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「あ、ちょっと……ウリちゃん!」
愛娘の、突然の番犬モードに大葉が慌てて立ち上がって背後を振り返った途端、「たいくん!」という声がして、いきなり小柄な人物に真正面から抱き付かれた。
「……何でお見合い、断っちゃったの?」
今にも泣きそうな顔で「私のこと、嫌い?」と付け加えられて、潤んだアーモンドアイで見上げられた大葉は、思わず怯まずにはいられない。
「あ、んず……? ……な、んで……お前が俺の見合いのこと……」
まるで縋り付くみたいに二の腕へ力を込めてくる相手に、戸惑いの余りオロオロしてしまった大葉を見上げて、キュウリはご主人様の一大事だと思ったんだろう。
二人の周りをぐるぐる走り回りながら〝杏子〟と呼ばれた女性を牽制するように吠えまくって――。
小型犬特有の耳にキン!とくる吠え声が、静かな敷地内に響き渡った。
きっと、その吠え声が聴こえたんだろう。
向きを変えたことで背後になってしまった玄関扉が開く音がした。
***
美住杏子は、今年三十歳になる。
杏子本人はそんなに結婚願望が強い方ではないのだが、美住家の一人娘ということもあって、父・美住大地は何としても杏子をどこかへ嫁がせて、あわよくば孫の顔を見たいと望んでいるらしい。
小さい頃に母親を亡くして、男手ひとつで育てられたと言うのも大きいのかも知れない。
父親はとにかく杏子に甘々で、下手をするととっても過保護で若干暴走気味。
もしも自分に何かがあったら杏子が一人ぼっちになってしまう! と、娘に伴侶を見つけることだけはどうしても譲れない喫緊の課題だと豪語してはばからない。
杏子は『そんなに心配しなくても大丈夫だよ? 私一人でも生きていけるよ?』とアピールしているのだが、肝心の父親がそう思ってくれないのだからどうにも厄介なのだ。
これまでにも何度も何度も大地から見合い話を持ってこられては、うんざりしながらそれを反故にしてきた杏子だったのだけれど。さすがに二十代もあとわずかともなれば、大地の方にも焦りが生じてきたらしい。
いくら童顔で幼児体形。メリハリボディとは程遠い身体つきのせいで年齢より余裕で五つくらいは若く見られるといっても、限度というものがある。
「杏子、お父さんは諦めないからな!?」
そう宣言されて、「次にセッティングする相手とは何が何でも会ってもらう!」と言い渡されてしまった杏子は、つい苦し紛れ。初恋の相手の名前を出してしまったのだ。
「私、小さい頃からずっとずっとたいくんが好きなの! 彼以外とは結婚したくない!」
そんなワガママを言ったところで自分は一介のサラリーマンの娘。
対して初恋相手のたいくん――こと屋久蓑大葉は大きなお屋敷の跡取り息子で、母方は農業を営む大地主。父方も地元では名の知れた名士のお家柄というサラブレッド。加えて母方の伯父さまが経営しているという商社は、今や全国展開にまで成長した大きな会社ときている。
一般家庭育ちで父子家庭の杏子が、そんな大葉のお嫁さん候補になれる可能性はゼロに近いはずだった。
そもそも自分が大葉と接点があったのは、杏子が二歳、大葉が八歳の頃からのほんの数年間と言う束の間だけ。
大葉の母方の伯父――土井恵介の自宅近所に住んでいたよしみ。母親を亡くしたばかりで父子家庭になってしまった杏子を、独身のくせに子煩悩だった恵介が自分の姪・甥と一緒に面倒を見てくれていたことが接点に過ぎない。
当時、屋久蓑家のお姉さん二人には物凄く可愛がられた記憶がある。
杏子ではとても手に入れられないようなハイブランドの可愛いお洋服を沢山着せてもらえたし、王子様みたいにかっこいい大葉と並べられて、お姫様扱いをしてもらえたのが凄く凄く嬉しかった。
杏子が、母親が亡くなっても明るく笑っていられる女の子でいられたのはきっと、屋久蓑三姉妹弟のおかげなのだ。
そんなお姉さんたち二人は、どちらも早くによそのお宅へ嫁がれたと風の噂に聞いた。
となると、やはり大葉が屋久蓑家を継ぐんだろう。
きっと、杏子なんて相手にされないに違いない。
そう思っていたのだけれど――。
***
「杏子、この前たまたま家の前で土井さんにバッタリお会いしてな。お前の話をして大葉くんのお相手にどうかと話したら『アンちゃんなら』って言ってくださってなぁ。見合い話、大葉くんに勧めてみてくれるって約束して下さったぞ!? あ、今更だろうがこれ、今の大葉くんの写真な?」
ご丁寧に、杏子の釣書はすでに土井恵介に渡してあるらしい。
いつの間に釣書を!? と思った杏子だったけれど、父はあれだけ再三に渡って見合い話を勧めてきていたのだ。釣書のひとつやふたつ、とっくの昔に準備してあっても不思議ではないと吐息を落とした。
『たいくんが好き! 彼以外とは結婚したくない!』だなんて、埃が降り積もるぐらいの遠い過去――幼い頃に持ち合わせていた恋心を盾に、見合い話を回避しようと画策した杏子だったけれど、どうやら天は自分の味方をしてくれないらしい。
第一、実際のところ長じてからの〝大葉〟のことを杏子は知らないのだ。
小さい頃とびきりの美形だったからといって、大人になってもそれを維持したままとは限らないではないか。
(禿げてたり太ってたりしてたら嫌だなぁ)
――美しい思い出はできれば穢したくない。
後にも先にも大葉のように整った顔立ちをした男の子を、杏子は見たことがなかったから。その美しい記憶を、下手なデータで上書きしたくないな? と思ってしまった。
「……っ!」
そんなことを思いながら、父親に差し出されたL判サイズより一回りくらい大きい二つ折り台紙を半ばしぶしぶ開いてみた杏子は、思わず言葉を失ったのだ。
(やだっ。何これ……。たいくん、こんなハンサムになってるだなんて、私、聞いてない!)
思い出の中の大葉も確かに物凄く浮世離れした美形で、幼心に『こんな人と結婚したい!』と思ったのを覚えている。
実際、『アン、おっきくなったらたいくんのおヨメしゃになる!』と宣言して、彼のお姉さんたちからワイワイと騒ぎ立てられたのは三歳か、四歳のときだったか。
お姉さま方二人によって、お姫様に仕立てられた杏子の横へ王子様に見立てられた大葉が据えられたのは、その言葉の影響が大きかった。
結局〝たいくん〟は一度も杏子の求愛にうなずいてくれたことはなかったのだけれど――。
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