「わぁ……田畑ばっかり。小さい川まである。車を持ってないと、この辺りに住むのは大変そうですね」
助手席に乗っている、ららちゃんは物珍しそうに窓の外の景色を見ていた。
犬養夫妻の家は鼻先まで迫っていて、車を走る道は既に高速道路でなく。車一台が走れる田舎道。
それもすぐ横にはガードレールは無しの状態で、用水路が道に沿っている。
ポツポツと見える家も、大きさはそれなりにあったが。どれも古ぼけた印象。
田舎でよく見るような、やたらと赤い煉瓦色の屋根や。色の抜けた青い屋根がこれぞ、限界集落と言わんばかりの装いを醸し出していた。
車道の幅に注視しながら答える。
「こんなところの方が、狗神使いにとって都合ええやろ」
返事はなく。ららちゃんがこくりと頷くのをルームミラーで、確認してから言葉を続ける。
「犬養国司のGPSは目の前の家で反応あり。粧子はホテルの近くに反応ありで、問題ない?」
「はい。二つとも変な反応はありません。粧子がホテルからこちらに戻って来るとしても、最低一時間は掛かると思います」
「ん。首尾は上々ってところやな。さてと、この少し坂の上。あれが犬養様の家やな。やっと着いたわ」
速度を落として、車をゆっくりと止める。
視線の先には煤けた赤い屋根が特徴の二階建ての一軒家。横に庭があるようで、こんな田舎なのにわざわざ柵が設けてあり。さらに柵の内側に、周りの自然とは馴染まない新しい木々が目についた。
まるで周囲から目隠しをしているようにも見えた。
少し坂の上にあるということもあって、外からでは容易に庭が見えないと思った。
いや、見えるものもあった。少し前屈みになって見ると、木々の間を縫うようにすくっと生える長い一本の棒。
あれはと、思う前に隣のららちゃんがぐっと前に乗り出して、目を見開いていた。
「青蓮寺さんっ。庭に棒みたいなもの見えませんかっ? ほらっ。木々の間にポールみたいなやつがちらっと。しかも先端に何か飾り付いてますよね? 風車みたいな飾りが」
早口になりながら喋る、ららちゃんに対して僕はあくまで冷静に対応する。
「そうやな。風車に見える」
「やっぱり私が見た夢は……」
そこまで言葉を言ってから、ららちゃんは僕の意見を求めるかのように意味深に見つめてきた。
正直、ららちゃんに霊能力があるかどうかなど、今の状況では僕には分からない。
彼女は昔、犬養と付き合っていた。
ならばひょっとして犬養が知らずのうちに何か情報を出していたかもしれない。
それを無意識に、ららちゃんの脳が覚えていたかもしれない。
結果、本人は忘れていても脳が覚えていて既視感となり。僕から与えられた情報で『夢』として昇華した可能性もある。
「分からん。僕は霊能力があるかないかは、僕の前で『力』があると証明してくれることを信条にしている。今まで幽霊は全く見えないのに、天気は百発百中、当てるヤツとか居た。決して霊が見えるだけが『霊能力』と僕は思ってない。けど、今のところ、一回見た夢だけでは判断出来へん」
キッパリとそう言うと納得したのか。ららちゃんは少し肩を下げながら、座席シートに背を預け直した。それでも視線は庭の方角を捉えていた。
「そうですね。早とちりかもしれません。ごめんなさい。つい……。そうだ。青蓮寺さんは幽霊が見えるんですよね。今、その。ひょっとして犬の霊とか見えていますか?」
「今はその視えるスイッチを切ってるって感じやな。僕は仕事の最中にしかそのスイッチを入れないようにしているって、無駄話はここまでやな。そろそろ行こか」
ららちゃんの返事を待たずにして、またゆっくりと車を発進させた。
ちょうど坂の下に小屋があり。その横に車を停めれるスペースがあったので、そこに車を停めることにした。
この位置からだと、坂の上を登る人影や車を小屋の後ろからこっそりと見れる。
そして車を止めて。エンジンを切って、シートベルトを外す。
そのまま体を助手席のダッシュボードに寄せると、ららちゃんがびくりと体を震わせた。
あぁ、これはなんだか助手席の彼女にキスをするような姿勢かと思ったが。今はからかう気分ではなかったので、目を泳がせているららちゃんに、気付かないふりをしたまま。
ダッシュボードから事前に用意していた二つの防犯ベルと、その奥から警棒を取り出すとららちゃんが反応した。
「今なんか、凄い危なげな武器が見えましたけどっ」
「今からよそ様の家に乗り込んで箪笥を壊すのに、丸腰で行くとか、アホやろ。身を守るにも警棒ぐらい必要やろ?」
