テラーノベル
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玄関には伯父さんの靴とクーラーボックスが並べて置いてあった。
私は深呼吸して、なるべく明るい声で「ただいま」と言う。
「たくさん釣れた?」
台所で伯父さんが釣ってきた魚の処理をしていた。
「いいや、大きいのはさっぱりだったよ。小アジばっかりだった。
南蛮漬けにでもしようかなと思って」
「えー、やった!」
アジの南蛮漬けは、野田家のみんなも私も好物だ。
「ママは公民館?」
「うん。さっきまで私も一緒にいたんだけど、サークルの会合があるから、先に帰ってって」
「そうか。レイも少し前に出かけていったよ。
すぐに戻ってくるそうだが」
「……そっか」
―――もう知ってるよ。
レイがどこに出かけていて、どんな人と会っていたのかも知ってるんだ。
私の声音が低くなったことに、伯父さんが気付かないといいと思った。
「それで澪はご飯は食べた?
さっき冷蔵庫のカレーがあったから食べたけど、澪も食べるか?
それか、南蛮漬けが出来たら呼んであげるけど」
「あぁ、ごめん。
実はさっきちょっと食べちゃって……」
食べたのはチョコクッキーひとつだけど、食欲がなかった。
「そうか、ならこれは明日みんなで食べるか」
「うん。私シャワーを浴びてくるね」
台所を抜け、階段をあがる。
暑くて部屋の窓をあけたけれど、風はほとんど入ってこなかった。
そのまま窓の外を眺めかけて、すぐにやめた。
こうやってぼうっとしてしまえば、いらないことばかり考えてしまう。
私は引き出しから着替えを出した。
べたべたする汗を流して、気休めでも気持ちもすっきりしたかった。
シャワーを済ませて部屋に戻ると、階段の下で声がした。
伯父さんとレイが話しをしている。
駅の向こうで彼を見かけてから、今で一時間半ほど経っただろうか。
だれかが階段をあがってくるのがわかり、私は急いでベッドに飛び込んだ。
タオルケットを頭からかぶったと同時に、ドアがノックされる。
『ミオ』
その声を聞いて、無意識に唇をかんだ。
なにも返事をせずにいると、しばらくしてドアがあく。
そういえば、前にも似たようなことがあった。
佐藤くんに失恋して、レイに酷いことを言われた時のこと。
あの時かぶったのは布団だったけど、タオルケットよりそのほうがよかった。
これじゃ身を隠すには心許ないし、聞きたくない声もすぐに通り抜けてしまう。
全身で対話を拒否しているのに、レイが近付いてくるのがわかった。
レイはひどい。
ずっと話がしたいと思っていたのに。
伯父さんと釣りに出かけてしまっている間、私はレイが恋しかったのに。
『ミオ。話がある』
ベッドの傍に立ち、レイはそう告げた。
(ひどいよ……)
話がしたかったのは私のほうだったよ。
だけど声も聞きたくなくさせたのは、レイのほうだ。
タオルケット越しに、頭になにかが触れた。
レイの手だとわかったと同時に、感情のメーターが振りきれる。
『出て行って……!
私はレイと話すことなんてない』
私はタオルケットを跳ね飛ばして起きあがった。
早く出て行って。
私は好きな人とだれかのキスを見て、平気でいられるような人間じゃないの。
泣くのを堪えるのに必死だった。
なのにレイは感情を揺らさない、静かな目をしていた。
『あの人はだれなの?
レイは……だれとでもキスするんだ』
話をしたくないのに、気付けば口を開いていた。
レイはなにも言わない。
眉ひとつ動かさず、じっと私のことを見つめていた。
……悔しい。
どうしてそんなに平然としていられるの。
私はレイのこと、そんなことしない人だと思っていた。
そんなことしない人だと信じていた。
『だれとでもキスするなんて……最っ低!!』
言ったあと、涙がこぼれた。
同時に自分の本音に気付く。
腹立たしくて、胸が苦しくて、泣きたいわけは、レイを軽蔑してじゃない。
そうじゃなくて、私以外のだれかにキスしたことが、どうしようもなく嫌なんだ。
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