片膝は床につける。
もう片膝を立てる。
腕を伸ばして、腰を大きくに伸ばすイメージで。
「ぅうーん、これはぁ……効くぅぅぅ」
次はペタンとお尻で座って両足を前に投げ出してから、腕を……。
ベッドに長身を投げ出すように座ってブツブツ言っているのは、この部屋の主である。
手足を伸ばしたり、畳んだり。
就寝前のヨガをしている幾ヶ瀬であった。
ここ1週間、すっかり日課となっている。
前回(前回とは何ぞや? いや、10日ほど前と思っていただければ…)話題になったヨガ教室。
しばらくのあいだウジウジと悩んだようだが、結局のところ通うのはやめたらしい。
この男、どうあっても月謝を払いたくないとみえる。
「ググればタダだし」と身も蓋もないことを言って、したり顔でノートパソコンを開いたのがちょうど1週間前の夜だ。
ネットの動画を手本にしているとはいえ、日を追うごとに自己流のいい加減なポーズに変じてゆく。
それを「ヨガ」だと言い張る幾ヶ瀬。
本人はいたって真剣な様子だが、果たして効き目があるのやら。
「でもホラ、体が柔らかくなったと思わない?」
「ねぇ、だって手が足首のこの位置まで届くようになったんだよ?」
「お風呂上がりに毎日するって決めたもんね。これはなかなかだよ。ねぇ、なかなかだよ?」
独り言かと思いきや、執拗に同じような言葉を繰り返す。
語尾が上がっていることから、それは疑問形で、要は同意を求めているのだということに有夏はしばらくしてから気付いたようだ。
先月発売されたアクションアドベンチャーゲームの世界の住人である有夏は、Switchの画面からチラと視線を上げると曖昧に頷いた。
「まぁね。やわらかいよな。肝心のトコロもグニャグニャだしよ」
「えっ、何?」
「別に」
「えっ、何なに? 何が肝心?」
「うるせぇ。有夏は忙しい。今日は祠を攻略するんだ」
「グニォグニャって……えっ?」
「有夏は……ゼルダは祠を攻略……リンクは祠を攻略するんだ……」
「自分のことゼルダって言っちゃってるし! いやいや、その前。グニャグニャって……あっ!」
まさかの下ネタに、数秒経ってから意味を理解した幾ヶ瀬がニヤつく。
「あら、珍しい。有夏サン」
「んだよ、その言い方。ゼル……有夏は素材を集めるんだ」
「お望みとあらば、いつでも硬くできますけども?」
「器用な奴だな。ゼリカはな、祠をな……」
「いやいやぁ、ココはそういうもんでしょ。てか、もはやゼリカって誰なのやら……」
微妙に噛み合わないうえに、耳を塞ぎたくなるような下品な会話がサラリと続く。
ある程度柔らかくなった肩や上半身の動きに満足したか、幾ヶ瀬はゴロリとベッドに横になった。
有夏の頭越しにゲーム機の画面をチラ見してから、退屈そうに時計を確認する。
スマホの待ち受け画面に表示されているアナログ時計の針は22時過ぎを指していた。
明日は早番とはいえ、眠るには少し早い。
「有夏、お腹空かない?」
「んぁ? さっき食ったばっかだろが」
「さっきって言っても、食べたのは3時間も前だもん。それにお風呂に入ったら一気にお腹減ってきちゃった。ねぇ、そんなことない? プールに入ったらすごいお腹減るって類の……」
「……プールなんて、現実ではここ何年入ってねぇ」
「悲しっ! そ、そうだよね。有夏が入ってるプールはゲームの中だもんね」
「まぁ、プールじゃなくて大海原とか池だけどな。画面の中の」
「悲しっ!」
「悲しいとか言うな」
有夏がようやく画面から顔をあげた。
「言われたら、なんか腹へってきたし」
ゲーム機を横に置くということは、これは本気で空腹を意識したようだ。
幾ヶ瀬は彼の頭に手をおいて、しなやかな髪に指を絡める。
「夕飯のきのこ鍋がちょっとボリューム少なかったかな」
エノキに椎茸、舞茸とシメジ、それからエリンギ──たっぷりのキノコをあっさり出汁で煮込んだ幾ヶ瀬特製きのこ鍋は、茸と野菜たっぷりでヘルシーなのだが、若い男性にとってはいささか物足りない内容ではあった。
鶏団子を入れようと思ってたのに忘れちゃったんだよなと呟きながらも、幾ヶ瀬は寝ころんだままベッドの端にじりじりと身をにじらせる。
「有夏のキノコでも食べよっかな」
ニヤニヤと、これは嫌な笑い方だ。
あからさまな物言いに、しかし有夏は素知らぬ顔である。
「有夏のキノコは食べ物じゃないし。しゃ……」
「しゃ?」
うむぅ……と唸る有夏。
幾ヶ瀬のニヤニヤ笑いを横目に、あからさまに眉をひそめた。
しかし「しゃ」にこだわる幾ヶ瀬は食い下がる。
「しゃ……写真? シャンプー? シャインマスカット?」
──あっ、分かった!
ニヤニヤ笑い、ここに極まれり。
幾ヶ瀬、大袈裟に手を叩く。
「しゃ、しゃ……しゃぶるだぁ! 有夏のキノコをしゃぶ……痛っ!」
脛を押さえ、やけにゆっくりとうずくまる幾ヶ瀬。
有夏の踵が、カンと鐘を打つように幾ヶ瀬の足を蹴ったのだ。
いわゆる弁慶の泣きどころという場所である。
「うぅぅ、痛い……」
涙目になりながら、しかし幾ヶ瀬は執念のように「キノコキノコ」と繰り返した。
「ふ、ふふっ……有夏のキノコ。上手にしゃぶれたら、何かが出てきて味変だってできるしね」
「味変って……有夏のアレはタレかよ」
下品なこと極まりない。
何とも言えない呆れ顔で、有夏がベッドの上の男を見上げた。
「ん? 俺のキノコのことかな?」
「うるさいな」
再びゲーム機を手に取る。
「有夏はな、今日はな、祠を攻略してな……」
受け流しているつもりであろうが、有夏の耳たぶが赤い。
「んんー? 有夏のどっちのおクチが俺のキノコを……あっ、あーっ!」
露骨すぎる物言いの途中で、幾ヶ瀬の腹が「ぐぅーっ」と派手に鳴った。
「うっ、うわーっ! 何か恥ずかしいぃー」
お前なぁと睨む有夏に、ゴメンと拝む真似をしてから幾ヶ瀬はキッチンに走った。
きのこ鍋の残りにご飯を入れよう。そこにピザ用チーズをたっぷりかけてリゾットにしよう。
せっかく良い雰囲気だったのに今日のところは致し方ないと、幾ヶ瀬は小さく呟いて苦笑している。
色気より食い気というやつだ。
「タマゴもー」
有夏が部屋から叫んでいる。
はいはいと冷蔵庫から玉子を2つ取り出して、幾ヶ瀬はガスの火をつけた。
「下ネタ☆パーティー」完
※読んでくださってありがとうございました!またネタを思いついたら更新します※
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