テラーノベル
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考えてみれば、小学校にも上がっていないような小さな女の子から好き好き言われた大葉は、さぞや困ったことだろう。
幼い頃の六歳差は、大人になってからのそれより遥かに大きい。
でも、今ならもしかしたら――。
土井さんが自分との見合いを二つ返事で受け入れてくれたというのなら、きっとたいくんは今、フリーなのだ。
杏子は大葉の写真を見て、子供の頃のイメージを崩すことなく……いや、むしろ何億倍もカッコよくて優しそうなイケメンへと成長した〝初恋の君〟に、一瞬にしてもう一度心奪われたのだった。
***
土井恵介に、杏子の父、美住大地が釣書を渡して二ヶ月余りが過ぎた。
その間、杏子はいつ先方から見合いの日取りなどが打診されてくるかとソワソワして過ごした。
断られるならばきっと、書類を渡してすぐにそういう話があるはずだろうし、それがないということは、大葉が忙しくてなかなか日取りの調整がつかないということなんだろう。
何でも父親の話によると、たいくん――こと屋久蓑大葉は、伯父である土井恵介が経営する会社で、〝ナニヤラ部長様〟をやっているということだったから、平社員と違って忙しいに違いない。
「ねぇ、美住さん、聞いてる?」
勤め先で、同僚らとランチしているときにそんなことを言われる頻度が増して、気持ちがそぞろでいけない、と思うことが多くなってきた頃――。
仕事後、カバンに仕舞い込んでいた携帯電話を取り出してみると、父からの着信に混ざって見知らぬ番号からの着信履歴と、『美住杏子さんのお電話ですか? 土井恵介です。またこちらからご連絡致します』という留守番電話が残っていた。
(やっとたいくんとのお見合いの日取りについての連絡がきたんだ!)
待ちに待った土井恵介からの連絡に、杏子は父へ折り返すよりも先にメッセージを残してくれていた土井恵介の方へ電話を掛けようと心に決める。録音にはあちらから折り返すとあったけれど、待ちきれなかったのだ。
とはいえ、相手は大会社の社長様。忙しくて出てくれないかも? とソワソワしたのだけれど、コール数回で無事に繋がってホッとする。
『――もしもし、アンちゃん? ごめんね、折り返してくれたんだね』
電話口から聴こえてきた柔らかな土井恵介の声に、杏子は緊張に震えながらも「はい、あ、杏子です。そのっ、お電話を頂いていたので、待ちきれずに掛け直してしまいました。……えっと、今、お時間大丈夫ですか?」と問い掛けた。
『うん、大丈夫だよ。――久しぶりだね』
「はい、えっと……お久しぶりです。その、ご無沙汰しております」
数年前までは父と二人で実家住まいだった杏子だけれど、二十五を過ぎたあたりから段々、父親からの〝見合い圧〟に耐えられなくなってきて、逃げるように会社近くの一〇階建て女性向けアパートに一室を借りた。近くにコンビニや神社があって、これと言った住民トラブルなどもなく、割と気に入っている。
実家にいる時は、土井恵介とも月に一度くらいの頻度で顔を見かけては挨拶することがあったのだけれど、アパートへ移り住んでからはもう何年も見かけていない。
『ホント久しぶりだね。元気にしてるかい?』
杏子は当たり障りのない社交辞令に「はい、元気にしています」と答えながら、次に続く言葉はきっと長いこと待たせたことへのお詫びと、お見合いの日取りについての連絡に違いないと思っていた。
それのなのに――。
『お父様から釣書を預かったままずっと連絡できていなくてごめんね。たいちゃ――、ああ、えっと……僕の甥っ子の屋久蓑大葉とのお見合いのことなんだけど』
「はい!」
――私はいつでも大丈夫です! と勢い込んで告げようとした杏子の耳に、『……ごめんね、大葉がどうしても受けられないって言うんだ』などという信じられない言葉が飛び込んできた。
「えっ? あのっ、……それって……」
『お見合いのセッティングは無理になっちゃったんだよ、アンちゃん。長いこと待たせたのに本当申し訳ない。僕もアンちゃんなら知らない仲じゃないし、何よりあの子の好みにぴったりだと思って、結構乗り気だったんだけど』
そのあと散々土井恵介から謝られた杏子だったけれど、ほとんど頭に入ってこなかった。
***
外から小型犬特有のけたたましい吠え声が聞こえてきて、「何ごとかしらね?」と窓の外を見た果恵が、「ここからじゃよく見えないわね」と小首を傾げた。
それを聞いた羽理は、『あの声はきっとキュウリちゃんだ』と思って。大葉と顔を合わせるのが何だか気まずくて、どうにかしてこの場を立ち去りたいとソワソワしたのだけれど、逃げ出すより先に柚子にギュッと手を握られた。
「きっとたいちゃんが来たのよ。羽理ちゃん、逃げたい気持ちも分かるけど……ちゃんと話さなきゃダメ」
手を掴まれたまま柚子からそんなことを言われた羽理は、助けを求めるみたいに果恵を見つめた。でも、期待とは裏腹。果恵からも「大丈夫よ。私たちがついてるから! ちゃんと大葉と向き合いましょう?」と言われて、空いていたもう一方の手を取られてしまう。
そうしてそのまま二人に挟まれて、半ば連行されるみたいに玄関外へと連れ出された羽理は、数奇屋門のところに、大葉らしき人影が背中を向けて佇んでいるのを見た。
西の空へ傾いた夕陽を受け、こちらからは逆光になっていてシルエットしか見えないけれど、その周りをダックスと思しき犬の影がクルクル回りながら吠えているから間違いないだろう。
いつもはおとなしく大葉をじっと見上げるのが常のキュウリちゃんが、騒がしく吠えているのは何故だろう?
それも気になって。
「たい、……よう」
会いたくないと思っていたくせに大葉の姿を見たら、ほとんど無意識。
気がつけば、羽理は柚子と果恵の手をすり抜けるように離れて、大葉の方へ歩き出していた。
ここへ来た時はあんなに身体中痛かったはずなのに、色々考えていたのが功を奏したんだろうか? 果恵と出会ってからこちら、羽理は存外痛みを感じずスムーズに動けていることに、自分自身気付けていない。
柚子や果恵がそばにいてくれるという安心感も手伝って、羽理は大葉に真意を問い質してみようと前向きになっていたのだけれど――。
近付くにつれて、大葉の陰になっていて見えなかったもう一人の存在に気が付いた。
羽理が自分たちの手を離れたことで、柚子と果恵は後方で見守ることにしたらしく、大葉の身体で死角になっているその人物が見えていないみたいだ。
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