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「なんだよあれ! ムカつく!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
帰りのタクシーの中、先ほどの件が納得いかない様子のナギは憤慨して窓の外に向かって拳を突き出している。
「みっきーの事何も知らないくせに……っ! みっきーの方があんな女より絶対可愛いのに!」
悔しそうに歯噛みして、握られた手が微かに震えているのは怒っている証拠だ。
「お兄さんは悔しくないわけ? あんな風に言われてさ」
「悔しいよ。悔しいし、ムカついてる……。けど、僕らが今どうこう言ったってしょうがないだろ?」
「……そう、だけどさ……でも……」
その言葉にナギはハッとした表情を浮かべると、ばつが悪そうな顔で俯いて黙り込んでしまった。
きっと彼なりに思うところがあるのだろう。
「その悔しさを、撮影に活かせばいい。いい作品を作り上げて、アイツらを見返してやろう」
「え? どういう、こと?」
「思い出したんだ。今期のドラゴンライダー……あの二人は、主人公とヒロイン役を演じてた。視聴率もそこそこいいから、調子に乗ってるんだ。だから、叩き潰して天狗になってる鼻をポッキーンとへし折ってやろうよ」
そう言えば、この時間にあの二人があんな場所に居たという事は、つまりはあの二人もそう言う事なのだろう。おまけに自分の記憶が正しければ、確か莉音は既婚者ではなかっただろうか?
「ふっ……写真、撮っておけばよかったかな……」
「え? なに?」
ぼそりと呟いた蓮の言葉が聞き取れず、ナギが首を傾げると蓮は苦笑を浮かべて何でもないとごまかした。
「そんなことより……またお兄さんって……」
「あっ、ごめっ……でも、やっぱり恥ずかしいから……」
言い訳をしようとするナギの腕を引いて抱き寄せれば、素直に腕の中に収まる。
そのままドライバーには見えない位置まで移動して口付ければ、一瞬戸惑いの仕草をしたものの、すぐに応えてくれる。
「ん……ふぁ……」
「しー。運転手さんに聞かれちゃうだろ?」
「だ、だって……いきなり、こんなキス……」
「ふふ、感じちゃった?」
「……っばか」
唇を離して耳元で囁いてやれば、ナギはビクリと身体を震わせ、頬を赤く染めてふいっと視線を逸らす。
その様子が可愛くて愛おしくて堪らない気持ちでいっぱいになりながら、窓の外を眺めれば空がうっすらと白み始めている事に気付く。
「……もうすぐ、夜が明けちゃうね」
「うん……」
名残惜しそうにナギも外を眺めていてコツンと頭をこちらに預けてくる。
「ナギ。そんな可愛い事されちゃうと、我慢できなくなるんだけど……」
「なっ、さ、さっきあんなにしたのに……っ」
「ふふ、冗談だよ」
ギョッとしたような顔をして振り向いたナギの顎を掴んで上向かせゆっくりとその柔らかな唇を塞いだ。
「んぅ、んん……は……お兄さん、ダメだってば……」
「またお兄さんに戻った。ペナルティ一回目だな」
「そ、それはズルいよ……っ」
抗議の声を無視して何度も角度を変えて啄むような軽い接吻を繰り返す。
離しがたい温もりを惜しむように最後に軽く触れるだけの口づけをして唇を離すと、ナギは困ったように笑ってぎゅっと首筋に抱き着いて来た。
もっと触れ合いたくて細い腰を抱き寄せると、ナギは一瞬身を固くしたが、すぐに力を抜いて身を委ねてくれた。
どれだけ抱いても飽き足らず、求めても全然足りない。もっとずっと、ナギと一緒に居たいと願ってしまう。
「……ホントに、我慢できなくなりそうだよ」
「へ?」
ぼそりと呟いた言葉を誤魔化すように、蓮はもう一度ナギの唇を優しく奪った。車内には甘い空気が充満していて、暫くの間二人は離れる事が出来なかった―――……。
翌朝、撮影の準備に取り掛かっていると、美月を発見するなりナギが駆け寄っていくのが見えた。
「みっきー!」
「あ、ナギ君。おはよ……って、ちょっと、なに!?」
いきなりガバッと抱き着かれ、美月は訳が分からずにキョトンと目を丸くしている。
