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連続失踪事件の捜査本部は小野寺のいる目白警察署に置かれていた。
福島教諭の失踪届が出されてから設置されたが、その後すぐに小橋愛の失踪届が出された。
それから一ヶ月。捜査の進展は全くなかった。
失踪者全員に共通しているのは、十数年前に同じ中学校に同時期在籍していたということだけで、卒業後は進路もばらばら、現在に至るまで共通するものは何もない。
高橋智花、小田末莉、田島紅音の三人は卒業後も頻繁に交流していた時期があったが、年月を重ねるにつれて頻度は下がっていた。
福島と小橋愛に関しては、互いに交流があった形跡は無いし、高橋智花たち三人とも全く関わっていない。
この頃になると、本当にこれは事件なのか?という空気が捜査員の間には出てきていた。
たしかに同じ中学校出身の人間がこれだけ連続して行方不明になるのはおかしい。
おかしいと誰もが思うのだが、そこから先がなにもない。
第三者が関与している誘拐なのか、もしかしたら全員には捜査上浮かび上がっていない共通点や交流があり、自発的に行方をくらませている可能性だってある。
そして、現在の捜査本部では後者の方が日を増すにつれて支配的になっていた。
連続失踪事件の捜査には滝川も参加していた。
他の捜査員と同じように滝川もこれまで目ぼしい情報には当たっていない。
この日も失踪者の関係者に話を聞くために、佐山を連れ立って外回りをしていたが、目新しい話は聞けなかった。
「一休みするか」
そう言って滝川はすぐそばにある公園を指して言った。
小さな公園で申し訳程度の遊具とベンチが備えてある。
公園の隅には小さな花壇があり、色とりどりの花が風に揺られていた。
二人は公園前にある自販機で缶コーヒーを買うと、ベンチに腰を下ろした。
「滝川さん。これどう思います?本当に事件でしょうか?」
缶コーヒーを開けながら佐山が聞く。
「俺は事件だと考えている。それも第三者が関与しているものだと」
滝川は捜査本部とは逆に、日に日にこれは事件だと確信していた。
「なぜです?」
「五人目の失踪者、小橋愛の件だ。通院した形跡もないのに会社に療養のため退職するとメールを送っている。これは明確に第三者が関与している証拠だ」
「でも、他の四人にはそうしたものはありませんよ」
「だからだ。今まで犯人は一切証拠を残さなかった。しかし小橋愛のときはいつものようにいかなかった。わざわざ会社にメールをしたのはなぜだ?」
「それは……会社から身元保証人の親に連絡を入れさせないためでしょうか……失踪が明るみに出るのを遅らせるためとか」
「そうだ。最もわかりやすい理由がそれだ。だが、失踪届を遅らせることでどんなメリットがあるのかだ」
滝川はずっと考えていた。
仮に小橋愛を誘拐した犯人がいたとして、失踪届を遅らせるメリットはなんだろう?
なぜ今回だけそのような必要があったのか?
逆に考えれば、他の四人はいつ失踪届が出されてもかまわなかったということになる。
「本当に犯人が失踪に見せかけたいなら、なにもしない方が良かったんじゃないですかね……」
「俺もそう思う。考えれば考えるほど、失踪届を遅らせる理由がわからない。そんなことをしたばっかりに、こうして第三者の介入を疑われているんだからな」
滝川はコーヒーを一口飲んでから考えた。
違うんじゃないだろうか?
犯人が会社にメールを送ったのは、失踪届を遅らせるためではない、もっと違った理由があったのではないか?
ではその理由とはいったいなんだ?
そこでいつも壁にぶち当たる。
自分は考えすぎなのだろうか?本当は第三者など存在せず、小橋愛本人が会社を辞める適当な理由に病気療養を選び、面と向かって話すのが嫌だからメールで済ませたのではないか?
その可能性だって十分ある。
そうなると小橋愛が姿を消したのはなぜだろう?
