「…透真。俺が、怖いか?」
駿の問いかけに、僕は答えることが出来なかった。頭が真っ白になって、からだ全体が震えて、ただ口をぱくぱくとさせながら駿を見上げることしかできない。そんな僕に痺れを切らしたのか、駿ははぁ、と溜息をつき僕から背を向けた。
「…早く外にいけ」
予想外の言葉に、僕は「えっ」と声を上げる。
「聞こえなかったか?外に行けって言ってるんだよ」
駿はため息混じりにそう言う。どうやら、駿は僕に危害を加える気はないようだ。そうわかった途端、ようやく身体の震えは収まりはじめた。目を瞑ってふかく呼吸をし、背を向けたままの駿に問いかける。
「どうして、」
だが、僕の言葉を切り落とすように遮って、
「早くしろ」
と、駿が冷たく言い放った。
「ねえ、そんなの嫌だよ…僕、駿を放って逃げるなんて…」
「感情論か?そんなもの俺には何も響かない」
いつも明るく、優しく、決して僕を傷つけたりしないような駿が、鋭い言葉を投げかけてくる。僕は何を言っていいのか分からず、必死に彼にかける言葉を探した。
「ね、ねぇ、どうしちゃったっていうの、駿」
「どうもしない、俺はずっとこうだった」
「違うよ、駿はずっと、ずっと優しくて…」
「そんなの俺じゃない!」
駿が声を張り上げる。静かな家の中に、駿の声だけが響きわたった。駿は、「あ…」と小さな声を漏らしたあと、すっと黙り込んだ。ぎゅっと拳を握りしめて、何かを後悔しているようにみえた。
しばらくすると、
「……早く行け、出てけ」
と、ぽつりと言った。
「ねえ、駿…」
「出てけって言ってるんだ」
「でも」
「出てけ、出てけ、出てけ出てけ出てけ出てけ出てけっ!」
駿が頭を掻きむしりながらそう叫んだ。僕の言葉は、なにひとつ駿に届かなかった。そこでようやく、駿は僕と会話をする気がないのだと悟り、途端に涙がこぼれそうになる。
色々な感情が入り混じって、いてもたっても居られなくなった僕は、勢いよく床を蹴って立ち上がる。そしてそのまま、転びそうになりながらも階段を駆け下りた。
階段の踊り場で、ほんの一瞬、駿の方を見た。
駿は、先程とは違う、悲しそうな表情で、僕を見ていた。
こちらに手を伸ばし、少しだけ口をひらいていた。まるで、何かを言おうとしているかのような仕草だった。
けれど僕は、立ち止まらなかった。
立ち止まれなかった。
駿と話すのが、怖かった。
…あぁ、そうだ。
〝透真。俺が、怖いか?〟
この質問に答えられなかった理由は、きっと答えがイエスだからだ。
駿が、怖かった。
人を殺すなんて、思わなくて。駿の見えなかった部分が、じわじわと浮かび上がって来ているような気がして。
怖かったんだ。
そしてそのまま、靴も履かずに玄関を飛び出した。靴は、駿のベッドの下に隠れた際、そのまま置いてきてしまっていた。けど、もしかりに靴を持っていたとしても、きっと今みたいに履かずに飛び出していただろう。
そして僕は、無我夢中で走り出した。どこに向かっているのか、自分でもよく分からなかった。ただ、ただ、走り続けた。
道路に転がる小石やガラスが容赦なく足の裏にくい込んで痛かった。けれど、それよりも、胸のあたりがズキズキと痛くて堪らなかった。僕は歯を食いしばって、溢れそうな涙を必死にこらえた。けれど、それから少しも経たないうちに、堪えていた涙が溢れ出した。
そして同時に、うわぁぁん、と声をあげて泣いた。抑えきれなくなった感情が、一気に溢れ出て。泣きながら走った。子供みたいに、情けなく泣き叫んだ。けれど、少しも恥ずかしくなかった。
しばらくすると、建物の隙間から差し込む夕日の熱が、僕の背中をじんわりとあたため始めた。
このあたたかさは、僕の味方をしてくれているのだろうか。泣かないで、と、慰めてくれているのだろうか。
それともただ、早く行け、走れ、と、急かしているだけなのだろうか。
僕には何も、分からなかった。
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