「何読んでるの?」
昼休み、いつも通り本を読んで過ごそうと思っていたら、突然本に影が差した。顔を上げると、明るいオレンジ色が目に入る。
「本読んでるの?」
「……そうだけど」
「へえ! 面白い?」
「……まだ読み始めたところだから、分からない」
そう言うと、彼女は嬉しそうに目を輝かせた。それから本を覗き込もうと身をかがめるので、私は慌てて身体を捻って逃げる。けれどすぐにまた距離を縮められてしまう。彼女の関心を逸らすために話題を探したけれど、咄嗟に何も思い浮かばない。仕方なく口を開く。
「……本、読む?」
「うん!」
彼女は満面の笑みで頷いた。それから少し考える素振りを見せて、「あ」と呟く。そしてちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「でもあたし、本持ってないや……」
私は小さくため息をつくと、鞄から一冊の文庫本を取り出した。それは私がいつも読んでいるもので、表紙には『グッド・バイ』と書かれている。それを彼女に差し出した。
「貴女に合うかどうか分からないけど、読んでみて」
「え?いいの?」
彼女は驚いたように目を瞬かせる。私は無言で頷いた。彼女は嬉しそうに目を輝かせると、両手で大事そうに本を受け取る。それから満面の笑みを浮かべて言った。
「ありがとう! あたし、大事に読むね!」
屈託のないその笑顔に、思わず見惚れそうになる。慌てて視線を逸らすと、窓の外を見つめた。午後の穏やかな日差しが校庭を照らしている。その眩しさに目を細めると、そっと息を吐いた。
その日は結局、彼女と一言も交わさないまま放課後を迎えた。
「じゃあ、また明日ね」
彼女はそう言って手を振って去って行った。私はその後ろ姿をじっと見つめる。何故か胸がざわついて落ち着かない気分だった。翌日。彼女は私の元へやって来た。そして昨日と同じように本を差し出すと、「これ、ありがとう」と言って笑う。私は小さく頷いてそれを受け取ると、鞄の中にしまった。
「読むの、早いんだね」
「そうかな? 面白い本だったからかな?」
「そう」
彼女は嬉しそうに語り始める。私はただ相槌を打つだけだったけれど、彼女は気にしていないようだった。私はそんな彼女から視線を逸らすと、再び本を開いた。
そうして、彼女は毎日私の元へやって来た。それは雨の日も風の日も変わらない。私も最初のうちは戸惑ったけれど、次第に慣れていった。彼女はいつも楽しそうで、聞いているこちらまで不思議と笑顔になってしまう。
ある日の放課後。彼女はいつものように本を差し出した。私はそれを受け取ると、席に戻る。そしてゆっくりと表紙を開いた。ページをめくっていると、ふと視線を感じる。顔を上げると、彼女がこちらを見ていた。目が合うと、彼女は慌てた様子で顔を逸らす。その頬は少し赤くなっていたように見えたけれど、気のせいだろうか? 結局その日は会話らしい会話はしなかったけれど、彼女と過ごす時間は心地よかった。それからも私たちは昼休みに一緒に過ごすようになった。1週間に一冊、本を交換する。彼女はいつも笑顔で受け取った。その笑顔を見ると、私も自然と口元が緩むのを感じた。
ある日のこと。私はいつもより早めに登校していた。教室にはまだ誰もいない。自分の席に座り、本を開く。しかし内容が頭に入ってこなかった。考え事をしていたせいかもしれない。内容はもうほとんど覚えてしまっていたし、何度も読み返した本だ。それでもページをめくる手は徐々に遅くなり、やがて完全に止まってしまう。窓から外を見下ろすと、朝陽が眩しく輝いていた。それを眺めながらぼんやりとしていると、突然背後から声をかけられた。
「ねえ」
振り返ると、彼女が立っていた。私は驚いて目を見開く。いつの間にいたのだろう? 全く気がつかなかった。彼女は私の前まで歩いてくると、どこか緊張した様子で口を開く。
「いつも本ありがとう」
「……別に、いいよ」
私はそう返すのが精一杯だった。彼女は少し躊躇うような素振りを見せた後、意を決したように口を開いた。その瞳には強い意志が宿っているように見える。そしてゆっくりと息を吸い込むと、はっきりとした口調で言った。
「あたし、貴女のことが好き」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。思考が停止する。しかしすぐに我に返った私は、慌てて首を横に振った。
「それは違うと思う」
「違わないよ」
