目的の駅に着き、改札を出た私たちは、そこで私たちに向かって手を振る男性に気がついた。
じっと目を凝らして見て、私は驚いた。
「え……まさか支社長?」
私は拓真を促してその男性の傍まで急いだ。
「やぁ、笹本さん、久しぶりだね。来てくれてありがとう」
「ご無沙汰しています。というか、支社長直々に、わざわざ迎えに来てくださったんですか?すみません、お手数をおかけしました」
「いやいや、無理を言って来てもらったんだ。これくらいは当然だよ。驚かせたくて事前に言ってなかったんだけど、時間通りの到着で良かったよ」
時田はにこにこと言い、それから私の隣に立つ拓真に顔を向けた。
「彼が北川さん?初めまして、時田です。よろしく」
「初めまして。北川です。今回はよろしくお願いします」
「こちらこそ。さて、車で来てるんだ。駐車場まで行こう」
「はい、よろしくお願いします」
私たちは頷き、時田の後を着いていく。助手席には私が、後部座席には拓真が乗る。
「いやぁ、しかし、笹本さんの顔を見るのは久しぶりだよね。笹本さんと一緒に働いたのは丸二年くらいか」
「そうですね。当時は本当にお世話になりました」
私が入社した時、時田は経理課長だった。仕事では厳しいけれど物わかりの悪い上司ではなく、仕事を離れればいいおじさんだったから、彼を慕う社員たちも多かった。私もその一人で、時田が支社に異動すると聞いた時は寂しく思ったものだ。
「ところであの頃の経理のメンバーは、皆んな変わってないか?笹本さんの同期の太田君も元気にやってるのかな?」
太田――。
その名前にどきりとしたが、私は平静を装う。
「はい。今じゃ中堅どころという感じみたいですよ」
ハンドルを握りながら、時田はやっぱりなと納得したように頷く。
「あいつは前職が会計事務所だからな。下手すると俺より詳しいところがあったもんだ。周りともうまくやっていけるタイプみたいだったし、このまま頑張っていれば、いずれは役職にでもつけるんじゃないの?」
それには答えずに、私は乾いた愛想笑いをし、話題を変えようと頭を巡らせる。
「そう言えば、支社長。今回は事務の方に色々教えてほしいってことでしたけど、総務関係のことだけでいいんですよね?経理関係は支社長が詳しいわけですし……。それと今回は北川さんも一緒にということでしたけど、具体的には私たち、何をすればいいんでしょうか?」
「うん。それは着いてからゆっくり打ち合わせようか」
「あ、そうですよね」
車での移動中に話すことではなかったかと、慌てて口をつぐむ。
「笹本さんは相変わらず、ほんと、まじめだな。いや、そこがいい所の一つではあるけどね。ま、今回はさ、ここだけの話、息抜きに来たつもりで気楽に頼むよ。お、その前にホテルに荷物預けておくか?夜は飲み会だし。二人ともその方が楽でいいんじゃないか?」
移動があるなら、確かに荷物は少ない方がいい。
「じゃあそうします」
「二人とも昼飯はまだなんだろ?まずはホテルに寄って荷物を預けたら、そのまま飯に行こう。うまい店に連れて行ってやる」
「わぁ、楽しみです」
私の喜ぶ声に時田はにかっと笑い、ハンドルを切った。
支社での指導などというと仰々しいが、実際には、一緒に仕事を進めながら教えるというOJTスタイルだった。やはり直接のやりとりは教える方も聞く方も分かりやすい。こんなことなら、もっと早く出向いて来ればよかったと思う。
その間、拓真はなぜか時田に連れられて、外回りに同行させられていた。田中の話を聞いた時には、支社の業務の流れを見るのが目的だと思っていたが、実は別の目的でもあったのだろうかと不思議に思う。いずれにしても、部長に何か考えがあってのことなのだろうと、あまり深くは考えないようにした。
その夜はすでに聞いていた通り、懇親会の席が設けられた。
これまで他店に来た事がなかった私は、その土地ならではの食べ物や、周りで聞こえる方言のような言葉に楽しい気分になっていた。拓真も時田と支社の営業の男性の間に挟まれて、楽しそうに話をしている。