「た、確かに」
ららちゃんは言われてみればそうだと、理解はした様子だったが、どうやら初めてみる警棒に戸惑っているようだった。
それも仕方ないとは思う。女子には警棒なんか無縁だろう。
ちなみに。
僕が履いているのは草履じゃなくて、いつもの革靴。そのつま先には鉄板が仕込んでいて安全靴と同じくらいの耐久性はあるし、攻撃性もある。
それをワザワザ言う必要もないだろう。
警棒はすっと着物の帯の間に扇子のように差し込み。防犯ベルは胸元に入れた。
助手席から離れる間際に、らちゃんの膝の上に車のキーと防犯ベルをぽんと置く。
「じゃ、行ってくるわ。とにかく身の危険を感じたら逃げの一手で」
「──はい。青蓮寺さん、無事に戻って来て下さいね」
膝の上から素早く、防犯ベルと車のキーをきゅっと握りしめ。
真剣な面持ちで、ららちゃんにじっと見つめられると悪い気はしないが、これは仕事。ビジネス。そして自分の為でもある。
その上、安良城ららの魂を貰うと言う。対価を忘れている訳じゃない。
なのに、安良城ららは素直過ぎると感じた。
魂を差し出すと言うのは未来永劫あの世にも、地獄にもどこにも行けず。
輪廻転生の輪から外れる。
そう言った説明を無しに交渉に持ちかけたのは、命を捨てるぐらいなら、僕が拾っても問題ないと思ったため。だから詳細などは後でいい。
狡いと言われようが非難されようが。
本人が自ら望み──呪いのために首を縦に振ったのだ。
僕と安良城ららは、あくまで対価と代償だけの繋がりしかない。
僕の心配などする必要はないのだ。そして僕もこのように、いろいろと思ったりしなくてもいいのに。
「青蓮寺さん? どうしたんですか。じっと私の顔を見て。なにかついてますか?」
そう言って、きょとんと首を傾げる様子は普通の女の子そのもの。
共に生活はしているが、愛情からではない。
仕事を与えて一定の距離は取っているし。互いにプライベートに入り込むようなことはなかった。
安良城ららも、自身が僕の家に居る理由を忘れたような素振りはなかった。
それで特に困るような場面はなく。逆に仕事は捗るし、食生活も満足している。
そう考えると。
「情ぐらい湧いて当然か」
「えっ、情?」
呪術師なんてことをやっているから、人との距離を保つことが当たり前過ぎた《《きらい》》はある。
こんな風に心配されるのも久しぶりだと。
このような場面で思い至ってしまい苦笑すると、ららちゃんは困惑の表情を浮かべるばかりだった。
「いや。なんもない。帰りに僕もアイスクリーム買おうと考えていただけ。買って欲しいアイスクリーム考えといて」
「──はい。いっぱい考えておきますね」
そう言ってららちゃんは、笑みを浮かべながらも。眉をほんのわずかに不安げに下げていた。
その眉の下げた重みは、僕への心配さを表しているように見えた。
つい「そんな顔せんでも」と言いたくなったが、口には出さず。
手をひらりと振って、車の外へと出て行ったのだった。
時刻は17時過ぎ。夕暮れ。周りに人の気配はなし。
坂道を歩きながら、視線はじっと。犬養の家に定めていた。
山の麓にいるからだろうか。夕暮れどきでも早くも夜の気配が濃厚で、頬に少しヒヤリとした空気を感じた。
懐の奥に特別製の呪いの札がある。そこに手を当てながらシュミレートする。
今から犬養の家に上がり込む。図面上では玄関を開けた左側にニ階への階段がある。
それには登らず、玄関から続く廊下を歩く。
「右手に台所がある。その反対側が居間。それも突っ切ると壁にあたる。壁の左側の廊下の先に広間。右側が浴室などの水回り……」
ぱきりと小石を踏み砕く。
流石にGPSは犬養国司がどの部屋にいるかは指し示せない。
きっと居間か二階だろう。
図面では大広間は庭に面していた。ならば庭から侵入してもいいかもしれないが、僕が犬養の立場だったら防犯センサーぐらい付ける。
「ここは、やはり正面突破やな」
ふっと息を吐くと、もう坂道を上り切っていて犬養の家の前まで来ていた。
坂の上からみる景色は存外に悪くない。目に優しい自然の深緑。山の大らかな輪郭に空の色。空気も澄んでいる。風も良い。
それらを見てから。静かに瞳を閉じて、スイッチを切り替える。
すると途端にぞわりと肌が粟立ち、耳に聞こえるのは風の声から犬の唸り声のような音に変わった。
澄んだ空気は一気に据えた臭いになり。気持ち悪い。