「俺、撮影頑張るから! みっきーの方が絶対、ぜーったい可愛いんだから!」
「????」
一体なにを言っているのだろうと困惑している美月とその周辺のざわめきが聞こえてきて思わず噴き出しそうになる。
「……なんですか、あれ?」
「さぁ? ま、リーダーがやる気出してくれたんだからいいんじゃね?」
事情を知らない弓弦と東海が首を傾げる中、雪之丞が少し困ったような顔をして蓮の元へとやって来る。
「おはよう、蓮君。あのさ、昨日、グラフィックで一緒にやってくれてる二階堂さんから連絡が来たんだけど、奈々さんやっぱりもう戻る気はないって」
「……そう。じゃあやっぱり、今のまま何とか頑張るしかないって事だね」
「うん」
「ごめんな。雪之丞にばかり大変な仕事押し付けて」
蓮が謝ると雪之丞はとんでもないと言う風に手を振った。
「大丈夫だよ。二階堂さんもだいぶ操作を覚えてくれたし、この遠征中も一人で編集頑張ってくれてる。それに、弓弦君が色々と手伝ってくれるから」
「へぇ、そっか」
そう言って何処か嬉しそうにはにかむ雪之丞を見ていると、彼の方も随分と変わったのだと気付かされる。
好意を伝えられ、それに答えられないと告げた時は、こんな風に話すことなないと思っていた。
だが、今はこうして普通に話が出来ている。それだけでも大きな進歩だと思う。
そこにはきっと、弓弦の支えがあってくれたからだろう。
「……あのぅ。ちょっと気になったんっすけど、もしかして、CGもキャストの皆さんで回してたんですか?」
おずおずと会話に割って入って来たのは銀次だった。
皆の視線が一斉にそちらへと注がれる。
一瞬、しまった。という空気が流れたが、今更誤魔化すのもおかしい気がして顔を見合わせる。
「……実は、そうなんです。とある事情でCG担当だった方が降りてしまったもので……代役をこなせるスタッフはドラゴンライダーの方へ行っているみたいで……どうしても人手が足りなくて仕方がなく」
「幸い、ゆきりんがパソコンの編集とかソフト使えるって言うからほとんどおんぶに抱っこで。このままじゃいけないのはわかってるんだけど、アタシ達じゃわからないことばっかりで……」
「へぇ、大変なんっすねぇ」
弓弦や美月の言葉を聞いて、銀次の目がスゥっと細められてほんの一瞬冷たい空気が室内を満たした気がした。
だが直ぐに、ぽんと手を打つと雪之丞達に向き直る。
「それにしても凄いなぁ。そんなリスクを背負ってたのに、あのクオリティを保って今までやって来てたなんて。でも、それなら俺、少しは手伝えるかもしれません。パソコン関係は得意なんで」
「えっ!? 本当に!?」
「はい。スペックとか映像関係のソフトが何を使っているのかわかれば、ですが……。あと、部外者の俺が触っていいのなら是非!」
「……っ、本当に?」
思わず声を上げた雪之丞に、銀次は気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「まぁ趣味みたいなもんっすよ。映像編集とか、合成とか。昔からゲーム実況とか動画いじるのが好きで。――だから、もし役に立てるならやらせてもらえたらなって」
「ちょ、ちょっと……銀次君、そんな事できるなら早く言ってくださいよ!」
弓弦が驚きと呆れの入り混じった声を上げる。
「えへへ、言うタイミングがなくて」
軽く笑って誤魔化す銀次の姿に、美月や東海も目を丸くしていた。
だが、ただのお調子者だと思っていた男の口から頼もしい言葉が出たことで、室内に広がっていた重苦しい空気が少しずつ解けていく。
「じゃぁ、兄さんに一応聞いてみるよ。今現在の責任者は兄さんだから」
「蓮さん、ありがとうございます。 よかったですね、棗さん」
「う、うん……」
雪之丞が照れくさそうに笑うと、弓弦も安堵の息をついた。
「私も、貴方に説教しなくていいと思うと、だいぶ気が楽です」
「その割には、ここ最近やたらと足しげく通ってたけどな」
東海がニヤリと口端を吊り上げ、美月も「そうそう」とすかさず乗っかる。
