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「ねぇ、蓮さーん。ナギ君一体どうしたの? なんか最近変なんじゃない? 何か悪い物でも食べたのかな?」
美月が不思議そうな顔をして近付いてくる。
どうやらナギから朝っぱらからやたらと熱烈な励ましを受けたらしく、困惑しきった様子で助けを求めてきて蓮は思わず苦笑を浮かべた。
「あぁ、気にしないで。……この間、すっごく嫌な女に会ったんだってさ。それで逆にやる気に火が付いたみたいなんだ」
「嫌な女?」
「そう。性格の悪さが、無茶苦茶顔に出てる……」
「えー、何よそれ」
「一般人の方でしょうか?」
近くにいた弓弦も不思議そうに首を傾げる。
蓮は一瞬、答えに迷った。あまり詳しく説明し過ぎれば、ナギと二人でこっそりホテルを抜け出したことまでバレかねない。それだけは流石にまずい。
「んー……どうだろうね? でもまぁ、ウチのリーダーがやる気を出してくれたんだし、僕らも残りのロケを頑張らないと」
軽く笑って話をそらすと、弓弦が真面目に頷く。
「確かにそうですね。今日を乗り切れば、予定通り明日には戻れそうですし」
よかった。どうやら疑われてはいないようだ。
撮影スケジュールは今のところ順調だ。後は天候さえ崩れなければ問題ない。
「そういや今日は、昼飯はロケ弁じゃなくて棗さんと美月の料理対決だろ? サクサクっと午前中の撮影終わらせようぜ? 飯抜きだけは勘弁だしな」
東海が意気揚々と言うと、蓮が頷いた。
「あぁ、前に話してたキャラ弁対決だよね?」
「えっ!? そうなの!?」
ナギが驚いた声を上げ、皆の視線が一斉に彼に集まる。
「小鳥遊さん。ちゃんと毎日スケジュール表を確認してくださいって、何度も言ってるじゃないですか」
呆れたように弓弦がツッコむと、ナギは「へへっ」と苦笑して誤魔化した。
「まったく……しっかりしてくださいよ、リーダー」
「ごめんって。でも大丈夫。今日は俺、なんだかノーミスでやれそうな気がするんだ」
胸を張るナギを、弓弦が疑わしいとばかりにじっと目を細める。
「……なんだか今日は随分ご機嫌ですね。何か、あったんですか?」
「なっ、何も! 何もないよっ!」
視線を外せない弓弦の眼差しに、ナギはたちまちアワアワと慌てだし、ついには助けを求めるように蓮の方へ視線を投げてきた。
その必死な様子に、蓮は思わず吹き出しそうになるのを堪える。
――本当に、隠し事が下手な奴だ。
そんなやり取りを微笑ましく見守っていたその時、ふと強い視線を感じて蓮は振り返った。
そこには、雪之丞がじっとこちらを見ていた。目が合った瞬間、彼はぎこちなく視線を逸らしてしまう。
――もしかして……何か気付いたのか?
胸の奥に不安が過る。しかし問い質そうとしたその刹那、マスクを被ってしまった雪之丞の顔は表情を読み取れなくなっていた。
雪之丞がぎこちなく視線を逸らしてしまい、蓮は問い質すタイミングを逃してしまった。
「みなさーん。撮影再開しますよーって、あれ? どうかしたんです?」
モニターの前で銀次がマイク越しに呼びかけてくる。おどけた調子の声に、一瞬張りつめかけていた空気がほどける。
「……いや、別に。何でもないよ」
蓮が軽く取り繕うと、銀次は「ふーん?」とわざとらしく首を傾げながらポテチを齧った。
その気楽さに救われる部分もあれば、逆に余計な勘繰りをされそうで少し冷や汗が滲む。
完全にタイミングを失ったまま、真相を確かめることはできず、結局そのままスタートの合図が響き、現場は再び慌ただしく動き出した――。
――その日の午前中は驚くほど順調に撮影が進み、予定より早く休憩時間が取れることになった。
ホテルの一角に組み立てられた簡易式のミニキッチン。そこを舞台に、美月と雪之丞の料理勝負の幕が上がる。
「――さぁ! 視聴者の皆さんお待ちかね、本日の特別企画!