捜査してわかったことは、小橋愛の日常にはトラブルの影など全く無かった。
両親との仲も良好、仕事とプライベートの対人関係も良好。
今の会社にしても辞めたいという話を本人から聞いた者はいなかった。
「滝川さん。小橋愛の件は、もしかしたら他の四人とは全く関係無いんじゃないですか?考えれば考えるほどそう思えてくるんですよ」
佐山の言葉を受けて滝川は空を見上げた。
このままの流れだと捜査本部は縮小。そして解散になるだろう。
しかし今の自分には何の打つ手もない。
一連の失踪に事件性を感じていながら、それを裏付けるものは皆無だった。
滝川は大きく息を吐いた。
滝川が行き詰って数日が経った頃、厭戦気分広がってきていた捜査本部にもたらされた一報は事態を急変させた。
失踪していた高橋智花が遺体で発見されたからだ。
高橋智花の遺体は神奈川県の山中でキャンプに来ていた大学生のグループが発見者だった。
辺りを散策していた彼等は、斜面を下り川原に出ると、全裸の女性が血塗れで木から逆さに吊るされているのを発見した。女性の真下には血だまりができていた。
それは異様な遺体だった。
滝川は殺人事件の捜査を何度も経験しているが、こんな遺体は見たことがなかった。
高橋智花の遺体には首に幅5cm、深さ10cmの刺傷があり、傷口からの大量出血による失血死が直接の死因と断定された。
ここまでは今まで見てきた遺体と変わらない。
遺体が血塗れなのは、高橋智花の血液ではなく、人間ではない動物のものだとわかった。
吊るされた遺体の下にできた血だまりも同様のものだ。
犯人は遺体を吊るしてから血をかけた痕跡がある。
なぜそんな手間をかけたのか?
さらに異様なのは腹部にある縦40cmほどの縫合痕だった。死後に切開して縫合したもので、開腹してみると内臓がそっくり抜き取られていて、代わりにビニールにくるまれた包丁が入れられていた。
検査の結果、包丁と首の刺傷が一致し、刃に付着していた血液も高橋智花のものだった。
この包丁が凶器であることは間違いない。
さらに凶器の包丁から失踪中の福島一成の指紋が検出された。
「小野寺さん」
「やあ。滝川さん。お久しぶりです」
「目白署に本部が置かれて、小野寺さんがいらっしゃることはわかっていましたが、なかなか挨拶に行けず、すみませんでした」
「いやいや、気にする必要なんてありません。我々所轄は皆さんが捜査をするための情報を脚で集めるのが役目ですから。顔を合わせる機会なんぞそうあるものじゃないですよ」
小野寺は笑いながら手を振って言った。
「それにしても大変なことになりましたな」
「ええ。まさか殺人事件に発展するとは」
「ご遺体の様子は私も聞きました。私も長いことこの仕事をしていますが、あんなご遺体は見たことも聞いたこともありません」
「ご遺体は隠されるでもなく、まるで晒し物のように吊るされていたそうです」
それを聞くと小野寺は考え込むような表情を見せてから口を開いた。
「滝川さん。ちょっと喫煙所に行きませんか」と、言って歯を見せた。
目白署の喫煙所は建物の裏、非常階段の下に簡易な屋根を設けて周りをビニールのシートで覆ったものだった。
入口は縦に分かれたシートが縁に着けたマグネットで固定されていて、出入りすると自然と密閉できる仕組みになっている。
中には空気清浄機とスタンド灰皿が三つ置かれている。
「ちょうどいい。誰もいないみたいです」
シートをかき分けて小野寺が入った。
滝川はタバコを吸わないがそのまま続いて入る。
「滝川さんのカンが当たりましたな。やはり失踪事件には第三者が関わっていた」
「捜査本部は福島一成を最重要容疑者として公開するそうです」
「福島ですか……」
「小野寺さんはなにか腑に落ちないみたいですね」
「滝川さん。私は今回の犯行に小川一華が関わっていると考えています」
「たしか、福島が失踪する前に彼女は会っていましたね……小野寺さんがそう考える根拠はなんですか?」
小野寺は首を振った。
「そんな根拠なんて言うほどのものはありません。強いて言えば、あなたと同じカンです」
小野寺は煙を吐き出すと
「現状では福島を重要容疑者とするのは理解できます。できますが、福島の犯行と仮定すると理解できない部分がある。それはわかりますか?」
滝川は小野寺の言葉から、自分を試すようなものを感じた。
「被害者の選び方ですね」
「そうです。福島は被害者達が在籍していた学校の他に、三つの学校を歴任しています。失踪前も都内の中学校で教壇に立っていました。どうして今になって十年以上前の教え子たちを攫い、殺しまでするのでしょう」