支社の皆んなと様々な話題で盛り上がりつつ、これを機に今後の電話やメールでのやり取りがこれまで以上に円滑になりそうだと、私は今回の出張の成果に満足していた。
「さて、そろそろお開きとしようか。明日、二人は夕方までこっちにいるんだったよね?」
時田が私に訊ねる。
「はい、その予定です。直帰でいいって言われているので、ぎりぎりまでお手伝いできればいいなと思ってます。なので、皆さん、明日もどうぞよろしくお願いします」
私に倣うように拓真も頭を下げているのが見えた。
「こちらこそ。よろしくね」
支社の皆んなが口々に言う声にほっとして、私と拓真は顔を見合わせて笑った。
ぞろぞろと支社の面々と一緒に店を出たところで、時田が私と拓真に訊ねる。
「ここからホテルまでは歩いて十五分くらいだけど、場所覚えてるか?途中まで一緒に行った方がいいか?」
拓真は丁寧に時田の申し出を断る。
「いえ、ちゃんと覚えてますので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「そうか。じゃあ、また明日な」
「はい。お疲れ様でした」
私は拓真と並んで、帰って行く皆んなを見送った。彼らの姿が見えなくなってから、ふうっと息をつく。
「楽しかったけど、なかなか疲れるね。出張って」
「まぁね。でも、来て良かったよ。時田支社長っていい人だよね」
「そうよ。私、経理の時ずいぶんとお世話になったんだ。仕事はシビアだったけどね。さて、私たちも帰りましょうか。ホテルって、あっちの方だったよね」
そう言って歩き出した私を、拓真は引き留めた。
「待って、そっちじゃないよ。こっち」
「え。あれ?」
「碧ちゃんって、方向音痴だったっけ?」
くすくすと笑う拓真に、私は唇を尖らせて言い訳する。
「初めての街だし、お酒も入ってるから、ちょっと間違えただけだもん」
「だもん、って……」
拓真がぷっと吹き出した。
「碧ちゃん、いくらなんでも気を抜きすぎでしょ。もしかしたら、まだその辺に支社の人がいるかもしれないのに」
拓真に言われて私は焦る。
「そ、そうだよね。ごめんなさい。やだなぁ、そんなに飲んでいないはずなんだけど」
「疲れてるんだろ。とりあえずホテルに向かおう」
そう言って、拓真が私の手に触れる。
「拓真君、ちょっと、この手……」
どぎまぎして拓真から離れようとしたが、それよりも早く彼の手が私の手を握った。
「まだその辺りに支社の人たちがいるかもしれない、って拓真君が言ったばかりだよ」
周りの目が気になって離れようとする私に、彼はその手に少しだけきゅっと力を込めながら言う。
「大丈夫だよ。きっともういないし、いたとしても暗いから手を繋いでるかどうかなんて分からないよ」
「さっき言ってたことと矛盾してるんだけど」
「そうだった?」
拓真は私の言葉をさらりと流す。
「でも碧ちゃん、ほろ酔いみたいで危なっかしいから。このまま行くよ」
心配そうに言われては、頷かざるを得ない。
「うん……」
どきどきしているのはお酒のせいだけじゃない。頭一つ分高い位置にある拓真の顔を見上げながら、私は彼の手をそっと握り返した。
ホテルまでの十数分、少なくとも私はデート気分を味わった。ホテルに入る手前で彼の手が離れた時、もっとこうしていたいのにと思ってしまう。
拓真の少し後に続いてホテルに入り、フロントで預けていた荷物とカードキーを受け取る。エレベーターに乗り、二人して同じ階で降りた。
「同じフロアだったね」
「そうだね。明日は朝食を一緒に食べようか。ロビーに7時半集合で間に合うかな」
「うん。十分だと思う。あ、荷物は持って行った方がいいよね」
「あぁ、忘れないようにしないとね」
部屋ははす向かい同士だった。私たちはドアの前で言葉を交わす。
「それじゃあ、今日はお疲れ様。ゆっくり休んで」
「うん、拓真君も。おやすみなさい。あと一日、よろしくね」
ドアを開けて部屋に入る。それにやや遅れて、拓真の部屋のドアが閉まった音が聞こえた。彼が近くにいるということに安心する。今夜はぐっすり眠れそうだと思った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!