そっと瞳をあけると、さっきまでなかった黒い薄靄が当たり前一面に漂っていた。
その薄靄の中心はもちろん──。
「犬養の家やな。あれが……狗神か。デカい」
思わず足を止めて狗神を見上げる。
それは無理矢理言葉で表現すると、プロジェクトマッピングのような立体感ある。
半透明な大きな存在がそこにあった。
その存在は首のない大きな黒い犬に視えた。
犬養の家に重なるように静かに座っていた。
頭が無いのに在るべき頭の方からずっと、唸り声とも。怨嗟の呻き声ともつかぬ、低い声が絶え間なく聞こえて耳障りでしかない。
その手や足、胴体にはいくつもの鎖がぐるぐると巻き付いて、無理矢理に家に縛り付けられているように感じた。
頭がないからなんとも言い難いが、大きな半透明の存在はこちらを意識するような行動は見られなかった。
置き物のように、じっとそこにあるだけ。
それがかえって不気味だった。
「こんなモン、常時視えていたらしんどいな」
今のところ脅威は感じられ無かったので、視線を家に戻す。あまりみていたいと思わない。
狗神を縛り付ける、あまりにもおびただしい鎖は贄の数だろう。
ここで何匹の犬が葬られていると思うと、実に胸糞悪い。
呪いには贄が必要。
願いには対価がいる。
なんの労力もなく得られるものなど、この世にはない。
だからと言って生命を踏み躙り。自己を優先すると、よくないことになると僕の祖先が経験済み。
故に僕が行使する呪いの力は、依頼者が受けた苦痛や負の想いをそのまま相手に還るようにしている。最大限までそっくり還すには、それなりの金額を貰うだけ。因果応報。別にそこに罪悪感などない。
「全て自分の責任や。けど、それを度外視したのは気に食わん。そう言うことをする外道呪術師って、はたから見たら何故かいまだに僕の流派と一緒だと、勘違いされる。それが鬱陶しい──こんな駄犬は潰すに限る」
風評被害と言うヤツだろうか。
呪詛が露見すると、僕の流派だと思われることが多かった。
なんでもかんでも、呪いを一緒くたにされるのは気分が悪い。
僕は僕なりの価値観で呪術師をしている。
そして犬養の呪術師としての在り方、価値観は気に入らなかった。
だから事情を知った上で、安良城ららに手を貸したのだ。
帯に刺したカスタムスチール製の警棒をすっと取り出す。取ってについている輪っかの部分に手首を通して柄を握る。
そして一振りすると空気を切り裂く鋭い音と共に、カシャっと先端が伸びた。
警棒を携え。犬養の家の見据える。
左右に古めかしい、門柱が目につく。そこには犬養の苗字の木の札があった。
そこを横目に通りすぎ。勝手に敷地に踏み入る。
目の前には間口が広い、引き戸ガラスの古めかしい玄関があった。その横にやぼったい黒のインターホンが見えるがまさか、バカ正直に押すわけではない。
「古い扉で助かったわ」
掴んでいた警棒を迷いなく、引き戸の間に差し込み。
テコの要領で手前にぐいっと引いてやると。
バガンと、手前の引き戸があっけなく下の枠から取れた。
警棒を引き抜き。あとは鍵部分のところに腰を落としてから蹴りを叩き込むと、ばきり。ばりんと。
ガラスの部分と鍵部分が壊れる音がして、あたりに破壊音が響いたが無視をする。
蹴りを入れた扉はあっさりと完全に上の枠からも外れ。派手な音を立てて手前に倒れた。
微かに舞う砂埃のなか。ぱっと玄関の奥を見る。頭の中でイメージした通りの玄関正面。左側に二回へと続く階段。
家の中は薄暗く、人がこちらにやって来る気配はない。
警棒を後ろの帯に差し。迷わずに倒れた扉の上を、革靴で踏み抜きながら家に侵入した。
家の中はちゃんと手入れがされており、古き良き田舎の家といった風情だった。
特に玄関の上に置いてある、花柄の大きめな壺がレトロ感を出していると思った。
しかし、僕の五感は不快な薄靄と生臭い異臭。耳に形容し難い怨みがましい声。皮膚にはまとわりつくような、妙な湿気を捉え。不快極まりなかった。
「家に入ると気配がより強くなったな……」
ふうっと息を吐くと奥からドタドタと、廊下の奥から人が走って来た。
「な、なんだ今の音はっ」
声を出して慌てて家の奥から出てきたのは犬養国司。寝ていたのだろうか。髪に寝癖がついて、シャツはよれていた。
僕の存在を見つけるとの距離を取るように、戸惑うように。ぐっと階段横に踏み止まり。
僕と破壊された扉を交互に見て唖然としてから、直ぐに僕を睨み付けてきた。