《美月 vs 雪之丞☆料理対決》スタートです!」
派手に声を張り上げたのは銀次だ。普段からにぎやかな彼だが、司会進行役を任され、更にテンションが高い。マイク代わりの木べらを振りかざし、場を盛り上げる。
「なんだか緊張するな」
軽やかに包丁を動かす雪之丞の横で、美月は料理本片手に四苦八苦。
蓮、弓弦、東海の三人はその様子を遠巻きに見守っていた。
「……あのさ」
カメラを回していたナギが急に足を止め、怪訝そうに首をかしげる。
「ゆきりん顔出しNGなのはわかるけど……マスクしたまま料理って、手元が見えないんじゃない? 絵面的には普段着にマスクって中々シュールで面白いんだけど……包丁で手とか切らないかちょっと心配だよ」
「む……」
雪之丞はしばらく考え込み、渋々といった表情でマスクに手をかける。
「……分かった。編集で誤魔化してくれるなら」
「もちろん! そこは俺に任せてください!」
すかさず銀次が胸を張る。
「映像はきっちり加工するから。大丈夫、バッチリ編集で上手くやります!」
「へぇー。雪之丞は外すんだ?」
ちらりと横にいる東海へと視線を移せば、ピンクのマスクの下から「うぅっ」とくぐもったうめき声が聞こえた。
「な、なんだよっ! 俺は絶対やだからな! 顔出しなんて!」
「そんなに拒絶することなくないかい? はるみんも結構かっこいい分類に入ると思うんだけど」
蓮は首を傾げて、東海の顔をマスク越しに覗き込んだ。
「……い・や・だ! 俺は絶対死んでも見せたくないの!」
「えぇー?」
「まあまあ、本人が嫌がってるんだから強要することないですよ」
弓弦が苦笑しつつ仲裁に入り、そのとなりで銀次が不思議そうにコテンと首を傾げた。
「でも……。試食の時とか、マスク被ってたら食べれなくないです?」
「……っ」
東海はぐっと詰まった。
確かに、と誰もが思った瞬間だった。
「ぐぬぬ……」
「俺、頑張って編集しますから! ね?」
「……はるみん、なんでそんなに顔出し嫌なの? アタシ好きだけどな、アンタの顔」
美月が少し残念そうな表情で、卵を混ぜながらさりげなく口を挟む。
「ちっ……しゃぁねぇな。じゃぁ、今回だけだからな!!」
しばし葛藤の末、東海は観念したようにマスクを外した。
「おおーっ!」
蓮とナギが同時に拍手を送る。
雪之丞はどこかホッとしたような表情を浮かべ、弓弦は苦笑いを浮かべる。
「了解! 俺の編集に死角なし! ちゃんと編集でなんとかしますから!」
銀次が親指を立てて宣言すると、現場にクスッと笑いが広がった。
美月と雪之丞の間を、ナギがせわしなくカメラを構えながら動き回っている。レンズ越しにハラハラしているのが伝わってくるようで、時折「ぁあっ」と思わず声が漏れるのも無理はない。
「ねぇ、君のお姉さんは普段料理とかはしないのかい?」
美月の手元――包丁を氷割りのように握っている姿に不安を覚え、何気なく尋ねると、弓弦は静かに首を横に振った。
「姉さんは……多分、学校の調理実習くらいしか経験ないと思います。家で作ったのはインスタントラーメンぐらいですね」
「……マジかよ」
やっぱりな、と内心でため息をつく。あのアイスピックを振り下ろすような危なっかしい持ち方、嫌な予感しかしなかったが、まさか本当に未経験に近いとは。
料理本を見ながらやっているのに漂う、この言いようのない不安感は何だろう。
テーブルに並んだ材料を遠目に確認してみても、どんな料理になるのかはさっぱり見えてこない。
思えば、美月と弓弦は実家暮らし。しかも美月は幼い頃からオーディションやレッスン漬けで、日常生活にまで手を回す余裕はなかったはずだ。あるいは単純に、料理に興味が湧かなかったのかもしれない。
包丁を持つ美月と、右往左往しながら撮影するナギ。その光景が妙にシュールで、見ているこちらまで落ち着かない気分にさせられた。
