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事件は昼頃に発生した。
正確には。
スペクターのうっかりミスである。
執務室。
スペクターは山積みの書類と戦っていた。
謎の儀式申請書。
謎の予算報告書。
謎の「館内で帽子を20個紛失しました」報告書。
全部意味が分からない。
「……忙しい」
珍しく本気で忙しい。
一方その頃。
執務室の隅。
ノスフェラトゥが椅子に座っていた。
膝の上には輸血パック。
吸血鬼用おやつ。
問題は。
まだ食べていないことだった。
なぜか。
それは数日前。
スペクターが何気なく言った一言が原因だった。
「勝手に飢えると倒れるからね」
「食べる時はちゃんと確認すること」
それ以来。
ノスフェラトゥは律儀に守っていた。
律儀すぎるほどに。
現在。
輸血パックを握りしめて二時間経過。
ぷるぷる。
震えている。
三時間経過。
ガタガタガタガタ。
震えが激しくなった。
四時間経過。
「……」
目が据わってきた。
五時間経過。
目がバキバキ。
ホスフォラスが見つけた。
「うわ」
怖い。
輸血パックを抱えたまま。
一点を見つめている。
「何してんの」
「……待っている」
「何を」
「許可を」
ホスフォラス沈黙。
理解した。
「まだ食べてないの!?」
「許可されていない」
「いや食べろよ!」
「許可されていない」
「食べろって!」
「許可されていない」
壊れたNPCみたいになっていた。
アズールも来た。
状況を聞いた。
爆笑した。
「いやいやいや!」
「五時間!?」
「許可されていない」
「だから食べろ!」
「許可されていない」
「だめだこいつ!」
ノスフェラトゥは震える手で輸血パックを持ち上げる。
あと数センチ。
口元まで来る。
しかし。
止まる。
「……ッ」
吸いたい。
めちゃくちゃ吸いたい。
でも。
許可がない。
「主様……」
ホスフォラス。
「重症だ」
アズール。
「重症だね」
その頃。
スペクター。
普通に仕事中。
完全に忘れていた。
「……終わらない」
書類。
書類。
書類。
すると。
執務室の扉が開く。
アズール乱入。
「スペクター様」
「ん?」
「ノスフェラトゥ死にそう」
「え?」
数秒後。
スペクターは執務室の隅を見た。
ノスフェラトゥ。
輸血パックを抱えている。
目がバキバキ。
唇が震えている。
今にも倒れそう。
「……何してるの?」
「待っている」
「何を?」
「主様の許可を」
スペクター。
五秒沈黙。
状況を理解した。
そして。
顔を覆った。
「いや食べてよ」
「許可されていない」
「今する」
「本当か」
「本当」
ノスフェラトゥの瞳が輝いた。
スペクターはため息をつく。
そして。
「よし」
シュバッ!!
一瞬だった。
輸血パック消失。
飲み干された。
0.8秒。
館最速記録更新。
ホスフォラス。
「速っ!」
アズール。
「競技だったら優勝してる」
ノスフェラトゥ。
空になったパックを抱きしめながら。
「生き返った……」
スペクター。
「次からは普通に食べなさい」
「了解した」
翌日。
ノスフェラトゥ。
また許可待ちしていた。
誰も学習していなかった。