「……はっ! わが弟はもしかしてドSだったのかしら?」
「っ! 二人とも! 人聞きの悪いこと言わないでくださいよ! 私はただ、放っておくと食事もしない棗さんが心配で……」
「そ、そうだよ。草薙君はドSなんかじゃないって。すっごく、凄く優しいんだから」
「やだ……なんかむずがゆくなってきちゃった」
「おれも~」
わいわいと笑い声が重なる中、銀次がわざとらしく感慨深そうに腕を組んでみせた。
「ふはっ、皆さん仲がいいんですねぇ。いいなぁ、こういう現場。楽しくって俺、好きですよ。俺も……皆さんの輪に入れて、正直すごく嬉しいです。いやぁ、俺もキャストだったらよかったのになぁ。なーんて」
場を和ませるような冗談に、美月や東海は「また始まった」と言わんばかりに肩を揺らして笑う。
その時、蓮がぱちんと指を鳴らした。
「いいね、それ。コラボらしくて面白いんじゃないか?」
「……え?」
思わぬ提案に、銀次はポカンと口を開けたまま固まってしまう。
しかし美月が「確かに! コラボっぽくて面白いかも!」と目を輝かせ、弓弦も「一夜限りのゲスト出演……それ、盛り上がりそうですね」と賛同。雪之丞までも「SNSで話題になりそうだね」と頷くものだから、流れは一気に傾いていく。
「いやいや! 冗談で言っただけですよ!? 俺、演技とかしたことないっすから!」
銀次は両手をぶんぶん振って必死に否定するが、ナギが横からニヤリと笑って追撃してきた。
「大丈夫だよ。俺たちの動きのモノマネやってんじゃん。あれ、そのまま使えばいいよ」
「ちょっ……あれは遊びでやってただけ! それに、素人に毛が生えたようなもんだから、絶対悪目立ちするって!」
必死の抵抗もどこ吹く風、ナギの一言に場はドッと笑いに包まれた。美月が「逆にその素人っぽさが良いんだよ!」と手を叩き、東海まで「バズる未来しか見えねぇ」と煽り立てる。
「や、やめてくださいよ!? 俺、もう帰りたいんですけど!?」
銀次が本気で焦ったように額を押さえていると――いつの間にかその場に来ていた凛が、腕を組んで低い声を響かせた。
「……それは面白いかもしれん。一夜限りの特別出演、という形なら話題性十分だしな」
「え、ええええ!? 凛さんまで乗っちゃうんですか!? ま、マジで!?」
素っ頓狂な声を上げる銀次の背後で、「夢のコラボ決定〜!」とメンバー全員が大拍手。
東海はニヤニヤしながら「ほら、断れない空気ってやつだな」と囁き、美月は「衣装合わせ、早く見たい!」と目を輝かせる。
「いやいやいや! 冗談ですよね? それにそんなの凛さんがOKだすわけ」
「いいんじゃないのか?」
「ほらぁ、やっぱり……って! えっ?」
――背後から声がして、一斉に振り返る。そこにはいつの間にかその場に来ていた凛が、腕を組んでこちらをじっと見ていた。
「一話限りのコラボなんて面白いじゃないか。どうせ、銀次君の動画やウチの公式の配信にもコラボすることは出すのだろう? だったら、番組自体に出るのは自然な流れじゃないのか?」
「 凛さんまで乗っちゃうんですか!? ま、マジで!?」
「ちょうど衣装も多めに準備してあるし。ちょっとやってみるのもいいんじゃないか?」
「ちょっと一杯。みたいなノリで言わんでくださいよ」
情けない声をあげる銀次の横で、突然降って沸いたゲスト出演に、その場にいたキャスト陣の期待も高まって行く。
東海はニヤニヤしながら「これは、断れない空気ってやつだな」と囁き、美月は「衣装合わせ、早く見たい!」と目を輝かせる。
銀次は「いやいやいや!」と両手を振りながら後ずさるが、耳まで真っ赤に染まったその顔は、どう見ても嫌がっているというより照れ隠しにしか見えない。
蓮はその様子を見ながら呆れたように小さく溜息を吐き、凛に視線を投げた。
「兄さん……最初からこうなること、狙ってたでしょ」
「ふっ、さぁな」
不敵に笑った凛の一言で、銀次の運命は完全に決まってしまった。
「待て! 怪人キライダナー! お前らの悪事、見過ごすわけにはいかない!」
「五月蠅い五月蠅いうるさーい! いつもいつも邪魔ばかりして! くらえ、シャーベットめかぶ!」
