その日の夜、夜海は眠っている瞳也の目を盗んでこっそりと出かけた。
理由は簡単だ。今の院須磨町がどうなっているのか確かめるためである。
案の定、家を出てからすぐに霊の気配を感じ取れた。カシマレイコ化した悪霊が、民家へ向かっていく姿を見つけて追いかけたが、それは現れた霊滅師、もしくはゴーストハンターによって祓われる。
その様子に、何故だかホッとする自分がいた。
(……違う……私、は……)
悪霊を祓って安堵し、隙を見せる霊能者に襲いかかろうとする夜海だったが、その脳裏を瞳也の顔がよぎる。
この手で人を殺めれば、もう瞳也のそばにいる資格はない。否、元々そんな資格はない。既に夜海は直接的にも間接的にも人を殺めている。
気持ちが悪かった。
あんなに憎かった、暗くくすんだ世界が今は明るく見えてしまう。
何もなかった空虚な明日に、瞳也が居座るようになってしまった。
そんな場所はもう、壊せない。
だとしたら今までの自分はなんだったというのだろうか。
何も知らず、空虚だ、憎いと壊そうとしていた夜海はまるで道化だ。それも狂った殺人ピエロだ。
感情が滅茶苦茶になって落ち着かない。
瞳也に救われてから今日まで、ずっとそうだった。
変わってしまった自分が気持ち悪い。
今を心地良く感じる自分が、まるで別人のように感じられる。
そんなことを考えている内に、近くで強い霊力を感じ取った。
その正体こそが、かつての自分の目的であり、真島冥子の計画の要となる存在だとすぐに理解する。
すぐに、夜海はそこへ向かった。
***
「待ちなさい!」
逃げる夜海を、浸と和葉が追いかける。
夜海は元々身体能力の高い方ではない。脚力で勝負すれば、浸にかなう道理はないのだ。すぐに追いつかれ、その肩を浸に掴まれる。
夜海はすぐにそれを振り払うと、浸と向き合った。
「捜しましたよ」
「……っ!」
戦うか否か、夜海は選択を迫られる。
「浸さん!」
浸より少し遅れて追いついた和葉は、肩で息をしつつ夜海へ視線を向けた。
「いい加減ハッキリ聞かせてもらいましょうか。あなた達の目的が何だったのか」
夜海を睨みつけ、浸は鬼彩覇の切っ先を向ける。
表にはあまり出していないが、和葉はすぐに浸の発する怒気に気がついた。
「沢山の人達を巻き込んで、殺して、あなた達の目的は何だったのですか?」
悪霊が怪異化したことで、何人もの犠牲者が出た。
噂によって負の性質を持ち、本来悪霊化する必要のなかった霊魂が何体も悪霊化し続けている。
番匠屋瑠偉に至っては真島冥子本人の手によって殺められている。
そして遅かれ早かれそうなる運命だったとは言え、赤羽絆菜はこの戦いに身を投じたことで悪霊化が早まったのだ。
冥子達のやってきたことを並べ立てると切りがない。
そしてそれら全てが、余すことなく許されるべきではない悪行だ。
「……待ってください浸さん」
「……早坂和葉?」
不意に、浸の後ろにいた和葉が前へ出てくる。
「…………この人、私達に敵意がありません。……怯えてます」
「……怯えて、いる……?」
拍子抜けして目を丸くする浸に、和葉は小さく頷く。
「……夜海、さんでしたよね」
務めて穏やかに、和葉は夜海へ声をかける。
勿論和葉にも、夜海達が許せない気持ちはある。むしろ霊を誰よりも理解出来る和葉だからこそ、憤っている部分もある。
だがそれでも、戦いだけで全てを解決したくはなかった。
「話してもらえませんか? その、色々と……」
「…………」
「どうして、あんなことしたんですか?」
和葉の問いに、夜海はゴクリと生唾を飲み込む。
「何もかも……壊してしまいたかった……です」
どこか悲しげな声音に、和葉は戸惑う。
「……どうして?」
「……何も、ないと……思っていました」
夜海にとって、この世界は何もない空虚な世界だった。
誰にも愛されず、傷だらけで生きてきた夜海にとって、こんな世界は壊してしまっても良い場所だった。
なのに。
「……見つけて……しまったんです……私に……優しくしてくれる、人を……」
出会ってしまった。
どうでも良い。なくなってしまえば良いハズだった世界で、優しさに触れてしまった。
もう取り返しがつかなくなった今になって。
「どうしたら……良いのか……っ」
夜海の言葉に嘘はない。和葉にはそれがハッキリと理解出来た。
夜海は本当にどうすれば良いのかわからなくなっているのだ。
だがそれがわかったところで、和葉にもどうすれば良いのかわからない。
今まで全て壊そうとしてきた。けれど大切なものを見つけて壊せなくなった。
だからと言って許してしまって良いとは思えない。
夜海のしてきたことは間違っている。死んで、消えた霊魂はもう戻りはしない。
「……夜海ちゃん」
不意に聞こえた声に、その場にいた全員が驚く。
「え……?」
振り返った夜海の目の前にいたのは、眠っているハズの瞳也だった。
「八王寺瞳也……何故ここに?」
「あー……ちょっと色々事情があってね」
バツが悪そうに後頭部をかきつつ、瞳也はゆっくりと夜海へ歩み寄る。
「どうして……」
「ごめん、つけちゃった」
「全然……気づきませんでした……」
「そらそーよ。おじさんこれでも刑事よ?」
わざとらしくおどけて見せる瞳也から、夜海は目を背ける。
瞳也がどこまで聞いていたのか、知っているのかはわからない。
でももうこれで終わりだ。
夜海が浸達にとって敵であることはもうバレただろう。
優しいのも、温かいのも、全て終わりだ。
