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 辿り着いた村は、異様な光景を見せていた。

 まだ昼を過ぎたばかりだというのに、すべての家々が雨戸を閉じている。もちろん田畑で作業をしている者もいるが、話し声もなく、黙々として、なにかに怯えているように見えた。

 小さな村ではあるものの、その分だけ村人同士の仲は良く、いつも和気藹々とした雰囲気を見せていたかつての姿はどこにもない。その打って変わった有様に、男は皺だらけの目蓋を見開き、食い入るように辺りを見回した。

「こりゃいったいどういうこった」

 思わずこぼれ落ちた言葉に、孫六と平五郎は頭を下げながら降車を促す。

「じっ様、すまねぇがここからは歩いてくれ。俺らはこれからあっちの山に炭俵を運ばなきゃならねぇんだ。泊まるのは村長(むらおさ)ン家だろう? ここからなら一本道だから、そう疲れはしねぇ」

「そりゃあもちろんいいが……聞きてぇことばっかりだ。大事なことをなにも話さねぇまんま行くのかい」

「全部話してやりてぇのは山々だが、長(おさ)から聞いてくれ。早く行かねぇと、陽が落ちるまでに帰れなくなっちまう」

「陽が落ちると、なにが起こるってんだい」

 応えはなく、そのまま二人は道の果てに消えていく。荷物を背負ったまましばし立ち尽くしていた男は、やがて村長の家に向かい歩き始めることにした。

 道々に炭の破片や、それを踏み潰してしまったような黒々とした点がある。田畑に栄養として与えるくん炭(たん)が撒かれたとも思えない状況に、男は重々しい唸り声を漏らした。



   □   ■   □



 辿り着いた村長の家もまた、雨戸で締め切られていた。それでも戸口を叩けば、奥からパタパタと足音が響き、はあいと高い声が返る。声の主が村長の孫娘だろうことを察し、男は二歩ほど下がって引き戸が開くのを待った。

 わずかに隙間が空いたと思えば、小さな指が顔を出す。立て付けの悪い木戸がガタガタと音を立てて押し開けられると、小さな頭がひょっこりと覗いた。

「あ、貸本屋のじっ様!」

「おう、おゆき坊。元気だったかい」

 まだ六つになるかならないかの幼い声は、じっとりとした湿気を感じさせる今の村中において、清流のようなさわやかさを感じさせる。一年に一度しか会わないというのに、そんなことなど気にも留めないようなはしゃぎようを見せる幼女に、男はしわがれた手でくしゃくしゃと頭を撫でた。

「じいちゃんはいるかな。今年もたくさん本を持ってきたんだ」

「いるよ! ねぇ、オバケの話はある? 新しいの!」

「あるともさ。おゆき坊でも読める絵巻物をな、たんと持ってきてあるんだ。あとでおっかあと一緒に見てもらえ」

「うん!」

 土間に迎え入れられて上がり框(かまち)に腰を下ろした男は、風呂敷を解いて巻物をいくつか取り出してみせる。すでに待ちきれないのかキラキラと目を輝かせたおゆきは、まだ見ぬその内容を夢想してか恍惚とした声を上げ続けていた。

 そこに、また一つ床板を軋ませて足音が響く。

「おゆき、誰が来たんだい」

 のっそりと姿を見せたのは、すでに髷(まげ)を結う髪すら抜け落ちた、禿頭(とくとう)の翁(おきな)だった。

 この再会にも、男はまた驚愕に目を見開く。去年まで村長は齢に似合わないほどかくしゃくとして背筋も伸び、絶対的な指導者としての威厳に満ちあふれていた。それが現在目の前に立っているのは、自信がなくしょぼくれて、疲れ果てた顔をした年齢相応の姿をしている。

 村長もまた、男がいることに驚いたのかしばし熟考したあと──唇を噛んで頭を下げた。男がすでに村の異変に気付いていることを察しての動作は、孫娘の前で仔細を問うことだけはやめてほしいと、言外に示すものだった。

 それを了承し、男は目蓋を伏せる。

「じいちゃん! あのね、貸本屋のじっ様が来たよ! オバケのお話いっぱいあるって!」

「おぉそうかそうか、お前は昔っから絵巻物が好きだものなぁ。発つ前に来てもらえてよかった。おっかぁに言ってな、いくつか借りて持ってけ」

「はぁい!」

 ペタペタと足音を響かせて奥の間に走っていったおゆきを見送り、村長は疲れ果てた声色で呟いた。

「今回も遠くから疲れたろう、まずはゆっくり休んでくれ」

「ああ、そうさせてもらうよ。ところで──おゆき坊、どっかに行くのかい」

「……おりんと一緒にな。人足仕事に行ってる婿ンとこに行かせることにした。本の代金はちゃんと支払うから心配しなくていい。ちっとばかし長く借りることになるだろうがな」

「んなこたぁ気にしねぇさ。おゆき坊がおっとぉと暮らせるのはいいことだが、相手さんは婿入りしてきたものの、おめぇさんとソリが合わねぇってんで離れて暮らしてんだろう。いいのかい」

「その話は後にして、まずはいくつか絵巻物を見繕(みつくろ)ってくんな。あまり悩ませず、これにしなって押しつけてくれりゃあいい。おゆきを早く発たせにゃならねぇ」

 それきり、部屋に籠もってしまう。毎年滞在している家だ、男が勝手を分かっていると思ってのことだろうが、それが男にはどこかもの悲しく感じられた。

 以前なら来訪と同時に詰めかけ、休む暇も与えぬほど各地での話を聞きたがった村人たちは、今やどこにもいない。そこにあるのは締め切られて行灯(あんどん)が灯された、寒々しくも薄暗い板間だけだった。

