天だと結構日差しにさらされる。
長く伸びた愛犬と自分の影を背後に長く引きずって歩きながら、大葉はうんざりした顔で西の空に傾きつつある太陽を眺めた。
今年は空梅雨との予測で、梅雨の間も雨が余り降りそうにないらしい。現に明日も快晴とまではいかずとも、薄曇りの空模様らしい。
にわか雨くらいきてくれれば少しは涼しくなりそうだが、傘などを持参しているわけではないので、やっぱりそれは困るなと思って。
そのくせ雨雲の気配が感じられない空はどこかまぶしくて、大葉は少しグレイ掛かって見える天を見上げて小さく吐息を落とした。
何となく降りそうかも? と期待させるくせに、実際は雨粒が落ちてこないからだろうか。やたらと湿度が高くて、ちょっと動いただけでじっとりと嫌な汗をかくのが不快で仕方ない。
(梅雨に雨が降らねぇと農家は水やり大変だろうな)
作業が、というより主に水道代が嵩むのが心配だ。掛かった経費を即座に売価へ反映出来ればいいのだが、なかなかそうはいかない。
農家と販売店との橋渡しをすることもある土恵商事としても、頭の痛い問題である。
(あー、実家に着いたら俺の畑にも水やっとかねぇと)
最近その辺がおざなりなことをふと思い出して、どれだけ羽理に掛かり切りなんだろうと、思わず苦笑する。
そんな大葉にとって、今現在最も悩ましい問題は、言うまでもなく羽理とのことだ。
『……大葉のバカ! 嘘つき! 私を泣かせたのは貴方だもん! 大嫌い!』
電話を切られる間際、羽理に投げつけられた言葉を思い出して「はぁーっ」と盛大に溜め息を落とすと、大葉は母や姉とともに実家にいるはずの羽理に思いをはせる。
(おふくろが混ざってるってのが……イヤな予感しかしねぇ)
七味に諭されて自分が悪いというのは重々自覚した大葉だが、実際問題〝魔王城〟に赴く非力な村人Aくらいの不安な気持ちだ。
「マジ勇者になりてぇ……」
なんて情けないつぶやきを落とした大葉を、愛犬キュウリがキョトンとした様子で振り返った。
「あー、ウリちゃん、パパのことは気にしないでくだちゃい」
その視線に、大葉は眉根を寄せて愛犬キュウリが佇んだすぐそばにしゃがみ込むと、手のひらをアスファルトに押し当てて地べたの温度チェックをした。
夏の散歩中には、ちょいちょいそんなことをして、キュウリの足の裏が火傷したりしないよう気遣っているのだが。
「ちと熱いか」
そう思った大葉は、キュウリをそっと抱き上げた。
大葉より体温の高いキュウリは、抱くと湯たんぽ張りに温かくて、スーツを着ているから余計にじっとりと汗ばんでくる。
大葉を気遣うように、キュウリにぺろぺろと手の甲を舐められたけれど、その舌にしたって燃えるように熱い。
(早く実家にたどり着かねぇとなぁ)
母親と姉に囲まれるのは嫌だけど、キュウリを早く涼ませてやりたいという気持ちもある、何ともジレンマな大葉だった。
***
愛犬キュウリを抱っこしたまま実家に着いて、数寄屋門をくぐってすぐ。しゃがみ込んで地べたに触れた大葉は、触れないほど熱くない温度に、やはり土はアスファルトとは違うな? と思いながらキュウリを地面に下ろした。
ついでに、きっと身に着けているだけで暑いだろうフリルと羽根のついたハーネスを、キュウリの身体から外してやる。
「暑かったでちゅね」
自分をじっと見上げてくるキュウリの頭をスリスリと撫でて瞳を細めたと同時。キュウリが大葉の背後――いま通り抜けてきたばかりの門の方へ向けてワンワン!と甲高い声で吠えながら走って行ってしまう。
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