対する雪之丞は昔からそう言う細かい作業が好きだと聞いた事がある。 だからなのか、慣れたように玉子焼きを巻いたり唐揚げを作ったりと、どんどんおかずを完成させていく。
「棗さんの方が安心して見てられるな」
「美味しいですよ、彼の作る料理は。見た目も綺麗ですし……」
「え? 草薙君は雪之丞の料理を食べた事があるのか?」
思わぬ発言に驚いて弓弦を見ると、彼は明らかに「しまった」という顔をした。
「以前、タクシーで送ってあげたお礼に、パウンドケーキを焼いてきてくれただけです。私はお礼なんていいと言ったんですが、彼は律儀なので……。と、とにかく! そんな頻繁に食べさせてもらってるわけじゃないですから!」
言い訳に必死な弓弦は、耳の先まで赤くなっている。ついその様子がおかしくて口元が緩んだ。
――なるほど、彼が雪之丞の手作り菓子を……これは良い情報を仕入れた。
一方そのころ、美月の方からは「焦げた~!」だの「上手く巻けない~!」だの情けない声が飛んでくる。
東海は爪を噛みながら落ち着かず、弓弦も眉をひそめて心配そうに見守っていた。旗から見るとまるで「初めてのお使い」に出た子どもを見守る親のようにも見えて面白い。
「草薙君がお姉さんを心配する気持ちはわからなくもないけど……はるみん、随分と美月君のこと気になるみたいだね」
「は、はぁっ!? そ、そんなんじゃねぇし!! 心配なんてしてねぇ! ただ、変なもん食わせられたら困るから、その心配してただけで……っ!」
蓮にからかわれ、東海は真っ赤になって声を裏返した。
おやおや……これはもしかして?
弓弦といい東海といい、初々しい反応を見せてくれるものだから、どうにも弄りたくなってしまう。
「出来た!」
一足先に、雪之丞が声を上げた。
「えっ、……ちょっ、ゆきりん凄くない!? なにこれ!」
カメラ担当のナギが完成した品を見て、驚きの声を上げる。その瞬間、みんなの視線が一斉にそちらへ向かった。
「お兄さん達は、みっきーのが完成するまでダメだよ」
「えー……。気になる」
「クオリティがヤバいってだけ教えてあげる」
ふふんと鼻を鳴らし、謎のドヤ顔を見せるナギに促され、蓮達からは不満げな声が上がる。
そんなことを言われたら益々気になるではないか。
「ナ、ナギ君……。あまりハードル上げないでよ」
焦る雪之丞の自信なさげな声に、思わず苦笑いが漏れる。
「大丈夫だって。絶対みんなびっくりするから! そして、こっちも色んな意味でビックリなんだけど……」
「ちょっとナギ君! 失礼な事言わないでくれる!?」
蓋をしめながら美月が抗議すれば、ナギはごめんごめんと軽く謝り、全員の視線がいよいよ完成された二人の弁当へと注がれる。
「……美月のは不安しかねぇ……弁当の蓋からなんかはみ出してるし」
「ハハッ」
無事に完成した二種類の弁当箱を前に、東海のボヤキが響く。
「ほんっと、失礼しちゃうわね! 見た目はまぁ……あんまりかもしれないけど、味は大丈夫な筈よ! 多分……」
不安しかない。蓮は心の中でそう結論づけた。
「――さぁ! ここからが本日の目玉! 二人の渾身のお弁当、ついにお披露目の瞬間です!」
マイク代わりの木べらを構え、銀次が実況モードで場を煽る。
「果たして勝つのは、料理の貴公子・雪之丞か! それとも波乱のダークホース、美月か! 皆さん、目を凝らしてご覧ください!」
「じゃぁ、せーので開けるよ……」
周囲に緊張が走り、ゴクリと息を呑む音が響いた。
そして――。
掛け声と共に開かれた弁当箱を見て、一同は驚愕した。
「え、なにこれ……普通にヤバくね?」
「こ、こ……これは……アニマルフレンズのろっぷちゃんじゃないですか!」
秒で食いついたのは、意外にも弓弦だった。
「え? なに?」
「さぁ?」
雪之丞の弁当の中には、可愛らしい垂れ耳の白いウサギのキャラクターを模したおにぎりが中央に鎮座し、その周囲を唐揚げやウィンナーが彩っていた。
