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#王子
離れに幽閉されるように閉じ込められてから、三日の月日が流れた。
庭越しに仰ぎ見る本邸は、まるで生命が死に絶えたかのように静まり返っている。
けれど、時折夜風に乗って聞こえてくるのは、静寂を切り裂く凄まじい破壊音だった。
重い家具が叩きつけられ、獣が檻の中で暴れ狂うような震動。
そして、喉を掻き切るような、低く、苦しげな咆哮。
(刹那様……っ、お独りで、どれほどの地獄に耐えていらっしゃるの)
私は、運ばれてくる食事にも一切手を付けず
ただ枕元に置いた懐中時計を、祈るような心地で監視し続けていた。
金細工の針は今や、逆回転の極致に達し、金属が悲鳴を上げるような異音を立てて震えている。
文字盤の美しかったガラスには無数の細かな亀裂が走り、いつ粉々に砕け散ってもおかしくない。
彼の「愛」と、それを喰らわんとする「飢え」が、ついに修復不能な限界を迎えていた。
(……逃げろと言われて、はいそうですかと逃げられるはずがないわ…)
私は決然と立ち上がった。
豪奢な着物の裾を乱暴に捌き、夜の冷たい廊下を裸足のまま駆ける。
「決して愛してはいけない」という契約。
それは本来、非力な私を守るための慈悲だったはずだ。
けれど、今の私にとって、彼に喰べられ命を落とす恐怖よりも
彼が愛ゆえに一人で己を壊していく姿を
壁越しに見守ることの方が、数倍も、数十倍も恐ろしかった。
本邸の重い襖を、力任せに左右に跳ね飛ばす。
眼前に広がっていたのは、惨泐たる有様だった。
かつての美しい調度品は粉々に砕け、壁の朱塗りの柱には、深い爪痕が幾筋も刻まれている。
その破壊の嵐の中心で、刹那様は自らの血に濡れた腕を喉の奥まで噛み締め、獣のようにうずくまっていた。
「……来るなと…あれほど、言ったはずだ……ッ!」
顔を上げた彼の瞳には、もはや知性の光は乏しく
ただ飢えた捕食者の本能だけが爛々と赤く輝いている。
彼は地を蹴った。
一瞬で私の眼前に迫り、その巨大な質量が私を床に叩きつける。
背中を打った衝撃に息が止まる。
仰向けに倒れた私の首筋に、狂おしいほど熱い吐息と、鋭い牙の先端が触れた。
「殺すぞ……。今すぐ、その柔い喉を食いちぎって…お前のすべてを、俺の中に飲み干してやる……っ」
「……いいですよ。刹那様」
私は逃げなかった。
避けることもしなかった。
震える指先で、彼の荒々しく、けれど愛おしい頬を包み込む。
その指先の温もりに触れた瞬間、刹那様の身体が、凍りついたかのようにびくりと硬直した。
「喰べてください。それで貴方様の呪いが癒え、孤独が終わるなら」
「な…っ」
「……でも、一つだけ。最後に、私の、本当の『愛』を、受け取ってください」
私は最後の手向けを捧げるように、精一杯に背伸びをした。
そして、獲物を狙う牙が剥き出しになった彼の唇に、自分のそれを、逃げ場を塞ぐように重ねた。
それは、物語にあるような甘い口づけなどではなかった。
互いの唇がぶつかり、裂け、鉄錆のような血の味が混じり合う、荒々しくも切ない誓い。
「愛」という名の猛毒を、互いの体内に直接注ぎ込み、魂を混ぜ合わせる命がけの儀式。
「あ……が、はっ……! あぁぁッ!」
刹那様が激しく身悶え、私を抱きしめる腕に骨がきしむほどの力がこもる。
その瞬間。私の懐の中で、何かが限界を超えて絶叫を上げた。
───パリンッ!!
甲高い音を立てて、懐中時計のガラスが粉々に砕け散った。
ひび割れた盤面から溢れ出したのは、夜を黄金に染める眩い光。
それは嵐のような奔流となって、閉ざされた部屋中を吹き荒れる。
針が激しく、猛烈な勢いで逆回転を続け、ついに「零」という因果の地点を突き抜けた。
「緒美……お前、は……何故……っ」
鋭い牙が、私の肌を裂く寸前。
狂気に染まっていたはずの刹那様の瞳に、大粒の涙が溢れた。
愛した者を喰らわずにはいられない血の呪い。
その呪縛よりも深く、私の唇から伝わる捨て身の熱が、彼の魂を芯から焼き尽くそうとしていた。
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