「うわっ!?」
「やだっ、なにこれ気持ち悪いっ!」
「大丈夫ですか!? 桃子」
シャーベット状になっためかぶを頭からかぶり、美月扮する桃子が小さく悲鳴を上げる。
駈け寄った弓弦こと青葉が立ち向かおうとするも、キライダナーのねばねば 攻撃を前に苦戦している。
「くそっ、こういう時に限って……! 赤也はまだですかっ!?」
「どうしよう、これ、ねばねばしてて変身出来ないっ!」
「ハハッ! 怪人めかぶよ。その調子でやつをねばねば氷漬けにしてやれ!」
「ふふふ。キライダナー様の仰せのままに」
美月がもがき苦しむ姿に焦る弓弦を庇うように前に出たナギこと赤也が剣を構えて敵を見据える。
「くそっ、お前だけは、許さないっ! 桃子達を傷つけた報いを受けろ! ……って、なにこれ、ヌメヌメしてて剣が抜けないんだけど!」
「フフフフ。お前たちにこの攻撃が防げるかな? 食らえ! めかぶボンバー!」
「っ!?」
緑色の破片が弾丸の如く地面を穿ちながら迫ってくる。
「わっ!? 嘘っ! なんで変身できないんだよっ?」
焦る3人。避けきれないと判断したナギが思わず腕を翳した次の瞬間。
「まったく……3人いてこのざまかよ……情けない奴らだな」
突如、その前に割り込んだ黒い影。
怪人のねばねば攻撃が飛ぶその瞬間――
「――どけ!」
黒い影が傘を広げ、粘液の弾丸を弾き飛ばす。
現れたのは、漆黒のスーツに黒傘を構えた戦士・獅子ブラック。
「っ……伝説の獅子ブラック……!? 本当にいたのか!」
「都市伝説じゃなかったの……!」
呆然とする3人に、ブラックは無造作に傘を片手で構えながらタオルを投げつける。
「ボサッとするな。……それでベルトを拭け。早く変身しろ」
「え、あ……はい!」
慌てて言われた通りにタオルで変身ベルトを拭うと、不思議とねばねばはすぐ落ち、3人は無事変身できた。
「はい、カット―」
助監督の掛け声で、現場の空気が一気に緩む。
頭からタオルを被り、戻って来るキャスト陣を次に出番を控えている蓮達アクターが迎え入れる。
「お疲れ。早くシャワー浴びておいでよ。なんだか凄く卑猥な感じに見えるから」
「ひ、卑猥って! お兄さん酷いよ」
「……全く、蓮さんの頭の中って本当に中学生で止まってるんじゃないですか?」
「酷い言われようだな。僕は事実を述べたまでなのに」
「またやってる。 蓮さんが残念なイケメンなのは今に始まったことじゃないでしょ? ほら、ゆづもナギ君も着替えに行きましょ。 どうせこの後みんなもドロドロのベッタベタになっちゃうんだから」
やや呆れたようにそう言いながら、美月はさっさと着替えるためにシャワールームへと消えていく。
「ほぇぇ。こんな風になってたんっすねぇ。すごいなぁ。……それにしても、相変わらず、ネーミングセンスなさ過ぎ。ププッ、なんっすか。シャーベットめかぶって。やばくないっすか」
みんなのやり取りを、モニター越しに見ていた銀次が、ポテチの袋に手を突っ込みながらクスクス笑う。
「ネーミングについてはツッコミ入れないでやってよ」
「子供番組だしな。面白おかしいくらいが丁度いいんだってさ」
自分たちだってくそダサいと思っていた。何度も吹き出しそうになったことを爆笑する銀次の反応は間違っていない。
「ふふ、蓮君なんて何回かツボってアクション忘れてNG出してたよね。最初」
「そうなんっすか!?」
「ち、ちょっ!雪之丞っ! それは最初のころだけだろ? 今はもう慣れたし!」
慌てて抗議する蓮の耳まで赤いのを見逃さず、銀次がすかさず突っ込む。
「いやぁ〜“残念なイケメン”ってこういうことっすね! 本番中に吹き出すヒーローなんて聞いたことないっすよ!」
「お前な……余計な事言うな」
むっとした蓮の横で、東海が肩を揺らしてククッと笑いを堪えている。
「ま、でもそのうち“伝説のNG集”とかやったら面白そうじゃね? 草薙君の意外なNGシーンとか貴重なの結構あるっしょ」
「マジですか! それ、ファンにとっては絶対見たいヤツ! 俺、編集頑張っちゃいますよ!」