ニンジンで丁寧に飾られたブロッコリーは、まるでクリスマスツリーのように華やかで、その隣にはカラフルなプチトマト。
「おおっと、こ、これは……料理のアートだぁーっ!」
銀次が大げさに実況口調で叫ぶ。
「見よ! この細部までこだわったデコレーション! 観客のハートを鷲づかみにする一撃だぁー!」
「小さい子を持つお母さん世代が見たらバズるやつだコレ……」
「凄いですよ。棗さん……あ! 写真! 撮っていいですか?」
「え? あぁ、うん……いい、けど……なんだか恥ずかしいよ」
弓弦は興奮気味にスマホを取り出し、夢中でパシャパシャと写真を撮り始める。
「僕は、草薙君の反応の方がビックリなんだけど」
「……同感。まぁでも、ギャップ萌えってヤツ? 今のシーン、バッチリ固定カメラに映ってるし」
普段のクールさは何処へやら、すっかりキャラ弁に夢中な弓弦だったが、カメラを意識したのかコホンと咳払いし、すっと表情を戻す。
「ま、まぁ……凄く可愛らしくて美味しそうな弁当ですね」
「今更?」
「シッ。オッサン、聞こえるって!」
わざとらしい演技をする弓弦がおかしくて、思わずツッコミを入れれば、東海が慌てて制止してくる。
「って、言うか……美月のは、見た目がもう……対照的、だな」
「あぁ、うん……」
全員の視線が美月の弁当に移ると、そこには茶色一色……いや、所々に黒い物体が混ざっている。正体は不明。もはや「何か」としか言いようがない代物だった。
「……お弁当なんて簡単って、思ったんだけどな」
悲しげに目を伏せ、しょんぼりと俯く美月。広い空間に重苦しい空気が充満する。
「――さぁ! こちらは波乱のダークホース、美月選手の作品! その正体やいかに!?」
銀次が木べらをマイクのように構え、実況を続行する。
「おっと! 見た目は完全に茶色王国! ところどころ黒い岩石のような物体も確認されました! これは果たして食べ物なのか!?」
「――コレ、見た目はちょっとアレだけど、意外とイケるぜ?」
沈黙を破ったのは東海だった。
黒く変色した卵焼きを摘み、そのまま口へ放り込む。もぐもぐと咀嚼すると、次から次へと箸を伸ばしていく。
「いいよ、はるみん。無理しないで」
「無理なんてしてねぇっての! お前、自分で食ってねぇだろ。ほら、食ってみろよ」
東海が美月に皿を差し出すと、彼女は恐る恐る一口。
「んっ……あ、……意外と食べれる」
「だろ? つか、作る時は味見位しろよな」
「だって、時間なかったんだもん」
呆れた東海に、美月はぷくっと唇を尖らせる。
「だって、じゃねぇよ。……でも俺は、結構好きだけどな。コレ」
「へぇ、じゃぁ僕もいただこうかな」
「じ、じゃぁボクも……」
恐る恐る弁当の中身を摘み、口に入れる一同。すると――。
「これは……」
「……酢豚、だったんだね」
蓮がぽつりと呟いた瞬間、
「正体判明ーっ! 波乱の黒い物体、その正体は酢豚だったぁー!」
銀次の声が響き渡り、場には乾いた笑い声が広がった。
それから、みんなで二人の作った弁当をシェアして食べ、余った時間で雪之丞が簡単に作ったという、フルーツポンチをデザートとして頂いて、弁当対決は雪之丞の圧勝ということで幕を閉じた。
「――それにしても驚いたな。雪之丞があそこまで器用だったなんて」
午後からの撮影を終え、ホテルへ戻る途中。蓮はナギと並んで歩きながら、先程の出来事を思い出していた。
「プログラミングが出来るってだけでも凄いのに、器用だよねゆきりんって」
「そうだな……。僕も正直驚いている。アイツそういう事自分で言わないから」
凄い才能があるのだから、もっと自信を持てばいいのにと、蓮は思う。
いつも控えめで、自分のことはあまり積極的に話すようなタイプじゃない。
長いこと一緒に居たのにあそこまで料理が上手だなんて知らなかった。
それにしても。雪之丞があんな可愛らしいキャラクターに興味があるだなんて。
有名なキャラで、アニメには疎い蓮だって絵柄くらいは見たことがある。