彼女は即座に否定すると、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。その瞳の強さに気圧されそうになる。私は目を逸らした。
「だって、私たちまだ仲良くなって少しだし…」
「時間は関係ないよ」
彼女はそう言うと、私の手を取った。驚いて顔を上げると、真剣な表情でこちらを見つめている彼女と目が合う。思わず息を呑んだ。心臓が大きく脈打つのを感じる。顔が熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。彼女は私の手をぎゅっと握り込むと、そのまま自分の胸元へと引き寄せた。彼女の体温を感じると同時に鼓動が激しくなるのが分かる。頭が真っ白になった。何も考えられない。ただ呆然と彼女を見つめていることしかできないまま、時間だけが過ぎていく。やがて彼女がゆっくりと口を開いた。
「返事は急がないから、考えてほしい」
それだけ言うと、彼女は手を離した。そして踵を返して歩き出す。私はその後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。
(返事って……)
告白されたことは何度かあるが、こんなにも動揺したのは初めてだった。顔が熱い。心臓の鼓動もまだ速いままだ。私は大きく深呼吸をして心を落ち着かせようとしたけれど、上手くいかない。結局その日は一日中上の空で過ごしたのだった。翌日になっても彼女のことが頭から離れなかった。授業中もずっと彼女のことばかり考えているうちに時間は過ぎていく。やがて放課後になり、いつものように図書室へ向かう。中に入ると、彼女が座っていた。彼女は私に気づくと小さく手を振る。私はそれに会釈を返すと、いつものように彼女の隣の席に座った。
「返事……考えてくれた?」
彼女は不安げな表情で尋ねてきた。
「うん」
私は小さく頷く。彼女は嬉しそうな表情を浮かべて身を乗り出してきた。私は深呼吸を一つしてから口を開く。心臓が激しく脈打っているのが分かる。顔が熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。それでもなんとか言葉を絞り出した。
「私も、貴女のことが好き」
そう告げると、彼女の顔がぱっと明るくなったような気がした。そして満面の笑みを浮かべると、ぎゅっと抱きついてきた。私は驚きのあまり硬直してしまう。しかしすぐに我に返ると、彼女をそっと抱きしめ返した。彼女の体温を感じると同時に鼓動が激しくなるのが分かる。顔が熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。それでもなんとか言葉を絞り出した。
「私でよければ……付き合ってほしい」
そう言うと、彼女はさらに強く抱きしめてきた。その力強さに少し苦しさを感じつつも、同時に心地良さも感じていた。しばらくそのままの体勢でいたが、やがてどちらからともなく身体を離すと見つめ合ったまま微笑み合った。そしてどちらからともなく顔を寄せると、唇を重ね合わせた。初めてのキスはとても甘くて幸せな味がしたような気がした。
それから私たちは毎日のように一緒に過ごした。昼休みになるといつも彼女が迎えに来てくれるのが嬉しかった。放課後は二人で手を繋いで帰ることもあったし、休みの日にはデートをしたりもした。彼女と過ごす時間は幸せそのものだった。そんなある日のこと、私は思い切って彼女に尋ねてみたことがある。
「ねえ」
「何?」
彼女は首を傾げるとこちらを見た。私は緊張しながら言葉を続ける。
「どうして私に声をかけてくれたの?」
すると彼女は少し考え込んだ後、口を開いた。
「実はね……あたし、最初は貴女のことちょっと苦手だったんだ」
私は驚いて目を見開く。まさかそんな風に思われていたなんて夢にも思っていなかったからだ。彼女は苦笑しながら続ける。
「ほら、いつも一人で本読んでるでしょ? なんか近寄り難い雰囲気だったし……」
確かに彼女の言う通りかもしれない。当時の私は他人との関わりを避けていて、あまり目立たないように過ごしていたから余計にそう思われたのかもしれない。しかしそんな私に対して彼女は積極的に話しかけてきてくれたのだ。私は不思議に思って尋ねた。
「どうして?」
すると彼女は少し照れ臭そうにしながら答えてくれた。
「だって、一人で本読んでるのってなんか寂しそうじゃない?だから一緒に遊びたいなって思ったんだ」