小野寺は「殺し」と言ったが、捜査本部では福島が高橋智花殺害の犯人だとは公式に認めていない。
あくまで高橋智花殺害になんらかの関与をしていると見ているだけだ。
だが、滝川はわざわざそこに言及する気はなかった。
「捜査本部では被害者達と福島の間になにがあったのかを調べる方向のようですが」
「現状ではそうなるでしょうなあ……」
「小野寺さんはなにか別の切り口を考えているのですか?」
福島の関与に否定的な小野寺に滝川は聞いてみた。
「ある人物を中心に考えると、被害者達との関わりから動機まで繋がります」
「それが小川一華ですか?」
「そうです。彼女なら母親の復讐という強力な動機があります」
小野寺は確信をもって言っているようだが、滝川は小川一華が犯行に関わっているとは思えなかった。
「ですが、高橋智花以前の二人が失踪した時期、小川一華はフランスにいました。それに先日うかがった母親の自殺に小橋愛と福島は関わっていません」
「たしかに小川一華はフランスにいました。小橋愛も福島も母親の自殺には関わっていません。滝川さんの考えは妥当だと思います。ですが協力者がいれば話は変わってきます。フランスにいても犯行は可能です」
「協力者?小野寺さんは誰か心当たりでも」
「一人は現在同居している小川一華の恋人です。もう一人は中学時代の親友、橋本千尋です」
「ちょっと待ってください。それはいくらなんでも飛躍してますよ」
確かに共犯者がいれば可能だとは思う。
しかし、誘拐や殺人のようなハイリスクなことに普通の人間がおいそれと手を貸すだろうか?
小川一華の恋人については知らないが、橋本千尋は滝川が知る限り一般人だ。
ごく普通の主婦で、とてもそんな行為に手を貸すようには考えられない。
滝川も当初は薬物事件と失踪はつながっていると見て、小川一華に少なからず関心を持っていた。
しかし現在起きている事件を考えると、小川一華が全ての犯行に関わっているのは無理があるように考えていた。
「十数年前の個人的な恨みを晴らすために複数の人間を拉致して殺害、遺体を遺棄する。一般人がそんなことに協力するとはとても思えません」
「滝川さん。殺人なんていうものは動機を聞けば「ふつうはそんなことまでしないだろう」と、いうものばかりじゃないですか」
「そうですが、それは直接の当事者にあてはまっても、小川一華の恋人にしても橋本千尋にしても、直接の当事者ではありませんよ」
「それはわかります。ですが余人からはうかがいしれない強い絆のようなものがあるかもしれない」
「では、小橋愛の件はどう説明するんですか?彼女は現在も行方不明だが、母親の自殺が動悸なら、なぜ小川一華は彼女を?」
「関わりのない人間を被害者に加えることで自分を容疑者のリストから外すことが狙いです」
「それは……。小川一華だけならそういう理由も成り立ちますが、橋本千尋にとっては仲の良い友人ですよ」
「ええ。わかってます。ですからこれから調べるつもりです。今は見えていないものが見えるようになれば、つながっていないものも綺麗につながります」
小野寺の言っていることは決めつけの域を出ていないと滝川は思った。
しかし福島以外の可能性を追うのもありかもしれない。
「小野寺さん。私のような若輩者が言うのはなんですが、この件は私以外の人間には言わないようにしてください。今は福島を調べることが第一です。捜査本部はそういう方針です。方針に従わないことがわかれば外されてしまいます」
「わかってます」
「それから、くれぐれも強引な捜査は控えてください。あくまで「話を聞く」のが今の状況では限界ですから。今の世の中は警察に厳しいですから」
最後は冗談交じりに言ったが、もしも小野寺が容疑者でもない相手に強引な捜査を行ったら、たちまち世間の槍玉に挙げられるだろうことは想像に難くない。
数分前に行った職務質問での失言や態度がネットに晒されてしまう世の中だ。
へたをしたら捜査の進展そのものを阻害しかねない。
「そのへんはいくら私でも心得ているつもりです。滝川さん、捜査本部に迷惑はかけません」
小野寺は胸を張るように言った。
「私にできるようなことがあれば言ってください。可能な限り力になります」
「ありがとうございます」
小野寺が礼を言うと、三人の制服警官がシートをかき分けて入ってきた。
三人が小野寺に挨拶すると、小野寺は気さくな感じで返す。
滝川はそれを見て会釈すると喫煙室をあとにした。