でも、その程度だ。キャラクターの名前なんて今日初めて知ったくらいだ。
「驚いたって言えば……弓弦がめちゃくちゃ食いついてたね。いつも澄ましてるのに、子供みたいに目を輝かせてさ。『食べるのが勿体ない』って、スマホのカメラ構えて延々シャッター切ってたもん。待ち受けにする気かと思ったよ」
「あぁ、確かに。あの時の草薙君は珍しく感情を表に出してた。普段大人びて見える分、年相応に見えたっていうか」
――今日の料理対決は、みんなの意外な素顔を引き出した。
雪之丞の器用さ、弓弦の無邪気さ、美月の意外な弱気、そして東海の優しさ。
きっとこういう機会でもないと、気づけなかっただろう。
そんなことをナギと話しながらホテルに辿り着き、近道をしようと中庭を横切ろうとしたその時。
蓮はふと足を止める。
植え込みの陰に、誰かが身を潜めている。
しゃがみ込む二つの影――それは、どこか見覚えのあるシルエットだった。
「……なに、やってるんだ?」
不思議に思って声をかければビクッと肩を揺らし、ギクリとした様子で東海と美月が振り返る。
「隠れんぼでもしてるのかい?」
「しーっ! 静かに! 今、いいところなんだからっ!」
「???」
小声でそう言われ、不審に思いながら同じように腰を屈めて植木の陰から覗き込むと、ベンチに座って弓弦と雪之丞が目と鼻の先で仲睦まじく話していた。
その光景を見た瞬間、「あっ……」と声を上げそうになったので咄嵯に手で口を塞いだ。
「いま、何か聞こえませんでしたか?」
「え? さぁ……? 気のせいじゃない?」
振り返り、辺りをきょろきょろと見渡す二人を、身を屈めて何とかやり過ごす。咄嗟にナギまで道ずれにしてしまったが、致し方ない。 幸い2人には気付かれてはいないようでホッと胸を撫でおろし緩く息を吐いた。
「……なんで俺まで……」
「ご、ゴメン」
困惑して不満げな声を上げるナギに謝罪しつつ気になる二人の様子を伺う。
「……今日は、ありがとうございました。ろっぷちゃんのお弁当とても美味しかったです」
「そう? そっか……。良かった。そう言って貰えたら嬉しいよ」
嬉しそうに微笑はにかむ雪之丞の姿を見ていると、なんだかこっちまでほっこりしてくる。
盗み聞きは良くないとはわかっていてるが、つい耳を傾けてしまう。
「そ、それでですね……。あの……」
「えっ、うん? なに?」
雪之丞を前に、弓弦は落ち着かない様子で指先をいじりながら視線を泳がせている。いつもの冷静さは影も形もない。
――あの弓弦が、こんなに分かりやすく動揺してるなんて。
胸の奥がじわりと熱くなり、思わず固唾を呑む。
「ねぇこれってもしかして……!」
「キタんじゃない!? ヤダ、なんだかこっちまでドキドキして来たっ」
すぐ後ろで美月とナギが大はしゃぎで囁き合う。
「お前ら声でかいって!」と東海が青ざめて制止するが、二人の耳には届いていない。
雪之丞は首を傾げ、柔らかく微笑みながら弓弦の言葉を待っている。
蓮は思わず拳を握りしめた。
――一体、何を言うつもりなんだ。
暫く沈黙が続き、一同が固唾を呑んで見守る中、ついに意を決したように弓弦が顔を上げて雪之丞の顔を見上げる。
「その……」
「弓弦君……?」
頬を赤らめ、緊張した面持ちで雪之丞をじっと見つめる弓弦の姿が目に映る。
「す、す……」
「酢?」
弓弦の唇が震える。今にも飛び出しそうで出てこない言葉に、見ているこちらの胃が痛くなる。
「す、寿司が食べたいです。今度、作ってくれませんか?」
……その瞬間、植え込みの陰が総崩れした。
「はぁぁぁぁぁ!?」
「いや今じゃねぇだろ!!」
東海とナギが同時に突っ伏し、美月は「恋バナ返せぇぇ!」と小声で叫んで地面に崩れ落ちる。
「あぁ、もうゆづってば……なにやってんのよ」
「寿司って……マジかよアイツ……ダッサ」
まさかのココで? 今絶対そうじゃ無かっただろ!
