あの日から三ヶ月が経った。
レンブラント宛に意外な人物から手紙が届き、とある場所に来ていた。
ここに来るのは何時振りだろうか。
レンブラントは馬車を降りるも中々入る事が出来ずに立ち尽くす。足が竦み動けなかった。すると屋敷の中からモニカが出て来た。
「本日は、お呼び立て致しまして申し訳ございません」
「いや……。で、用件は?」
「こちらへどうぞ」
彼女はレンブラントの問いには答えず、歩き出す。仕方なくその後を付いて屋敷へと入った。途中見覚えのある庭が視界に入り、思わず顔を背けた。
程なくしてモニカはとある部屋の前で立ち止まり中に入る様に促され、訝しげに思いながらも素直に従った。
レンブラントは案内された部屋に入った瞬間、動悸が激しくなり息苦しさを覚えた。その理由はモニカの次の言葉で痛感した。
「ティアナ様のお部屋です」
久々に聞いた彼女の名前に目眩すらしてくる。腫れ物でも扱う様に、この三ヶ月レンブラントの周囲で彼女の名を口にする者は誰一人いなかったからだ。苦しくて自分ですら彼女の名前を口にする事はなかった。
フレミー家には彼女に会う為に何度も足を運んでいたが、彼女の部屋に入るのは初めてだった。スッキリとした部屋というよりは、どこか寂しさを感じた。
呆然と立ち尽くすレンブラントを尻目にモニカは機敏な動きで鏡台の引き出しを上から順番に開けていく。そしてその中身をテーブルの上に丁寧に並べて終えるとレンブラントに向き直った。
「こちらを全てレンブラント・ロートレック様にお返しする様にと言付かっております」
一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
見覚えのあるそれらは、以前レンブラントがティアナに贈った装飾品だった。
「偽の婚約者である自分には身に余るからと仰り、頂いてからずっと手付かずのまま保管しておりました。何時かレンブラント様にお返し出来る様にと……」
レンブラントは目に付いたネックレスを震える手で掴み凝視する。
ーー彼女は一体どんな気持ちでこれらを受け取り保管していたのだろう……。
「ただ一つを除いてですが……。あの日も変わらず、お気に入りの青い宝石の付いたネックレスは身に付けお出掛けになられました」
「あの日……」
まただ。記憶が断片的で、あの後どうしたのか覚えていない。気が付いたら自室にいた。気分が悪く、吐きそうだ。レンブラントはその場に蹲った。
あの日から四ヶ月が経った。
祖父であるダーヴィットが病床に伏せる様になり、レンブラントは見舞いに来ていた。適当に見繕った花束を執事に手渡すと直ぐに花瓶に生けていた。窓辺に既に飾られていた花の隣に置かれ、随分と華やかに見える。
用意された椅子には腰掛けずにベッドで身体を起こし座るダーヴィットから少し距離を取り、レンブラントは立ったままでいた。長居をするつもりはないとの意思表示だ。
「お前が見舞ってくれるとはな」
「一応、お祖父様の孫ですので」
視線を窓辺に向けたまま素気なく返すとダーヴィットはため息を吐く。
「レンブラント、余り酒に頼るな」
「っ……」
「呑むなとは言わないが、程々にな」
この数ヶ月、帰宅しては毎晩の様に酒を飲んでいる。元々余り酒に強くないレンブラントは、一瓶空ける頃には泥酔状態になり何時の間にか朝を迎える事も少なくない。その事を何故ダーヴィットが知っているのかと思ったが、差し詰め心配性の執事が洩らしたのだろう。
見舞に来たのにどうして説教などされなくてはならないのかと、レンブラントはあからさまに嫌そうな顔をした。
「お前の気持ちは分からなくもないが、自分の身体を気遣いなさい」
その瞬間、言い知れぬ感情が込み上げる。
「気持ちが分かる? ハッ、お祖父様と一緒にしないで下さい。僕の気持ちなんて誰にも分かる筈がないっ。ティアナはっ……彼女はもうこの世界の何処にもいない。例え結ばれなくとも何処かで生きていると思える事とはまるで違う‼︎」
思わず感情的になり大きな声を上げてしまった。
「貴方のそれはただの自己陶酔だ。身分の違いから結ばれる事のなかった女性が、この世界の何処かで幸せに生きていると想い馳せるのはさぞ気分が良かったのではないですか? まるで物語の主人公の様だ。だが現実はただ家を捨てる勇気も気概もなく、ただ彼女を選ぶ事が出来ない情けない男だったそれだけの事に過ぎない。それでいて孤独だった? そう言ってましたよね? 笑わせないで下さい」
半笑いで、自分でも何を言いたいのかもはや分からない。溢れ出た感情や言葉をただぶつけただけだった。完全に八つ当たりだ。病人相手に何をしているのだと内心反省するが、意固地になり謝罪を口に出来ない。
暫しの沈黙の後、何故かダーヴィットが笑った。その事にレンブラントは目を見張る。
「お前もそんな風に言うんだな」
「……なんですか、それは」
気不味さに耐えられなくなり完全に背を向けた。
「昔からお前は良い子だったからな。才覚があるがそれに驕る事なく努力を怠らず、勉学も剣術も優秀で人当たりも良い。王太子の友人であり側近でもある。更に公爵家の跡取りで将来は有望。それ故に周囲からの期待や重圧に押し潰されそうになりながらも必死に努力してきた。……気が休まらなかっただろう? ランドルフはお前と違い自由奔放だったからな。ずっとお前は私に似てしまって可哀想だと思っていた」
「今更そんな事……」
ずっと孫の自分の事など興味も関心もないのだと思っていた祖父が、孫の事を得意げに話す様子が凄く奇妙だった。
「お前の言う通り、あの時私は全てを捨ててロミルダと生きる道もあった。だが……私には捨てる事が出来なかった。余計な事ばかりを考えてしまい、雁字搦めになり仕舞いには未来が見えてしまった。もしロミルダを選び二人で生きるとなれば、ロートレック家は分家に引き渡す事になり両親は落胆し嘆き、自尊心の高い人達の事だ耐えられないだろう。そうれば両親は生きていけないかも知れない、そう思った。それに家を捨てるという事は、貴族である事も捨てなくてはならない。苦労するのは目に見えていた。私はどんな暮らしでも構わない。だが誰が好き好んで愛する女性に苦労を掛けたいものか。それならお前が言った様に自己陶酔に浸りながら、彼女の幸せを願い続けていた方がマシだと思ってな。まあそれが正しいかは分からない。ただあの時、彼女から幸せだったと聞いて私の選択は間違ってなかったと胸のつかえが取れた様に感じた」
祖父の声は何処までも穏やかだった。
「何にせよレンブラント。例え最愛の人を亡くしたとしても、お前は生きて行かなくてはならない。もっと自分を労りなさい。彼女を忘れろとは言わないが、もう少し前を向いてみなさい。そして彼女の為にも幸せになりなさい」
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