「……もう、終わりに……してください……」
目にわずかに涙をためて、夜海は浸へ視線を向ける。
「……全て、お話します……。それが……それが終わったら……消してください……」
もう後は、消えるだけだ。
今となっては、あの時消えなかったことを後悔している程だ。最早何を恨んでいたのかもわからないし、瞳也の元を離れるのであればこれ以上生きている理由ももうない。
夜海のそんな申し出に、浸がどうすべきか決めあぐねていると、そっと瞳也が夜海の華奢な両肩を掴む。
「……よく、わかんないんだけどさ」
うつむく夜海の顔を、瞳也は覗き込む。
「償うってのは、ダメなの?」
「え……」
思いも寄らない瞳也の言葉に、夜海は戸惑う。
「君が何をしたのか、俺は知らない。でも、浸ちゃん達の様子を見ればわかるよ。きっと許されないことをしたんだと思う」
「…………」
「でもさ。だからって消えちゃって終われば良いだなんて、それはそれで良くないんじゃないかな。君は、罪の意識を感じてるんだろ?」
瞳也の問いに、夜海は小さく頷く。
「だったらさ、消えて終わるんじゃなくて償うために生きてみようよ」
「償う……ために……?」
「うん。この先君がどれだけ良いことをしたって、やってしまったことは変わらないと思う。もし人を殺してしまっているのなら、その人は絶対にもう帰って来ない」
瞳也の口調は穏やかだったが、吐き出す言葉は重苦しい。刑事として様々な事件や犯人と関わってきた瞳也だからこそ、言える言葉なのかも知れない。
「だけど、だからって消えて終わりにしちゃいけない。君にはこれからまだ、出来ることがあるんじゃないかな」
償うために生きる。
そんなことは一度も考えたことがなかった。
何より初めて、生きることを肯定されたのだ。
溢れ出すものが止められなくなって、夜海は瞳也の胸に飛び込む。それを優しく受け止めて、瞳也はそっと頭をなでた。
「……ごめん浸ちゃん」
「…………いえ」
静かに、浸は鬼彩覇を鞘に収める。
その様子を見て、和葉は胸をなでおろした。
「正直まだ戸惑っている状態ですが……ひとまず彼女に敵意がないことはわかりました。早坂和葉、彼女の言葉に嘘はありませんでしたね?」
「……はい」
和葉はずっと夜海を感知していたが、彼女は一度も嘘をついていない。吐き出す言葉と感じる感情が一度も乖離していなかった。
「……ひとまず、話を聞きましょうか」
まだ完全に割り切れたわけではないが、ひとまず冥子や現状に関する情報は聞き出さなければならないだろう。
***
翌日、夜海は雨宮霊能事務所を訪れた。
まだぎこちなかったものの、浸も和葉もひとまず彼女を受け入れ、ソファに座らせる。
何から聞くべきか、何から話すべきか、お互いに少し考え込んでしまう。そうこうしている内に、予め浸が呼んでおいた露子が到着する。
露子は事務所に入って少し驚いて見せた後、すぐにギロリと夜海を睨みつけた。
「よくもまあぬけぬけとあたしの前に現れたわね」
そしてすぐに、銃を突きつけた。
「つゆちゃん!」
「止めんな! ていうかアンタら正気!? こいつが何したのかわかってんの!?」
露子の言葉に、浸も和葉も言い返せない。
「……」
ゆっくりと、夜海が立ち上がる。
そして露子へ近寄っていくと、床に膝をつけ、丁寧に頭を下げた。
所謂、土下座だ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
夜海の姿に、露子は信じられないものを見る目を向けた後、すぐに激情し、屈み込んで夜海の胸ぐらを強引に掴んで引き上げた。
「ふざけんな」
激昂した露子の言葉が、夜海の顔面に吐きかけられる。
「今更ごめんなさいですむわけないでしょ……! アンタふざけてんの!?」
露子を止めることが、浸にも和葉にも出来ない。
彼女の怒りはあまりにも正当だった。
「どれだけ死んだと思ってる!? 今どれだけの人が脅かされてるのかわかってる!? アンタがしたことの意味、わかって謝ってんの!?」
「……私は……取り返しの、つかないことを……」
夜海の言葉が、露子の神経を更に逆撫でする。
「全部アンタらのせいでしょうが! アンタらがいなけりゃ……誰もっ……あいつだって……!」
そこで言葉を濁して、露子は一度黙り込む。
露子にももうわかっている。これだけ近づいて感情をぶつけ合えば、夜海の感情を霊感応で読み取ることが出来る。
だからこそ、憤る。
こんな風に本気で謝られたら、怒りの矛先をどこに向ければ良いのかわからなくなる。滅茶苦茶に暴れる感情を、露子はどうすれば良いのかわからなかった。
今すぐ消し去ってやりたい。
そう思って再び銃を向けたところで、露子は絆菜の顔を思い出した。
意地を張って、突っぱねて、最後まで素直に接することの出来なかった絆菜のことを。
このまま怒りをぶつけるのではあの頃と同じだ。
ゆっくりと、銃口は下ろされていった。
「……もう、たくさんよ」
呟くようにそう言って、露子は夜海から手を離す。
「意地張って突っぱねて、後で後悔するのは……もう嫌だから」
それでも、気持ちは変わらない。夜海を許すことは出来ない。
「……行動で示しなさい。少しでも変な真似したら……あたしが祓う」
そう告げた露子に、夜海は深く頭を下げた。
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