予想外過ぎる展開に肩透かしを食らった気分だ。
当の雪之丞はというと、きょとんとした顔の後、ふっと吹き出した。
「ははっ、寿司……。そっか、お寿司が好きだったんだ。いいよ。なんだ、びっくりした。そんな事改まって言わなくてもいいのに。……今度作るね」
(そんなわけ無いだろ!)
数多くの女性を魅了して止まない人気俳優が何をやってるんだと、蓮は頭を抱えたくなる。雪之丞も雪之丞だ。今の流れはどう考えてもそうじゃない。
察してやれよ! と言いたいのはやまやまだが、雪之丞の鈍感さを責めるのは酷だろうか。
それに、今はどうかわからないが、雪之丞は自分の事が好きだったのだ。年齢差もあるし、まさか自分が告白される立場になるなんて微塵も思っていないのかもしれない。
――鈍感すぎる。
蓮は頭を抱えながら、心の中で盛大にツッコんだ。
「……こんな所で、何をしているんだ。お前達……」
背後から低い声が響き、一同はビクリと肩を震わせた。
振り返ると、呆れ顔の凛が仁王立ちしている。
「ひぃっ……!」
がっかりと項垂れていた美月と東海が跳ね上がり、結弦と雪之丞も声に気付き振り向いた。
「あ、貴方達っ……いつから……っ!」
弓弦の顔がみるみる赤く染まっていく。
「大丈夫だよ、草薙」
東海がニヤリと笑い、肩をすくめる。
「お前が案外ヘタレだったなんて、誰にも言わねぇから」
「へへっ、ごめんね。ちょっと通りかかっただけなの」
美月も悪戯っぽく笑ってウインクを飛ばす。
「~~~ッ!」
羞恥で首筋まで真っ赤に染まった弓弦は、目を泳がせてしどろもどろ。まさか聞かれていたなんて思って無かったのだろう。羞恥で首からジワジワと赤くなっていく弓弦がなんだか新鮮だった。
「みんな。居たんなら声掛けてくれればよかったのに……」
雪之丞は首を傾げ、のんきに呟いた。
「ゆきりん……。鈍すぎじゃん?」
ナギが盛大に溜息を吐く。
「え?えっ?なにが?」
雪之丞は本気で首を傾げている。
「本気で気付いてないわけ?」
ナギが呆れ声を漏らした瞬間、
「ちょっと! 小鳥遊さん! 何を言うつもりですかっ!」
弓弦が真っ赤になってナギの口を塞ぐ。
「……応援してるよ。草薙君」
蓮がからかうように笑えば、弓弦はさらに耳まで真っ赤になり、バツが悪そうに視線を逸らした。
「え?なに?何の話?」
雪之丞は相変わらず不思議そうに目を瞬かせる。
凛もまた状況が飲み込めず、全員を順に見回して首を傾げていた。
「ねぇ。さっきのどう思った?」
夕食を食べ、部屋へ戻る途中廊下を歩きながら不意にナギからそんな事を言われて、蓮はコテンと首を傾げた。
「さっきのって?」
「だからさ。ゆきりんと弓弦君のこと」
「あぁ。……うーん、僕はお似合いだと思うんだけど」
そう言うと、ナギは「だよねぇ」と相槌を打ってから困ったように眉根を寄せた。
あの後、弓弦はよほど気まずかったのか、逃げるように部屋へと籠ってしまったし、雪之丞はそんな弓弦を心配するばかりで全く進展しそうになかった。
「雪之丞は、多分……怖いんじゃないかな」
「怖い? 何が?」
ナギが不思議そうに聞き返すので、苦笑いして言葉を紡ぐ。
「自分で言うのもなんだけど、アイツ、僕の事をずっと好きだったって言ってたから……。いいなと思っていても、もしかしたらまたフラれるんじゃないかって思うと、なかなか一歩踏み出せないんだよ。きっと」
きっと、そうなのだ。きっと雪之丞は弓弦の気持ちに応えたくても応えられないのではないだろうか。
それは、過去の恋愛が原因なのか、それとも他に理由があるのかは蓮には分からないけれど。
なんとなく、そんな気がする。
「そっか。そう、だよね……」
「それに、年齢差もあるだろ? そう簡単にはいかないんじゃないかな」
弓弦はああ見えてもまだまだ高校生で、しかも人気俳優だ。引っ込み思案で何時も気弱な雪之丞が自分から積極的に行くとは考えづらい。
「それにしても……。随分と雪之丞たちの事を気にしてるじゃないか」
揶揄い交じりに訊ねると、ナギは口を尖らせて俯いた。
「そりゃそうだよ。結果的にゆきりんがフラれたのって俺のせいみたいなもんだし……」
「……」
「だからさ、ゆきりんには幸せになって欲しいんだ」
「……優しいんだね。ナギは」
蓮が思わず立ち止まると、ナギは小さく首を振った。
「優しくなんて無いよ」
口元は笑っているのに、目は少し寂しそうで――その横顔が、妙に胸を締め付ける。
いつも明るく振る舞っているけど、本当は色々と考えて悩んでいるんだ。
……もしかしたら、自分と付き合ったことを後悔しているんじゃないか?