 やがてたくさんの絵巻物を背負ったおゆきと母親が出立し、家の中はよりいっそうの静寂に包まれる。到着した時点ですでに充分もの悲しい空気に包まれていた室内は、おゆきの声が消えたことで、火が消えたようになってしまった。

 閉ざされた室内で村長と向き合った男は、出された茶をすすっては深く息を吐く。なかなか話を切り出さない村長の口火が切られるのを待つうちに、雨戸の隙間から漏れる外の明かりは、とっくに赤く染まっていた。

 痺れを切らし、男は音を立てて茶托に湯呑みを置く。

「なぁ、もう気兼ねなんざいらねぇだろう。そろそろ村のことを話してくんな」

「分かってるさ。だが、なにから話せばいいか……」

「迷うこたぁねぇ、聞きてぇのはひとつだけだ。あの大量の炭を要求してるのは、どこのどいつなんだってぇ話よ。おゆき坊だって、そいつから遠ざけるためにおっとぉのところに行ったんだろう」

「分かるか」

「分からねぇわけがあるか」

「そうさな、分からねぇわけがねぇや」

 力なく笑った村長は、静かに眉根を寄せて目を伏せた。

「信じちゃもらえねぇかもしれねぇがな。ちょっと前からここいらにゃ、人を食う化けモンが出るのさ。そいつが、とにかく炭を持ってこい、ありったけの炭を持ってこいと言いやがるのよ」

「──ほう」

 男の目が興味深そうに瞬く。最初から笑い飛ばされなかったことに安堵したのか、村長は俄然、熱を帯びた口調で拳を握った。

「最初にそいつを見たのは、奥山に薪用の木を切りに行った佐平の奴だった。身の丈が倍もある真っ黒い猿みてぇなのに会って、炭を持って来いって言われたってな。佐平はそいつを見てたまげたものの、次に来る時に持ってきてやると約束したんだ。村に帰ってきてから興奮して話してたんだ、よく覚えてる。だが」

「忘れて行ったのか」

「違う、腰に結わえて持って行ったさ。だけど佐平は帰っちゃ来なかった。もしかしたらなにかあったかと、村の衆で探しに行った先で見たのは、食い散らかされた佐平の残骸だけだ」

「……腰に結わえられる程度じゃ、足りなかったんだな」

 男の言葉に、村長は黙ったまま首肯する。

「薪のほかにも、うちの村は奥山に世話になってる。それからは奥山に入る奴はいつそいつに出くわしてもいいように、炭を持って行くようになった。腰に結えるだけ結って、それでもダメなら肩にも担いで。どんどん増えていったが、みんな食われた」

「そいつが、村に下りてくるようになったのか」

 これにも肯定するように、苦悩の溜め息が落ちる。

「村の衆みんなで金を出し合って、町でありったけの炭を買った。山の麓にある祠(ほこら)に供(そな)えるから、夜の間に持って行ってくれと約束してな。今日、孫六と平五郎に持って行かせたんだ。だがこれでダメなら、村人みんなが食われっちまうかもしれねぇ」

 膝上で組んだ手をカタカタと震わせながらの言葉に、ようやく得心する。

 必要以上に買われた大量の炭俵と、おゆきの出立、人気がないことを装うような村の様子。そして炭を運んでいた二人が、男の持つ刀に期待していた事柄。

 男が帯刀しているのが豆腐も切れない刀と知ってなお滞在を頼んだのは、山賊相手に鈍刀が牽制として使えるのなら、猿相手にでも通じるだろうと踏んだのだろう。しかし身の丈が倍ほどある人食いの化け物相手に、それが通じるとは思えなかった。

「……そりゃあ普通、仕事道具を置いてでもずらかるだろうなぁ」

 思わず失笑が漏れたその瞬間。

 村全体に響き渡るほどの大音響が、老いた耳をつんざいた。

 家全体がビリビリと振動するほどのそれは、強く耳を塞ぐ以外の行動を制限する。湯呑みが転げ、中の茶が音を立ててこぼれても、拾い上げるだけの余裕すらなかった。

 なにから発されている音なのかすら判別のつかないそれは、例えるなら羽釜の底を熊手で引っ掻いたような音とでも表現するほかなく、全身を嫌悪感で粟立たせる。

 やがて音がやんだと思えば、今度は額をこれ以上なく青ざめさせた村長が、身を強ばらせたまま怪しげな挙動を繰り返し、身の置き場もない様子を見せていた。

「怒って……怒ってやがる……!! 足りなかったのか、あれでも! もう村に炭はねぇんだぞ……!!」

 頭を抱え、涙と鼻水を垂れ流しながら喚き散らす村長を、男はなだめることすらできない。

 時を置かず、大地を揺るがす足音が響く。地面が沈み込むような感覚に襲われた直後、メリメリと音を立てて屋根に葺(ふ)かれている茅(かや)が剥がされた。

 そこから、大きな顔が覗く。

 頬だけでなく額まで赤らんだそれは、ともすれば酒に酔っているようにも見える。ぎょろりと大きな目は視点が定まらないのか、ぐるぐると首ごと天井付近を見回しては、やがて壁に止まった蠅でも見つけたように、にんまりと男の──否。男の隣で絶望に泣き濡れる、村長を見た。

木偶の腕と、二振りの

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