それを聞いて胸が熱くなるのを感じた。私のことを気にかけてくれる人がいるなんて思ってもみなかったからだ。そして同時に嬉しくもあった。彼女が私を好きになってくれたことが何よりも嬉しかったのだ。それから私たちは付き合うようになったのだが、今でも変わらず仲良くしている。毎日昼休みになると彼女の方から迎えに来てくれて、放課後も一緒に帰るのが日課になっていた。
そんな幸せな日々を送っていたある日のこと、彼女がこんなことを言い出した。
「ねえ、あたしたちさ、お互いのこと名前で呼ばない?」
突然のことに私は戸惑ったものの、すぐに首を縦に振った。確かにいつまでも名字で呼び合うというのは少し他人行儀かもしれないと思ったからだ。それに彼女ともっと親密になりたいという気持ちもあったからかもしれない。彼女は嬉しそうに微笑むと口を開いた。
「ありがとう!じゃあこれからはお互い名前で呼ぼうね」
それからというもの、私たちは二人きりになると自然と名前で呼び合うようになった。最初は少し照れくさかったけれど、慣れてしまえばなんてことはない。むしろ距離が縮まったような気がして嬉しかった。そんなある日のこと、いつものように一緒に帰っていると彼女が不意に立ち止まった。
「ねえ、手繋いで帰らない?」
私は驚いて彼女の顔を見つめる。しかしすぐに微笑んで答えた。
「いいよ」
私たちは手を繋ぎながら再び歩き出した。お互いの体温を感じながらゆっくりと歩くこの時間はとても心地良かった。そして同時に幸せを感じたのだった。
それからというもの、彼女との仲はますます親密になっていったように思う。一緒に過ごす時間も増えたし、お互いのことをもっと深く知ることができた。そしてある日のこと、いつものように一緒に帰っていると彼女が不意に立ち止まった。「ねえ、キスしてもいい?」
私は驚いて目を見開いたものの、すぐに小さく頷いた。彼女は嬉しそうな笑みを浮かべると顔を近づけてきた。私もそれに合わせて目を閉じる。唇が触れ合う感触に心臓が大きく脈打った。数秒間唇を重ね合わせた後、ゆっくりと顔を離すと見つめ合ったまま微笑み合った。
恋人になってからも図書室へ2人で出入りするのは変わらなかった。図書室を訪れる人は少なかったのが幸いしたのかもしれない。私たちは人目を気にせずイチャイチャすることができたのだ。彼女と過ごす時間は何よりも幸せだったし、毎日が輝いていたように思う。そんなある日のこと、いつものように二人で図書室へ行こうとしていると彼女がふと立ち止まった。
「ねえ、今日さ……」
彼女は少し言い淀むようにしながらこちらを見た。私は首を傾げる。すると彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた後、再び口を開いた。
「今日は……図書室じゃなくて、デートしたいなって思うんだけど……どうかな?」
思わぬ提案に驚いたものの、すぐに首を縦に振った。せっかく恋人同士になったのだからデートくらいしてみたいと思っていたところだ。それに私も彼女と一緒にいたいという気持ちがあったから断る理由などなかった。私たちは早速デートの計画を立て始めた。
「どこに行こうか?」
「うーん、そうだねえ……」
2人で話し合う中で決まったのは映画を見に行くことになった。上映スケジュールを調べてみるとちょうど良い時間帯に面白そうな作品がやっているようだ。私は彼女の意見に賛成した。それから時間になるまで他愛もない話で盛り上がった後、私たちは手を繋いで教室を出たのだった。
映画館に着くと、すぐにチケットを購入して中に入った。ポップコーンと飲み物を買って席に着く頃にはもう上映時間が迫っていたので急いで準備をした。スクリーンが暗転し、いよいよ本編が始まるという時になって、隣に座っていた彼女が不意に手を握ってきた。
「え?」驚いて声を上げると彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら囁いた。
「誰も見てないから大丈夫だよ」
私は小さくため息をつくと苦笑いを浮かべた。そして彼女の手を握り返した後、スクリーンに向き直ったのだった。映画の内容はとても面白くて夢中になってしまったため、結局手を繋いでいたことをすっかり忘れてしまっていた程だった。上映が終わり外に出る頃にはもう夕暮れ時になっていたのでそのまま帰ることにした。
帰り道はお互い口数が少なくなっていたものの、繋いだ手はしっかりと握られていたし、時折目が合った時に微笑み合ったりもした。そんな時間がとても心地よくて、幸せを感じたのだった。
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