ふいにそんな不安が頭を過り、蓮は言葉を失った。
ナギが今何を考えているかなんて、わからない。
「ゆきりんが弓弦君とくっついたら、お兄さんは俺だけのものじゃん。だから、そうなったらいいなぁって……、都合のいい事ばっか考えちゃってさ、自分の事しか考えられない酷い男なんだ」
「ナギ……」
その言葉を聞いて、蓮は咄嵯に腕を伸ばしてナギを抱き寄せた。
一瞬、驚いた様子を見せたナギだったが、直ぐに身体の力を抜いてそっと身を預けてくる。
ナギの体温が心地よくて温かい。
「馬鹿だな。僕はもうとっくに君しか見てないのに……」
ナギの髪を撫でて、耳元で囁けば、ピクリと肩を揺らして顔を上げた。
その瞳は潤み、頬は朱に染まっていて、恥ずかしいくらいに真っ赤になっている。
まるで、ゆでだこみたいで可愛いなと思う。
「……わかってる。最近のお兄さんは、変わったなってひしひしと感じるし。……でも、それでも時々不安になるんだ。信じて無いとかそう言うわけじゃないけど」
そう言って、ナギは蓮の顔を覗き込むようにして見上げてきた。不安げに揺れる琥珀色の瞳が愛おしくて堪らない。
好きだと思った。
この子が、他の誰でもないナギが好きなのだと、改めて実感した。
「バカだなぁ……。僕がどれだけナギの事が好きで仕方がないと思っているんだ」
照れ隠しに、悪戯っぽく笑って見せると、ナギは嬉しそうに破顔した。
「うん。知ってる。俺もお兄さんの事好きだよ」
ぎゅぅっと抱き着いて、甘えるように胸に顔を擦り付けてくる。
「……なんだか、猫みたいだな」
「えぇー、何それ」
クスクスと笑い合って、そのままゆっくりと距離を詰めて唇を重ねようとしたその時――。
「あー……ゴホン」
「っ!?」
突如聞こえて来た咳払いに二人はビクッと肩を震わせると、慌てて距離を取る。
ギギギっと油の切れたロボットのような動きで振り向くと、呆れたような目をした凛が盛大に溜息を吐きながらこちらを見ていた。
「……全く。年甲斐もなくなにをやってるんだ……お前らは」
フーっと息を吐き、眉間に深い皺を寄せながら凛が近づいてくる。
「いちゃ付くのは構わんが、場所を考えろ。バカップルども」
「ぅ……っ返す言葉もないよ」
「ごめんなさい……」
「まぁ、仲が良いのは良いことだが。あまり人の目に触れるところではするな。全員が全員そう言う事に好意的だとは限らないんだからな」
呆れ果てた凛の言葉に、二人揃って項垂れると、彼はもう一度溜息を吐いた。
「全く……人の気も知らないで……」
「ん? 何か言った? 兄さん」
「……いや。何でもない」
凛は一瞬だけ目を伏せた。その横顔に、一瞬翳りが差した気がしたが――蓮には確かめる間もなく、彼は話題を切り替えた。
(兄さん……?)