「いやいや、銀次君。頑張るとこそこじゃないから。まぁ、どうしてもやりたいって言うならそれでもいいけど? どうせこれからNG増えるのはキミだろうし?」
「っ、何気にプレッシャーかけんでくださいってば!」
「お前ら、何を遊んでるんだ? ――早くマスクを被って準備したらどうなんだ」
低く鋭い声が割り込んだ瞬間、場の空気がピンと張り詰めた。
さっきまで笑い声に包まれていたスタジオが、まるで氷点下に落とされたように一気に凍りつく。
ひゃっと全員の肩が揃って竦む。
黒いボディスーツに身を包み、小脇に黒いマスクを抱えた凛の姿は圧倒的な威圧感を放っていた。
ただ立っているだけなのに、まるで画面から飛び出した怪人か何かのようで、先ほどまでポテチ片手に爆笑していた銀次ですら、思わず背筋を丸めて椅子に縮こまる。
「っ、ひょえー、怖いっ。り、凜さんっお疲れ様です! すみません、俺がみんなを引き留めたばっかりに!」
わたわたと謝る銀次の横で、蓮が慌てて取りなすように声を上げた。
「ぎ、銀次君は悪くないんだ。 だから、そんなに怒らないでよ兄さん」
しかし、凛は何も答えない。ただ薄く目を細め、無言でその場の空気を制圧していた。
「ほ、ほら蓮君! 準備しよう」
「あ、あぁ。 わかってる。じゃぁ、行ってくるよ。兄さん、あまり彼を虐めないでやってよ?」
マスクを被り、蜘蛛の子を散らしたようにそれぞれの持ち場へと駆け出していく3人の背中を、凛はしばし黙って見送る。
やがて、その大きな体から長い溜息がひとつ零れた。
「……全く。騒がしい奴らだ」
吐き捨てるような声だったが、どこか呆れ混じりの優しさが滲んでいた。
黒いマスクを抱えなおし、撮影が再開された現場をしばらく黙って見つめていた凛は、ふと隣に立つ銀次へ低く声を落とした。
「……どうだ。現場は……少しは雰囲気を掴めそうか?」
突然の問いかけに銀次はビクリと肩を跳ねさせ、慌てて背筋を伸ばす。
「へっ? あ、あぁハイ……! 出来る限り頑張りたいと思います。けど、凛さん……本当に俺でよかったんっすか? 幻のブラックなんて結構すごい役じゃないですか。俺てっきり、通行人Aくらいだと思ってたのに……」
声が尻すぼみになっていく。自分の場違い感に押し潰されそうで、思わずモニターを見つめながら苦笑いを浮かべた。
凛は黙って聞いていたが、やがて腕を組み直し、短く問う。
「……自信がないのか?」
その声音は責めるでもなく、ただ事実を確認するような響きだった。
「そ、そりゃまぁ……。だって俺、ただの配信者っすよ? そりゃテレビで見る皆さんの姿を年甲斐もなくずっと追いかけてましたけど。正直まだ、実感がわかないというか……」
しどろもどろに言葉を重ねる銀次に、凛は小さく鼻を鳴らした。
「フッ……それでいい」
「……え?」
「上手くやろうなんて思わなくていい。お前は顔が知れている。視聴者が“えっ!? ブラックって銀次君なの!?”と注目してくれさえすれば、それで十分だ」
「……あぁ、なるほど。俺に客寄せパンダになれって言いたいんですね?」
気恥ずかしさをごまかすように軽口を叩く銀次に、凛は視線を外さず淡々と告げた。
「そういうことだ。だが……」
わずかに間を置き、低い声が続く。
「俺は、お前の動画を全部見た。作品一つ一つに対する考察、キャラへの目線……。どれもリスペクトがあった。くだらない遊びに見えても、その根底に愛があるのは伝わってきた」
「っ……!」
思いもよらぬ言葉に銀次は言葉を失った。まさかこの寡黙な男が、そんな細部まで自分の動画を見ているとは想像もしていなかったからだ。
凛は少しだけ目を細め、ほんの僅かに口角を上げた。
「……俺の弟に負けないくらい、作品愛はあると見込んでる」
「え、い、今さらっと弟さん基準出しましたよね!? ハードル高すぎません!?」
「さぁな」
短くかわすと、再び現場に視線を戻してしまう。その横顔に、銀次はただ呆気に取られるしかなかった。
――不器用すぎるだろ、この人。
けれど、胸の奥にじんわりと熱が広がっていくのを銀次ははっきりと感じていた。