胸の奥に小さな違和感を抱きつつも、蓮は言葉を飲み込む。
「あぁ、そうだ。蓮。俺は少し早いが戻らないといけない急ぎの用が出来たんだ。支度したらすぐに出るから、部屋は好きに使え」
「え? あぁ、うん」
「……あまり盛り上がり過ぎるなよ? 隣に仲間が居るんだから」
「なっ!?」
肩に手を置いてそっと蓮の耳元で囁くと、凛はフッと自嘲気味に笑ってから蓮と目を合わせることなく、荷物を取りに一旦自分の部屋へと戻って行った。
「……すみません。調子に乗りました」
「もぉ~。ほんとお兄さんって変態だよねぇ。……でもまぁ、そういうところも嫌いじゃないけど」
「えっ?」
ボソリと呟かれた言葉に顔を上げると、ほんのりと頬を染めたナギの顔が視界に映った。
その表情にドキリとする。
「……後で、部屋に行くから……」
それだけ言うと、ナギは逃げる様にその場を去って行ってしまった。
蓮はその後ろ姿を惚けたように眺めていたが、やがて我に返ると緩む頬を抑えられず、その場にしゃがみ込んで悶絶した。
なんだあれ、可愛すぎないか?
なんであいつはこんなにも可愛いのだろうか。本当にずるい奴だと思う。
「うわっ、びっくりした! オッサンこんなとこにしゃがみこんで何やってんだよ」
突然、背後から掛けられた声に驚いて振り返れば、呆れたような顔をした東海の姿。
「いや……。うちの相棒が可愛すぎて色々と辛くて」
「あー、そういう……」
蓮の言いたい事を察して、東海ははぁと盛大なため息を吐いた。
「たく、紛らわしいんだよ! オレはてっきり具合でも悪いのかと……」
「なに? 心配してくれたのか?」
「はっ? ち、違うし! 別に心配なんてしてないっての! 誰がアンタなんか……っ!廊下の真ん中でしゃがみこんでんの邪魔だっただけだし!」
途端に慌てふためく東海の様子を見て、ニヤリと笑う。相変わらず素直ではない子だ。
「ふは、ごめんごめん。もう戻るから。心配してくれてありがと。案外優しい所があるんだな。はるみん」
「っ! はるみんって呼ぶなって言ってんじゃん!!」
「はるみーん。何してんの? 遅いわよ」
「うげ……」
蓮が揶揄い交じりにからかえば、遠くから美月の声が飛んできて、東海は小さく息を吐くと頭をかいた。
「今行くって! たく、なんでああもせっかちなんだよ……」
ブツブツ文句を言いながら満更でもなさそうな表情をして、東海は面倒くさそうにそう呟く。
「なんだ、デートか?」
「はぁ!? ちげーし!! ただちょっと買い物に付き合ってやるだけだから! 変な勘違いすんなよ! オッサン!!」
ムキになって否定すると、プイっと顔を背けて美月の元へ走って行く。そんな彼の耳がわずかに赤く染まっていた事に気付いて、二人の背中を見つめながら、思わず笑みを浮かべた。
「……青春だなぁ」
撮影が進むにつれて、少しずつみんなの関係性も変わってきているように思う。
それはきっと、とても喜ばしい事でみんながそれぞれ少しずつ前に進み始めている証拠だ。
雪之丞も前に進めているといいのだけれど。
彼は今、何を思い、何を考えているのだろうか?
ふと、先程の光景が頭をよぎり、微笑ましいような、少し寂しいような気持ちが胸に広がる。
雪之丞に弓弦のことをどう考えているかなんて、自分が聞いてはいけない気がする。
放って置くのが一番いいのはわかっているが、それでもやはり知りたいとも思ってしまう。
(あの二人も、上手くいくと良いんだけどな……)
願うのは、少し勝手すぎるだろうか。
けれど――雪之丞にも弓弦にも、きっと幸せになってほしい。
そう思った瞬間、ナギの顔が脳裏に浮かぶ。
同じように、この隣に居る彼にも。
「……ほんと、ずるいくらい大切に思っちゃってるな」
小さく吐き出した声は夜の廊下に吸い込まれ、蓮はゆっくりと立ち上がって部屋へと歩みを進めた。